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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
117/146

[116] 「新開」37


 死んだはずの小原桔梗が僕たちの目の前に立っていた。

 それは本来ならば喜ぶべきことのはずだった。彼の死を確認した複数の人間が存在するわけで、現実問題との折り合いのつかなさを論えばも混乱もしよう。だが、死んだと思っていた恩人が生きていたのだ。まずはもろ手をあげて喜ぶべき場面であるはずなのだ。

 坂東さんは強烈な情念を爆発させて吠えた。

 だがその一方で、坂東さんの怒りの声を側で聞きながら、きっと何かの間違いですよと擁護したくなる気持ちが、どんどんと僕の中で大きくなっていった。

 だって彼は呪いを受けて死んだじゃないか。

 いやそもそも、小原さんは『天正堂』階位・第四をもつ団体の代表代理だ。

 僕が三神さんに連れられて初めてご挨拶に伺ったあの日から、温和で優しい、正義感に溢れた素晴らしい拝み屋として僕はずっと尊敬してきたのだ。

「……く」

 傀儡だ。

 彼もきっと、傀儡として柳菊絵に操られているに違いない。

 坂東さん、きっと僕たちはまだ騙されているんですよ。


「おお、忍。生まれたんだねえ、そんな所に突っ立ってないで、はやく私たちの子どもを病院へ連れて行きなさい。また死んでしまうじゃないか。まさかこんな家の中で生まれるなんて思ってもみなかったよ。麓まで降りたら、そこから病院に電話しなさい、いいね。……あれ、奈緒子はどうした。また勝手してるのか、あいつは」


 私たちの子どもを病院へ連れて行きなさい……?

 私たちの、子ども……?


 由宇忍は僕に言った。

「私はまた、子どもを守ってあげられなかった」

「また、子どもを失った……どうして、私は」

「君が抱えて逃げて欲しい」

「子どもを死なせたのはこれが初めてじゃない。奈緒子が初めてじゃない」 

「この子も必ずまた利用される。この子を連れて逃げて」


 由宇忍に何をしたんだ。

 彼女がかつて僕の住んでいた崖団地・右棟の部屋に現れた時、彼女はまだ少女と呼べる年代だった。いや、僕はもっとそれ以前から、彼女が団地の間にある細い路地に蹲って泣いていたのを知っている。

 由宇忍に何をしたんだ。

 彼女は本当は、何をされたんだ。


 小原さん、あなたは一体何をしているんだ?


「お、おばらさ」

 僕がそう声を発した瞬間、

「早く行きたまえ!」

 全く同じタイミングで小原桔梗が言い放った。

 その有無を言わせぬ高圧的な声は、僕の知っている小原桔梗のものではなかった。由宇忍は体をビクリとさせて歩き出すと、視線を合わせることもなく、そのまま僕と坂東さんの間を通り抜けようとした。

「R医大へ行ってください。必ず助けに行きます」

 すれ違いざまに僕はそう言うも、由宇忍は答えなかった。

 だがそれで良いと思った。僕はつい先ほど、背後に立っていた彼女から小さな声でこう話しかけられていた。ありがとう、と彼女は言ったのだ。諦めではなく本当の意味で感謝の言葉を受け取るためには、僕こそ、それ相応のことをしなくちゃいけない。

 僕は柳奈緒子の家の玄関前で倒れたまま動かない直政を一瞥し、

「ビスケさんも、行ってください」

 と告げた。

「で、でも、京は……」

「なんとかします。行けるうちに早く」 

 坂東さんが勢いよく直政を立ち上がらせ、ビスケさんの肩に腕を回して担がせた。上背のある直政を肩で担ぐのはビスケさんには無理がある。しかし今はそう言っていられる状況でもかった。すると二神さんが、先ほどまで自分の顔を(正確には両目を)覆っていた包帯を直政の胴体に手早く巻いた。その途端、

