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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
110/146

[109] 「六花」16


 その手紙の存在に気が付いたのは、めいに言われてベッドの上に並んで座った時だった。枕もとに手をついた拍子に指先が手紙に触れ、封筒の一辺が目に入った。しかし次に見た時には手紙はめいの枕の下に仕舞いこまれていたし、そもそもその手紙が自分宛だと知らなかった私はほとんど気にも留めなかった。実際にめいの書いた手紙が私の手元にやってきたのは、深夜、眠っていたはずのめいが発作を起こした時である。

 特別に付き添いを許可されていた私は、消灯前に簡易ベッドが必要かどうかを夜勤の看護師に聞かれて「いらない」と答えていた。二日間丸々眠っていただけあって、時間の経過とともにどんどん眼が冴え、眠気など全くやってこないのである。めいの手前口には出さないが、美晴台へ向かった彼らのことを思えば、ぐっすり眠れるわけもなかった。



 その瞬間は唐突に訪れた。

 仰向けで眠っていためいの胸が、突然グンと盛り上がったのだ。

 ベッド脇の椅子に腰掛けながら考え事をしていた私は、一瞬何が起きたかわからず慌ててナースコールのスイッチを手に持った。

 だが、めいは穏やかな顔で眠っていた。

 見た目には、ただ単に大きく胸を反らしているだけなのだ。

「寝惚けてるだけ、なの……?」

 とつぶやいた。

 するとめいの顔がぐるんと私の方を向いて、「お姉ちゃん」と言った。

「め」


 ……お姉ちゃん、ここはどこ?


 私はナースコールのスイッチを放り出すと、立ち上がってめいの両肩を掴んだ。

「めい!どうしたんだ!起きろ!」

 めいは胸を下げて反り返るのをやめたが、瞼を開かなかった。すると穏やかだった彼女の顔に苦悶の表情が浮かび、うんうんと呻き声を上げながら左右に首を振り始めた。

 突然のことに私の思考回路も追い付かない。

「お姉ちゃん、苦しいよー……」

「めい!しっかりしろ!私はここにいる!めい!起きろ!」

「お姉ちゃん。何も見えない。どこにいるの。お姉ちゃん」

「めい!目を開いて!めい!」

 私は無謀にもめいの瞼を指でこじあけようとした。だが白い幕に覆われたような白濁した眼球が痙攣しているだけで、一向に目を覚ます気配は訪れなかった。

「めい!ここだよ、めい!起きて!」

「暗い。何も見えない。……あ」

「めい!?」

「あれはなんだろう……?」

「めい」

 どれだけ強く、そして何度めいの両肩を激しく揺さぶったところで覚醒することはなかった。それどころかめいの意識はどんどんと深い所へもぐっていくようで、治癒力しか取り柄の無い私にはどすることも出来なかった。

 その時、枕の下から私の足元に封筒が落ちてきた。

 一瞬目を奪われたその封筒に書かれていた宛名は、『秋月六花様』。

 私だった。

「……めい」

「あれは……あんなところに……」

 めいは何かを追いかけるように、空中に向かって目鼻を動かした。相変わらず瞼は閉じられたままである。

「めい!?何を見たの!めい!教えて!」

「いっぱいいる」

「い……何がいっぱいいるんだ?」

 めいが突然両目を見開いて私を見た。

 ヨーグルトに沈んだブルーベリーのように、黒目が白い粘膜の下に埋もれていた。

 皮膚を切り開くようにして真っ赤な下弦の月が出現し、耳の方まで柔肌を裂いた。

 それがめいの嗤った唇だと理解するのには、数秒を要した。


 ……感謝する。ようやく見つけたよォッ!


 そう叫んだめいの声はあきらかに老婆のものだった。瞬間的に、柳菊絵の声だと思った。

「めい!」

 今度はめいの腹部が持ち上がり、衣服の裾がはだけた。

「めッ……」

 めいの真っ白いお腹の中に、蠢く何かがいた。

 それはめいの内側から、ぐーーーっとお腹の皮膚を持ちあげている。

 小さな無数の手が、めいのお腹を突き破って外へ飛び出そうとしているように見えた。

「やめろ!めい!やめろよ!やめてくれ!」

 どんどんと皮膚が伸びる。

 どんどんどんどんめいの皮膚は内側から持ち上げられていった。

 そしてドプリと音がした瞬間めいの腹が裂け、中から枯れ枝のような手が突き出てきた。

 その手が空中で何かを掴むべく蠢いたと思いきや、めいが老婆の声で呟いた。

「……七人目だ」



 激しく両肩を揺さ振られて、私は自分が眠っていたことに気が付いた。

 病室に飛び込んで来た看護師はこの部屋からのナースコールで駆け付けてくれたらしいのだが、私にはスイッチを押した記憶がなかった。それどころは私には眠った覚えすらないのだ。

「どうされました?大分とうなされておいでで、なかなか目をさまされないので心配しましたよ」

 看護師は茫然とする私とめいを代わる代わる見、ともかく無事であったことを確認してほっと溜息を付いた。見れば、ベッドの上で汗びっしょりになりながら上体を起こしているめいも、私同様荒い呼吸に肩を上下させいた。

「……今見たものが、全部夢だったっていうの?」

 私とめいは見つめ合い、そして頷いた。

 ただの夢で終わらせていいとは到底思えなかった。

 そこへ、

「お姉さんも病み上がりでお疲れなんですよ、やはり簡易ベッドを用意しましょうか?」

 と看護師が声をかけてくれた。

「あ、いえ、すみません。大丈夫です。迷惑ばかりかけてごめんなさい」

 私が頭を下げて詫びると、優しい看護師は頬を染めて照れ笑いし、またなにかあれば呼んで下さい、と言ってくれた。

「……これは?」

 去り際、看護師が床から何かを拾い上げ、私に手渡して行った。

「あ、それ」

 とめいが声を漏らす。

 それは封筒の表面に『秋月六花様』と書かれた、私への手紙だった。

「これって、まだ読んじゃだめなやつ?」

 と私が聞くと、めいは口をもごもごもさせながら「いいけど」と答え、「私のいないところでなら」という条件を出した。

「ふーん」

 私は気分転換に自販機へとジュースを買いに行き、めいの病室前の廊下にある待合椅子に座って、その手紙を読んだ。今しがた見た悪夢の内容に気持ちが引っ張られていたせいで、ほとんど何の先入観もないままその手紙を読んだ、はずだった。それでも私は、読み始めて間もないほんの十数秒で、全てを忘れ去るほどの勢いで泣いた。



『 お姉ちゃんへ

  

  お姉ちゃん。

  いえ、秋月六花様。

  今更他人行儀なとお思いでしょうが、この手紙をかくにあたっては、それはとても自然なことのように、私は感じています。

  まずは、こんな私をここまで育てて下さったこと、心から感謝いたします。

  そして、私たち未熟な親子と関わってしまったばっかりに、実の親を見殺しにするような子どもを引き取らせてしまう結果を招いたこと、心からお詫び申し上げます。

  今思えば私は、本来であれば、あなたのような人に育てていただく資格も価値も何もない人間でした……。


  




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