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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
107/146

[106] 「坂東」24


「爺様に全部任せとけば良かったなぁー……」

 無意識に呟いた俺の嘆きに、新開が唇を結んで悲し気な顔をした。

 俺は正直、柳奈緒子の家と思しき玄関のたたきに倒れ込むまで、自分がどうやって命を繋ぎ止めたのか理解していなかった。目をやると傍らの上り框には、背中をごっそりと削られた瀕死の直政がうつ伏せに倒れている。

 ……傀儡の投げた呪物をまともに食らったこの男を背負い、必死に逃げた。

 俺が覚えているのはそこまでで、今こうして目の前にいる新開といつ合流したのか、子犬のように震え泣く光政がいつからそこにいるのか、全く分からなかった。ただひとつ、次から次へと脂汗が沸いて出る程、右の足首が猛烈に痛かった。

「兄さん!」

 光政は背中の肉を大かた持っていかれた兄にすがりつき、どうしてよいかわからぬ状況におろおろと震えて泣いている。秋月六花の存在が、俺たちにとってどれほど心の支えになっていたのか、この時ほど実感した瞬間はなかった。瀕死の状態である直政にしろ、足首が折れたらしいこの俺にしろ、六花姉さんさえこの場にいれば一瞬で戦線へ復帰できるのだ。いや、死なずに済むのだ。

「どうすりゃいいんだ、新開!何があったんだよ兄さん!兄さん!俺はどうすりゃ!」

 喚く光政、青ざめながらも思案に顔を曇らせる新開の隣で、

「うるせーな」

 と、直政が答えた。

 俺も新開もぎょっとなって思わず直政へと身を寄せた。

「ダイエットだよ。なぁ、おっさん」

 直政はうつ伏せのまま微動だにしない。だが口だけを動かして憎まれ口を叩いているのだ。どチンピラが、見上げた根性である。

「兄さん、もうダメかと思ったぜ」

 ごしごしと涙を拭いながら安堵する光政に、俺はつい口を開きそうになる。お前は大丈夫なのか、と。だがうつ伏せのまま動けない状態とは言え、直政がそれを許さないだろう。

「俺りゃあよう、光政。例え今日死ぬんでも明日死ぬんでも、このおっさんに守られて今を生き延びたかねえんだよ」

「兄さん」

「だったら俺は、今死ぬね」

「言ってろよ青臭いガキが」

 言い返す俺の横で、新開は苦笑を浮かべた顔を呆れたように左右に振った。

 俺はたたきに座り込んだまま直政の背中に手を乗せると、

「そう言われるとな、ここはひとつ恩を売っておこうと考えるのがいっぱしの公務員だよな?」

 そう言って新開に作り笑いを向けた。あまり経験はないが、霊力による施術、つまりは『手当て』を試みたのだ。三神のオッサンが得意とする技法のひとつで、対象者にめぐる気の流れを操り、自然治癒力を高めるなどの効能が期待できる……はずである。六花姉さんほどの即効性はないが、同じく霊能者である直政相手になら、少しは期待出来るかもしれない。

「お、俺も」

 光政は見よう見真似で手当てを行うものの、俺の見た限りでは光政の手からは霊力の放出はなかった。俺もどちらかと言えば得意な方ではないが、そもそもが非科学的な心霊医療だ。目に見える部分に答えなんてないのだろう。直政はいつ死んでもおかしくない。しかしだからと言って、何もせずにただ指をくわえて見ているわけにはいかないのだ。そして最後に新開が黙って手を伸ばした。

 その時だった。


 ……ギ。


 家の奥から物音が聞こえた。

 ヒ、と息を飲んで光政が尻もちをついた。

「ああ……」

 新開が喉の奥から溜息のような声を漏らし、見れば奴と光政の顔には明らかな怯えが浮かんでいた。忘れていたわけではないが、今ようやくはっきりと思い出した、そんな顔にも見えた。

