表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
108/146

[107] 「新開」34


 制服を着た少女が食卓の上で仰向けに倒れていた。

 断言はできないが、ピクリとも動かない少女を部屋の入り口に立って見る限りでは、おそらく命はないものと思われた。傀儡として利用された人間の、これが末路だというのだろうか。

 秋月六花は、柳奈緒子という少女に対して「良い子だった」とその人間性を評価した。右も左もわからぬまま訪れたこの美晴台で、柳菊絵との橋渡しを買って出てくれたのがこの柳奈緒子である。となれば、そこには彼女なりにどんな思惑があったのだろうかとの想像してしまうのは自然の成り行きだろう。悪の手先として六花さんたちを罠に嵌めるつもりだったのか、はたまたその逆で、言葉に出来ないSOS信号を発していたのかもしれなかった。自ら進んで傀儡になりたい人間などこの世にいるはずがない。ましてやこの少女は、東京での就職に憧れた高校生だった。どんな闇を抱え、どんな人生を歩んできたにせよ、すくなくともここで死んでいい人間ではなかったはずだ。

「助けてあげられなくてごめんなさい」

 思わず僕の口から突いて出た懴悔の声に反応したのか、部屋のどここからガサゴソという物音が聞こえた。

 由宇忍はもといた椅子には座っていなかった。丁度僕から見て食卓の影になっている場所で、背後のキッチンシンクにもたれかかりながら床に尻をつけ、お腹を押さえてさめざめと泣いていた。その涙がどこから湧いてくるものなのか、この時の僕にはまだ理解出来ていなかった。

「君たちの仲間がこの村を調べ始めるという話は、聞いて知ってた」

 そう言った由宇忍の傍らに立ち、僕はどういう意味かと問うた。

 僕と由宇忍は子供の頃にこの美晴台で会っている。だから、僕のことを知っていた、いう意味ならば分かる。だが僕の仲間たちの存在を知っていた、とはどういう意味なのだろうか。ただ単に僕たちの動きが把握されていたこととは、また違った意味合いに聞こえるのだ。

「奈緒子はずっと怯えてた」

「……」

「ずっとこの村を出たいと思ってた。だけど私がどうなったかを奈緒子は聞いて知っていたから、その勇気が出なかったんだ。私も、奈緒子に何もしてあげられなかった」

 僕の質問に答えるわけでもなく、正直に言えば彼女がなんの話をしているのか分からなかった。だが、黙って聞かなくてはいけない話なのだと僕は直感した。

「……君と、あともう一人眼鏡をかけた男の人に出会ったって、奈緒子そう言ってたよ」

「出会……った?」

「奈緒子はそう言ってた」

 僕と坂東さんが訪れた図書館でのことを言っているなら、あれを出会いと呼ぶべきなのだろうか。異形の者と化した少女の襲撃を受けたものと、僕たちの方ではそう認識していたからだ。

「だけどあの子はほとんどその時の記憶が残っていなかった。自らの意志で君たちに会いに行ったわけじゃないって、そんな風にも言っていた。まるで大きな力に導かれたようで、気がついたら、図書館で寝てたんだって……。でも、確かに君と、もう一人の男の人に会ったんだよって」

「大きな力というのは……つまり」

 傀儡として操られていたということか。

 僕はその言葉をぐっとこらえて、由宇忍の話の続きを待った。

「それは以前から度々ある、私たちにとっての守護霊なんだよって、私は奈緒子に教えてあげた」

「……しゅ」

 守護霊?

 一体なんのはなしを……

「御曲がりさん。あの人は昔からそう呼ばれていたよね」

「お」

 ガツン、と頭を殴られたような衝撃だった。

 由宇忍はこう言いたいのだ。

 傀儡として使役される運命に怯えつづけた少女は、御曲がりさんというかつての霊能者の導きにより僕と坂東さんのもとへ会いに来たのだと……。

 あの日、確かに僕は見た。現場から立ち去ろうとする坂東さんと、図書館の床に横たわる傀儡の少女。そして少女が机に向かって殴り書きしていたノートには、同じ言葉がびっしりと書き込まれていた