「はあッ!」 

 と直政が大きく息を吸い込んで目を覚ました。二神さんの霊力がしみ込んだ包帯である。瀕死の状態だった直政でも、病院までたどり着くくらいは可能だろう。

「早う行け」

 と言う二神さんの声に押され、ビスケさんと直政も由宇忍の後を追った。直政はひょっとしたら目が覚めたことを恨んでいるかもしれない、と僕は思った。小刻みに震える彼の朦朧とした横顔に浮かんでいたのは、恐怖ではなく深い喪失感だった。

 小原桔梗は腰に手を当てて大人しく僕たちを見ていたが、やがて薄い微笑みを浮かべた唇を開いて、

「君は、行かなくていいんですか?」

 と、残間京に声をかけた。

「あ、はい、行きます」

 慌てて立ち上がった残間京の肩に手を置き、

「まあ、急ぐことはないですよ」

 と小原桔梗は残酷な笑い声を響かせた。

 ガタガタと震える残間京の股座(またぐら)が濡れそぼり、僕は下唇を噛んで目を逸らした。

「いつからだ」

 と坂東さんが聞いた。「あんた、俺の知る限りじゃあ相当前から『天正堂』の看板を担いでるよな。何があったんだ」

 小原桔梗は汚い物を見る目で残間京を見下し、嫌悪感の浮かんだ顔でこちらへ向けて、言った。

「それを聞いてなにか意味がありますか?」

「なんだって?」

「理由があれば納得できるのかと、聞いているんです」

「……ああ」

 論議の煩わしさをすっ飛ばす意味で坂東さんが頷くと、

「は、嘘つきが」

 と小原桔梗は吐き捨てた。どこか楽し気ですらあった。

「それよりも」

 小原桔梗はそう言って両足を揃え、「ご無沙汰しております、御大」とわずかに頭を垂れた。

 だがその目はしっかりと二神七権を見据えたままで、余裕すら浮かんでいた。

「どうです、見直してくれましたかね、この私を」

「……柳家、ということなのか、貴様」

 そう問う二神さんに対し、

「いかにも」

 小原桔梗は素直に認めた。

 ということは、坂東さんの聞いた「いつからだ」という質問は的外れに近い。

 いつから、ではなく、最初から、ということなのだ。

「初めから僕たちを騙していたというんですか?」

 尋ねる僕に視線をスライドさせ、小原桔梗はこれまでとなんら変わらない優しい目で、

「そうです」

 と言った。「私はきちんとお伝えしたはずけどね。三神さんが病院へ運ばれた夜、君にもこう言ったはずですよ。君と三神さんが出会うずっと前に、この事件と酷似した状況を見たことがある、と。あの発言は嘘じゃありませんよ。本当の話です」

「そ……」

 そんなの、分かるわけないじゃないか。経験豊富な拝み屋が目の前いて、三神さんに起きた事象が『呪いだ、九坊だ』と言われたら誰だって信じるさ。事実を突きつけておいてその裏側に真実を隠す、それが人を騙すということに他ならないじゃないか。

「じゃあ小原さんはずっと、三神さんや、六花さんの妹のめいちゃんや、斑鳩くんたちが次々と呪われていく様を側で見ながら、あなたは、内心ではずっと笑っていたっていうんですか……!?」

「そうです」

 人を信じることは簡単だ。疑わなければいいだけだ。だが疑うことを放棄したばっかりに、僕は真っ逆さまに落ちて行く底なしの恐怖に足首を掴まれてしまった。僕が立っていた場所は、容易く足場を崩されてしまうような断崖の先端だったらしい。

「滑稽でしたよ。私はずっと近くで君たちを観察していました。ですが疑いもせず、ただただぐるぐると回り続けていただけでしたものね。調査官が聞いて呆れます」

「なんなんだよあんた」

「申し遅れました」

 小原桔梗は胸に手を当てて会釈すると、ワザとらしい形式ばった口調でこう述べた。



 『天正堂』階位・第四、小原桔梗あらため、『北桑田六文銭』当主、皆瀬九坊(ミナガセクボウ)と申します……。








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