 俺は眉間に力を込めて家の奥を睨んだ。当初の見立てではこちらの家には一つの気配しか感じられなかった。だが今は前方十メートル程先の部屋に、二つの人影が見える。

 ……いや、おそらくその内ひとつは人ではない。

 この家にも、恐るべきモノが現れたのだ。

「ん?」

 ただし違和感があった。

「新開」

 と奴の名を呼ぶ。

「は、い」

「お前、中に入ったか?」

「はい」

「……会ったか」

「はい」

「『U』か?」

「……はい」

「じゃあ、もう一つはなんだ?」

 尋ねる俺の眼を、新開の見開いた眼が見返した。

「傀儡が、現れたのか」

「そうです」

「じゃあ……」

 俺は視線を家の奥に向け、再度例の部屋に位置する何者かの気配を視た。

 いるのだ。

 その部屋にはもう一人いる。

 だがしかし、そのもう一人は極体に小さかった。

 子犬か、猫か、あるいはそれこそ……赤……。

 そこから先の想像を俺は言葉に変換出来ず、バカみたいに開いた口を閉じることも忘れてしまった。

 新開が言った。

「そうです、坂東さん。由宇忍は……妊娠しています」

 その瞬間、奥の部屋から女の呻き声が聞こえた。それは悲痛な唸り声であり、聞く者が聞けばすぐに理解できたことだろう。

「誰の子だ」

 と俺は聞いた。

「わ、分かりません」

 突如聞こえた唸り声に顔を青くしながら、奥の部屋を見つめる新開は上擦った声でそう答えた。

「新開」

 と呼んだ。

「……新開っ」

「へ、あ、はい」

「子供のいない俺にはよく分からんが……あんなに動くものなのか」

「な、なにがですか」

「これから生まれる腹の子は、あんなに動くものなのか」

「な、何を言ってるんですか? これから?」

 俺は目を凝らして奥の部屋を睨んだ。

「俺には、赤ん坊が今すぐ出てこようとしているようにしか見えないんだ……」

 新開が立ちあがり、一目散に奥の部屋へと駆けて行った。

 俺は激痛の走る右足を庇いながら玄関のたたきを這い、そっと扉を開けて外を見やった。俺の背後で光政が「やめろ」「ばかやろう」と小声で乱暴になじった。

 俺は左足で光政を蹴った。

「痛っ!お、おっさんをここまで運んだのは俺だぞ!」

「そうか、ありがとうな。いいからとっとと119番通報しやがれ!」




 二神七権力と柳菊絵が対峙しているのが見えた。

 俺の中では今回のこの事件、解決策を講じる段階はとっくに過ぎ去ったものと感じていた。犠牲者が多く出過ぎたのだ。事件を未然に防ぐことも出来なければ、犯人を特定して一日も早い事件解決に導くことも出来なかった。二神七権が現れるまで、俺たちは柳菊絵が犯人であると疑いこそすれ、証拠を揃えるにいたらないままこの村まで来た。

 あと一歩で追い詰められたのか。

 全ては柳菊絵の手の平の上であり、ただ誘い込まれただけなのか。

 どちらにせよ俺は怪我を負い、記憶がぶっ飛ぶほど窮地に追い込まれた。

 そして、穂村直政は死にかけている。

 二神七権の登場に安堵する俺がいて、何も出来ないままこうして無様に這いつくばっている。

「二神さん……俺は」


 やることやったら、とっとと消えるさ。


 不意に、声が聞こえた気がした。

 下界へと降りた二神七権を街で見かけた俺は、誰もいない児童公園で爺さまと二人きりで話をした。九十を越えてなお食欲旺盛なご老体を褒め称えると、爺様は真顔で「今年いっぱいだ」と言った。そして、やることをやったら、消える、そう断言したのである。

「風の音が聞こえないか?」

 二神の爺様はそんなようなことも言った。

 耳をすませばいつだって、風の音くらいは聞こえてくるだろうに。

「発車のベルに似た、そういう音がやがて聞こえてくるだろう。そうなればもう、決して止まることなぞできんのだ」

 吟遊詩人のような言葉を残し、爺様は俺の前から姿を消した。

 今この時、美晴台という呪いのるつぼのような村に降り立った二神七権は、やはり風の音を聞いたのだろうか。鳴り響く発車のベルを聞いたのだろうか……。


 





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