[110] 「坂東」25
穿った見方をすれば、『天正堂』という拝み屋衆の存在そのものが罪なのだ。
『広域超事象諜報課』、チョウジとしての立場から冷静に判断すれば、付き合いの長さを考慮してもなお、やはり罪と言わざるを得ない。これはかつて俺の直属の上司だった壱岐琢朗や、公安部の上役である椎名部長も口を揃えて言っていた。一介の拝み屋集団、という言い方が差別的であるという批判はあるにしても、公的機関に属さない民間人がもつ影響力が我々警察機構のそれを易々と上回っているのだ。もちろん、一般市民に対する認知度調査などを行ったわけではないし、そもそもチョウジは秘密組織である。だが同様に、『天正堂』も彼らを必要としない人間には認識すらされないという『玄関口の秘匿』が成されている。ここでいう影響力とは、この業界内に対しての話である。
我が国における心霊現象に対しての貢献ぶりは、心霊捜査を主な業務内容としている我々チョウジよりも、呪い師、占い師、平たく言えば祈祷師の部類に入る彼ら『天正堂』の方がはるかに多くの実績を残している。これは警視庁公安部に属する我々としても由々しき問題であると苦々しく思う反面、正直な話、彼らがいてよかったと思う部分もあるにはあるのだ。安心感といえば、分かり良いかもしれない。
だがしかし、という話である。
まず第一に、あの二神七権という男は強すぎる。その強さはなにも腕っぷしや霊力の話ばかりではない。人間的なカリスマ性も含め、統率力、経験、そして計り知れない霊能者としての器が、長年『天正堂』という団体の屋台骨として存在感を発揮し続けている。現役を退いているとは言っても、戦前から同看板を掲げ続けた男を今も見ることが出来るのだ。少しでもこちら側の世界に関わった人間ならば、誰もが憧れを抱かずにはいられない絶対的な強者が、二神七権である。
そしてその下には、本部団体を抜けた身ながらいまだに現場最高責任者としての立場を担う、三神三歳がいる。もし彼が今も暖簾分けなどせずに本部団体で力を振るっていたなら、二神七権の引退はもっと早かったと言われているし、おそらく既に天正堂階位・第二を継いでいたのではないかと噂されている。
彼だけではない。そのすぐ下の世代には経験豊富な階位・第四、小原桔梗がおり、その下には幻の男として半ば伝説と化している土井零落だっている。更には女性として初めて上位を授けられた秋月六花がかつて在籍し、俺よりも随分と下の年代でありながら、階位・第七を持つ新開水留なる規格外の霊能者まで現れた。しかも今上げた名前のうちの二人、秋月六花と新開水留は俺たちに地獄を見せた、あの『黒井一族』の末裔でもある。
何度も言うが、公的機関に属さない一介の拝み屋衆に、これだけの人材が揃っているのだ。
それが二神七権のもつ引力なのか、単なる偶然にすぎないのか、もはやそれを議論する意味もない。ただしこれだけは言える。彼ら『天正堂』が存在したおかげで救われた多くの人々がいた、その裏側には、彼らのおかげで煮え湯を飲まされ続けた連中もいる、ということなのだ。
例えば、我々チョウジが捜査線上で『天正堂』とかち合った時。地道で丁寧な調査の先に事件解決の糸口を掴みかかけたその矢先、彼ら本物の霊能力者たちは我々の目の前からほいっと手柄をかすめ取っていく。俺が若い頃は、そのことが本当に我慢ならなかった。とはいえ、この場合で言う手柄とは依頼者である一般庶民の安寧につながるわけだから、それ自体を罪であるとは言い難い。俺もこの世界に長くいることによって、新開みたいな馬鹿正直で大真面目で優しい奴を見て来たこともあり、「まあ、いいか」の精神が培われた。
だが、まあいいかでは済まされない連中だっている。それが、今俺の目の前で絶対的な強者に平然と相対している、『北桑田六文銭』・柳菊絵のような人間である。
新開が得た資料によって『大謁教』を創始者が『六文銭』出身であると知り、この地に根を張る柳菊絵もまた同団体の関係者だと知れた時、俺は直感的に「水と油」だ、と悟った。
『六文銭』。三途の川の渡し賃を名に持つ同団体は、古くは奈良時代から存在した呪禁師の集まりであり、その歴史の出発点は世に知られた陰陽道よりも前である。呪禁師とは、ひとことで言えば「呪いを禁ずるスペシャリスト」だ。ここで言う呪いは一般的なカースではなく、心霊攻撃全般を指す。つまり政権闘争のみならず、すでに民衆の間にも広まりつつあった霊的な呪術合戦全体を研究し、体系化し、統括し、そして防ぐことを目的として時の朝廷にまで抱えられたれっきとした技術職なのである。
片や『天正堂』はと言えば、組織の成り立ちからして異端である。開祖・大神鹿目が三人の霊能力者とともに開いた求道の徒として知られているが、職ではなく、また宗教でもない。いわば民間事業の枠を出ないボランティア精神さえ感じる彼らの子孫が、その歴史を六百年も紡いできたのである。六百年前といえば室町時代である。奈良時代よりも新しいとは言え、それでも相当気の遠くなる時の超越を誇りとしている。
が、彼らは技術職である『六文銭』とは違い、代々本物の霊能者たちで受け継がれてきた生粋の心霊エキスパートである。水と油だ。天才と努力家。そして本物と、ニセモノ……。
これは現代での呪術においても同様のことが言えるが、それらを扱う人間が等しく霊能者ということはないし、また、そうである必要もない。だが本来技術の体系化とはそういうものであるし、実際問題はさておき、「誰でも同じ結果を導き出せるように」呪法を取りまとめることが呪禁師の役割でもあった。
しかし例えば「式を打つ」ことに対して、材料と技法を用いて祭文を読みあげる技術職と、無言で己の霊体エネルギーを放つだけで事足りる本物とでは、あきらかにそれらを体感した庶民間での影響力に差が生まれる。一見して厳かな雰囲気を演出する呪禁師に軍配が上がりそうにも思えるが、実はそうではない。三神三歳や新開水留がよくやる「柏手」ひとつとってもそうだが、彼らが周囲に巻き散らす霊力は、その場にいる霊感の無い人間にもそれなりに波及する。つまり、感じるのである。この感じるという事の現実味が、両者に圧倒的な差を生んだ。
その差が、罪なのだ。
その差を埋めようとして磨かれた人の手に夜の技術の結晶が、新開の得た資料に書かれていた、『下法完成』という悲劇を生み出してしまったのである。
一枚の紙切れが、風に乗って俺の目の前に落ちて来た。
それは柳菊絵の手から放たれ彷徨うというよりも、あえて俺の前にその正体をさらしにきたかのようだった。その紙は傀儡どもが内包する呪物に仕掛けられ、触れた霊能者に呪いを打つという、呪禁師の恐るべき一手であった。紙には墨による筆文字で、こう書かれてある。
『詛体全統一、十八心房ノ呪』
この得体の知れない文字列が、『九坊』だってのか……?