 カエセ。


 それは柳菊絵の家の仏壇から聞こえてきた言葉だ。

 それはR医大病院に現れた天原秀策の霊が繰り返した言葉でもある。

 そして僕たちの前にも御曲がりさんは現れていたのだ。

 運命に囚われた哀れな少女の姿を借りて。

「私はまた、子どもを守ってあげられなかった」

 両目からはらはらと大粒の涙を流して由宇忍は嘆いた。

「また、子どもを失った……どうして、私は……あぐッ!」

 体を震わせた由宇忍の尻の下から大量の水が溢れた。破水したのだ。

「救急車を呼びます!」

 携帯電話を取り出す僕に、

「もう遅い!」

 と由宇忍は叫んだ。「ここで産むッ」

「こ、無茶だ!例え生まれたとしても救急隊を呼ばないことにはまともな処置なんか出来ないぞ!」

 由宇忍はスカートの中に手を入れると、おそらくそのまま下着を引き裂いた。

「何をッ」

「君が抱えて逃げて欲しい」

「に」

 抱えて逃げるだって?

 生まれたばかりの赤ん坊をか?

 馬鹿なのか?

 正気じゃないのか?

「由宇さん」

 由宇忍の前にしゃがみ込むと彼女は顔を俯かせ、僕にだけ聞こえる声でこう言った。

「子どもを死なせたのはこれが初めてじゃない。奈緒子が初めてじゃない」 

 そして両手でお腹の子を抱きしめながら、言う。

「お願い。今度は逃げないで……」

「……ま、さか」

 僕は無意識のうちにその場でへたり込み、尻もちをついたままじりじりと後退した。

「まさか……あの時もそうだったっていうのか……?」

 僕たちが玄関の扉一枚を隔てて向かい合ったあの日。

 あの時もあなたは、今と同じ状態だったっていうのか?

「あなたは……あなたは一体なにをされたんだ」

「この子も必ずまた利用される。この子を連れて逃げて」

「何を言ってるんだ!」

「うううッ」

「お腹の子どもは一体誰の子なんだ!」

「あああああッ!」

 由宇忍が叫び声を上げて天井を仰ぎ見た。

 白く張り詰めた首筋が露わになり、汗で顔に張り付いた髪の毛が艶めかしく光った。

 開いた両膝がガクガクと震え、そしてついには内腿の間からズルリとそれは滑り出た。

 この昏い現実へ、新しい命が転げ落ちてきたのだ。

 顔を上げた由宇忍の両目が見開かれ、その目はしかし僕の背後を睨んでいた。

「奈緒子」

 その言葉に驚き振り返ると、食卓の上に倒れていたはずの少女がユラリと立ち上がって僕らを見下ろしていた。それは柳奈緒子であり、由宇忍の娘であり、だが人ではなかった。

「奈緒子、奈緒子」

 由宇忍は娘の名を呼びながら、必死に足を動かして生まれたばかりの子を隠そうとした。

 僕は立ち上がり、なるべく直視しないよう柳奈緒子の足元を見ながら上着の懐に手を入れた。『小福』を握った瞬間、成留のことが思い出された。



 僕はもう一度成留に会えるだろうか。

 辺見先輩は、無事家に帰れただろうか。

 きっと成留は喜んでいるだろうな。

 あの子には申し訳ないことをした。

 だけど先輩がいれば安心だ。

 少なくとも、成留が淋しい思いをしなくて済む。

 自分で選んだ道だけど、先輩と、自分の娘を事件に巻き込んでしまったことは悔やんでも悔やみきれない。

 もし無事に帰れたら、今後のことを三神さんに相談してみよう。

 ……あああ、三神さんは記憶を失くしてしまったんだった。

 もう、なにもかもがめちゃくちゃだよ。

 辺見先輩、僕たちの運命は、いつからこうなるよう仕組まれていたんでしょうか。

 僕と出会ったことを後悔していませんか?

 僕は、先輩に出会えて幸せでした。

 成留。

 会いたいよ。

 だけどお父さんは、今目の前にある小さな命を見捨てることがどうしても出来ないんだ。

 ごめんな。

 君より大切なものなんで世界中どこにもない。

 だけど、ごめんな。



 柳奈緒子の異常に長い手が、僕の頭の上に伸びてきた。

「由宇さん、走ってください」

 まだへその緒が繋がったままの母と子である。僕を置いて二人一緒に逃げてもらうしか、他に方法はなかった。足首の折れた坂東さんを呼んだ所で、もう間に合うはずもない。……これでいいんだ。

 人間の悪意の前に僕たちは、いや僕は、なんて、どこまで無力なんだろう。

「悔しいなぁ……」



 だけど文乃さん。

 僕はこれで、良かったんですよね?

 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