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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
113/146

[112] 「坂東」26


 気が付けば俺は、柳奈緒子の家の外に出ていた。

 折れた右足首が震えるほどに痛んだが、じっと他人の家の玄関で蹲っていられるような状況じゃなかった。決して世紀の大決戦が見られるだとか、そんなミーハーなことを考えていたわけではないが、俺はどうしてもこの二人の戦いを見届けねばならないと感じていた。

 『天正堂』と『六文銭』。

 二神七権と柳菊絵。

 そこにどんな因縁があり、『九坊』という名の呪いは何故打たれたのか、チョウジとしてもひとりの霊能者としても、はっきりとさせておきたかった。玄関では家の奥を睨みながら穂村光政が何やら叫んでいたが、俺の衝動を引き留めるほどではなかった。

「六人、と言ったな」

 と、二神の爺さんが言う。

「ええ。ですがもうすぐ、七人目が出ることでしょうね」

 丁寧な口調に、平然とした声。ぴしっと身なりを整えた柳菊絵の見た目だけでいえば、どこぞの着付け教室の講師か、由緒ある料亭の古女将といった風貌だ。だが奴が言った六人とはつまり、『九坊』を受けて散った犠牲者の数である。

「貴様、どこまで落ちるか」

「さあ……どこまででも」

「坂東」

「うす」

 急に呼ばれて背筋が伸びた。包帯を巻いていても、その目は全てを見ているらしい。

「その薄汚れた紙にはなんと書いてある」

 聞かれ、俺は自分の手にある紙切れの文字を読み上げた。

「『詛体全統一 十八心房ノ呪』……す」

「十八」

 繰り返す二神七権の体が怒りに震えるのが、ここからでも見てとれた。

「分かるか坂東」

「いや……さっぱり。十八人殺すってことすか」

 俺の返事に、柳菊絵が声を挙げて笑った。

「人の体には房のつく器官がいくつある」

 と爺さんは聞く。

「房? ……心臓のことなんで、二つです」

 右心房、左心房のことだ。そして知っての通り、対となる器官は右心室と左心室である。

「つまり」

 と二神七権は言う。「十八心房とは、九人の人間を表す。ただの人間ではないぞ。呪詛体とはこれすなわち……」

「呪いを受けた、呪詛に穢れた人間……」

 自分で口にしたその言葉に、俺は全身が冷えて凍り付いていくのが分かった。


 六人まで来た。

 霊能者を狙い打つ呪い。

 傀儡たち。

 解明されなかったメカニズム。

 天原秀策の死。

 美晴台を覆う影。

 鬼と呼ばれた少女。

 三神三歳が呪いを引き受けた理由。

 伝染する呪いの正体。

 九人の呪われた霊能者。

 詛体、全統一。

 呪禁師。

 下法、完成。

 もうすぐ、七人目が出る。


 やはり全てはつながっていると、俺の直感がそう告げていた。そしてその答えは、『九坊』と呼ばれた呪いがその効果を最大限に発揮した、その後に現れる。つまり、呪いを打つことにより霊能者を殺していくことが奴らの目的ではなかったのだ。

「詛体、全統一? 九人の犠牲者が出た時……一体何が起きるってんだ」

「我々の、悲願です」

 と柳菊絵は言った。あくまでも冷静な眼差しで。

「一体なにをしやがった!?」

 激しく問う俺の言葉に、柳菊絵が僅かに首を傾けた。

「まあ、実験、のような」

「じっ」

 ……分かるわけけがない、こんなバカげた話。理解できるわけがないのだ、こんなにも狂った人間の存在を。

「私を捕まえることはできませんよ」

 突然発せられたその言葉に、俺は一瞬なんのことだか分からず、涼しい目をした老女を睨みつけた。

「何だと?」

「呪式はもうすでに打ち終わっています。これから先私が何かをすることはありません。もはや残された証拠もなく、照らし合わせる法もありはしない。あとはそうですね、誰がどれだけの血花を咲かしてくれるのやら、拝見させていただきましょ」

