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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
115/146

[114] 「坂東」28


 柳菊絵の計算しつくされた動きが止まり、

それを見つめる新開の目に驚きが浮かんだ。

 老女の手から箒と塵取りが落下し、数秒後、柳菊絵はその場に崩れ落ちた。

 そこには鈍色に光る刃物を腰高に構えた、穂村光政が立っていた。

「や、やりやがった……」

 思わず漏らした俺の言葉に、慎め、と二神七権が眉をひそめた。

 あんたそんな玉じゃないだろう、と俺が言いかけた途端、

「駄目ェ!」

 そう叫んだ声があった。

 その声を発したのはビスケ、椎名ルチアだった。

「やりましたよビスケさん」

 刃物を構えたままガタガタと震える光政がそう言ってせせら笑う。「こ、こいつなんだ、こいつが全部悪いんだよ。この村の人間ばかりが悲惨な死に目にあうのも、三島のジジイが怪しいと睨んでんのも、俺たちの団体が追いかけてんのもみーんなこいつなんだ。あんたが俺たち兄弟に村の外へと逃げろって忠告してくれたのでだって、この女の悪巧みがあったからだろ? それに、兄さんが死にかけてんのだって!こいつが原因なんだ!こいつさえ死ねば丸く収まんだよッ!……なあ、そうだろ新開。俺、間違ってねえよな?」


 振り返って新開を見た、それが、穂村光政の最後の言葉だった。


 その時何が起きたのか、俺にも確実なことは分からない。

 穂村光政の足元に老女・柳菊江の小さな体が横たわり、戦慄く新開の隣でビスケが顔をくしゃくしゃにして泣いていた。赤ん坊を抱いて立つ由宇忍の目が裂けそうな程に見開かれ、その後ろでは残間京が口元を覆って震えている。俺が見たのはそれだけだ。二神七権が何を見たかは分からない。だがきっと、同じものを見たはずだった。

 グラグラグラグラ!

 突如視界が揺れ、強烈な振動に足元をすくわれる。警察署で感じた揺れと同じ類のものである。

「クソ!」

 と新開が悪態をついて女どもを後ろへ下がらせた。まるでこれから起こる事態を、すでに察知しているかのようだった。

「行け新開!由宇忍を連れて行け!お前はそのまま戻ってくるな!」

 俺の言葉に新開は青ざめ、「なにをいってるんだ」と奴の唇が動いた。

「柳菊絵の仕掛けた呪いは本人が死んだ所で止まらない!もう誰も死なせるな!お前は成留のもとへ帰れ!」

 畳みかける俺に新開は動揺し、逡巡し、言葉を失ったように立ち尽くしていた。

「ここは俺と二神さんに任せとけ。なあ爺さん、俺ら二人で……」

 誰もがおぼつかない足取りで揺れていた。自分が何をすべきなのか、自分に何が出来るのか。真面目に考えすぎるあまり、結局何もできずに動けない。そんなどうしようもない現実の中、俺の視界でただ一つ、ぽーんと軽やかに動くものがあった。躍動感にあふれたその放物線を、俺は一瞬微笑みさえ浮かべて目で追った。


 それは跳ね飛ばされた穂村光政の首だった。


 光政の首は空中で綺麗な弧を描き、そして新開たちの足元にボトリと落下した。

 ビスケが叫び、残間京はたたらを踏んで尻もちをついた。

 悪夢はなおも連鎖する。

 柳奈緒子の家の玄関扉が開き、瀕死のはずの直政がよたよたと歩み出て来たのだ。そして数分前まで生きていた弟の首が自分の足元に転がって来るのを見つめ、直政はこう言った。

「こんなのアリかよ……」

 いかん、と二神七権が独り言ち、打ち鳴らしたもろ手が合掌を形作る。

 穂村直政が倒れると同時に、新開が地面に両膝を折るのが見えた。

 その背後には、この世のどんな黒よりも濃い影が揺らめき立っていた。

 新開水留の母・依子(よりこ)が現れた。

 新開と出会ってこの十年、何度も俺たちはその姿を目撃してきた。だがたった一つだけ容認出来ない大きな障害を、息子を思う母の霊体は抱えているのだ。

「お前ら逃げろッ!」

 俺の言葉に、ビスケと残間京が反応する。自分達の側にこの世ならざる者が出現していることに、この時ようやく気が付いたのだ。だがいかんせん、女どもと新開の距離が近すぎる。