「お前……自分が何を言ってるか分かってんのか?」

「目上の者に対する口のきき方も知らないのですか」

「うるせえ! 俺をただの刑事だと思うなよ。たとえこの国の法が許してもこの俺が……」

「何を言っているのですか、私があなたを知らないわけがないでしょう」

「な……?」

「あなた、自分がどういう立場にいるか分かっていらっしゃらないようですね」

 柳菊絵に言われ、情けないことに俺は無言で二神七権に視線を向けていた。助けを求めたのだ。

「た、立場ってのはなんだ。俺を蚊帳の外に置こうったってそうは……」

「あなたはもうとっくの昔から、私たちの描いた絵図に登場しているじゃありませんか。忘れたとは言わせませんよ。あなたが何故今も生きているのか、そのわけを……?」

「……てめえ」

 もちろん忘れたことなどない。

 俺は一度『九坊」に呪い殺されている。そしてまだ若かったその当時、俺に仕事を教えていれた大切な先輩をも失っているのだ。俺を死の淵から救い上げたのは何を隠そうこの場にいる二神七権で、俺はいつどこで何をしていようと、そのことを忘れたことはなかった。

「二神さんの前から命を取り上げることの難しさは、私もよく分かっています」

 と柳菊絵は言う。「ですから、間一髪命を拾われたあなたを再度付け狙うのはやめておきました。まだこちらの呪式も整ってはいない中での、あれはある意味暴走のような、不幸な事故でしたから」

「ふざけるな!アユミさんの死を交通事故みたいに言うんじゃねえ!お前のせいで死んだんだろうが!」

「まあ、そうなのでしょうね」

「そうなので……しょうね?」

 俺の中に渦巻く怒りが、全身の血液をどろどろの溶岩へと変えていった。今にも血管を突き破り、体中から熱線が放たれそうだった。

「こらえよ、坂東」

 と二神七権が言う。

「で、ですが」

「これもあやつの一つの手よ。己の感情など捨てよ。恨むならあの時貴様の上司を救わなんだ、このワシを恨め」

 ホホホ、と柳菊絵の笑い声が聞こえた。

「何言ってんだ二神さん、俺は感謝してますよ。今こうしてあの婆の前に立てるのは、あんたが俺の命を繋いでくれたおかげなんだからな」

「早まるなよ若造。順番てもんがある」

「そうですね」

 と柳菊絵が割って入る。「別に、あなたじゃなくても良いのです。あと三人死ねばいいだけですから」

 俺は頭のネジがぽんぽんと外れていく音を聞きながら、それでもなんとか冷静さを取り戻そうと思考をフル回転させた。柳菊絵の話す内容がどこまで真実なのか知る由もないが、全てを鵜呑みするわけにはいかない。

「なぜ俺たちなんだ」

 と俺は問うた。

 柳菊絵は質問の意味が分からない様子で、眉根を寄せて首を傾けた。

「なぜ俺たちなんだ」

 と俺は全く同じ質問をぶつけた。「俺でもなく、二神七権でもなく、なぜ俺たちなんだ」

「ああ」

 柳菊絵は理解したように声を漏らし、だが特別興味もなさそうに、こう答えた。「……成り行きです」

「な」

 頭の回路が焼き切れる寸前だった。柳菊絵がどういうつもりでそんな事を言うのか、そして奴の目的がなんなのかも、もはやまともに考えることすら出来なくなりそうだった。

「この村全体が貴様の実験場とういうとか」

 二神七権の問いに柳菊絵は頷いた。

「失敗の多い実験でしたがね。ようやくこの目で完成を見届けられそうですよ」

「そうはいくかよ」

 腰を落として低く身構える二神七権に、柳菊絵は動じることもなくこう言った。

「ですから、止めることは不可能なのです。だけど今にして思えば、そうですえ、あなた。あなたの部下がいけないんですよ」

「部下?」

 柳菊絵の凍てついた眼に見つめられて、俺はようやくそこで一つに可能性に行き当たった。それは長らく俺たちの前に横たわっていた、一連の事件に関して最も古い謎の一つだった。

「……馬淵、か」

「そうです」

 柳菊絵は頷くと、わずらわしい記憶を追い払うかのように、溜息漏らしつつ頭を振った。

「馬淵が、どしたってんだ」

 土井零落なる人物がもたらした有紀のボイスレコーダによれば、死んだ斑鳩と有紀よりももっと早い段階で、元チョウジ職員である馬淵がこの村の調査を行っていた、とあるのだ。

 

 

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