「落ちるぞ!奴から離れろ!」

 依子はあの世とこの世を繋ぐ霊道をこじ開けて戻って来る。それはまるで大きな穴だった。場合によっては屋内の天井に出現することもあるという。だがその多くは新開の立っている地面のすぐ後ろに口を開ける。つまり、その周辺に立っている人間を「落とす」可能性があるのだ。あの世へ続く、何もない漆黒の穴蔵に。

 残間京が尻もちをついたまま素早く穴蔵から離れた。そしてそれと同時に、子どもを抱えた由宇忍が、ビスケの体に体当たりした。

「なッ!?」

 由宇忍には逃げる意志が感じられなかった。なんなら茫然自失し跪く新開に向かって、歩み寄ったようにも見えた。由宇忍の唇に微笑みが浮かび、何事かを呟いた。

 ……あいつ、ガキもろとも落ちるつもりだ。

 俺はそう直感し、叫んだ。

「約束が違うぞ新開!そんなんで西荻に顔向け出来んのかよ!」

 俺が言った瞬間新開は立ち上がり、背後の由宇忍から距離を取るべく猛然とダッシュした。その後を追って、ズズズズ、と依子も移動する。そして新開は地面に転がった光政の生首を拾い上げて胸に抱き、一人離れた場所で再び崩れ落ちた。

 新開は俺たち全員に背中を向けたまま、獣のような声を上げて泣いた。




「な、直政……」

 思い出したように名を呟き、独り力尽きている穂村直政へとビスケが駆け寄って来た。

「坂東さん、こいつを病院へ運んでやんないと!」

 気丈な女だと感心する。可愛がっていた弟分の悲惨な死に目に会いながらも、残された者を思いやる気持ちを忘れてはいなかった。『嫌な予感』とやらで自らが宣告した通りの未来が訪れてもなお、それが出来たのだ。大したものだと思った。

「ああ、そうだな」

 そう答えて携帯電話を取り出した時だった。

 ッヒィ!

 尻もちをついたまま後退る残間京が、喉を詰まらせたような悲鳴を上げた。

 光政に刺されて倒れた柳菊絵の左腕が、いつの間にか木の枝のように細く長く伸び、その先端がうねうねと蛇のように蠢いているのだ。変異しているのは今のところ左腕だけである。だがそれはどう考えても「傀儡化した」ようにしか見えなかった。光政の首を跳ねたのは、おそらく傀儡化したその腕なのではないかと思った。

 怯える残間京の視線の先で、切断された光政の首からどくどくと血が流れ、同じく横たわる老女の腕が異形と化したのだ。つい先日まで書店で働いていた一般市民である残間京にとっては、どんなホラー小説をも上回る惨状だったに違いない。

 一人残された由宇忍は、ぎゅっと子供を抱いて立ったまま、全てを諦めたように嗤っていた。

「二神さん……こいつぁ一体」

 そう言いながら二神七権を見た。「まさかあの婆さん本当は幻子じゃなく、自分のことを勘定に入れて六人だと言ってやがったんじゃあ……」

 俺の言葉はそこで途切れた。

 二神七権は合掌をほどき、自分の手の平をしげしげと見つめていた。

 刻まれた皺の数でも数えているのか、手の甲と掌を何度も矯めつ眇めつし、そして俺の方へ顔を向けると、顔面に巻かれた包帯を上にずらして俺を見据えた。皺だらけの、だが惚れ惚れとする、心底格好良い男の面構えだった。

「坂東……」

 と、二神七権は言った。

「うす」

「終わりが、見えたわ」

「……なんですって?」

「ついにワシの力も尽きたようだ」

「……え?」

「練り上げ続けたワシの気力もここまでさ。ワシは極地には辿りつけんなあ」

「何言ってんすか二神さん。あんたまだ、生きて立ってるじゃないか。どこへだって行けますよ」

「……そうか。生きてるか」

「そうっすよ、当たり前じゃないすか」

「ならば死のう。覚えとけよ坂東。二神七権は殺されずして死す」

「や、止めて下さいよ冗談は、今それどころじゃないっすよ」

「わははは、冗談みたいな人生を生きたわ。貴様も見習えよ」

「……まじっすか」

 二神七権は、ぎりっと奥歯を噛んで、その視線を柳菊絵へと向けた。

 そしてこう言ったのだ。

「まじっす」



 かつて二神七権が俺に言った、発車のベルに似た音が鳴り響いたのは、まさにその直後のことだった。





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