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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[103] 「希璃」12


 大学生の頃から怪談話には縁があった。

 霊感があることをひけらかしもしない代わりに、嘘をついてまで隠そうとしない変わり者がそばにいたせいで、一時期などは大学内でも色々な噂を立てられ、風変わりな存在として見られていた。だがそれも今となってはいい思い出だし、当時から別に嫌だったわけでもない。なんなら、普通の大学生活をエンジョイすることに飽いていた私には都合が良かった程である。もちろん、心霊現象を娯楽と捉えていたわけではないし、これは私の個人的見解だが、死者を身近に感じることで、自分の生を強く意識していたように思うのだ。

 怖いものは怖いし、今なら分かる、「霊障」による精神的な疲労や不快感なども、敢えて体験したいとは思わない。しかし、生きた人間がいたからこそ死があるのだ、という当たり前のことを忘れなければ、この世の中に溢れかえる死者たちの魂だって、そう恐れたものではいと感じていた。


 ……私にはきっと、想像力が欠如していたし、そして決定的に、経験値が足りなかったのだ。


 まぼちゃんから「成留が呪われる」と聞いたとき、私の頭の中で音が鳴った。ひと言でいうならばそれは、守護神スイッチた。

 母親としてだとか、女としてなどと言いたくはない。

 きっと立場が同じなら、新開くんだって私と同様の行動に出るはずだからだ。

 私はこの時、この世に存在するあらゆる悪意を認めない、そういう気持ちで一杯だった。もしもその悪意がなんらかのきっかけで成留に向かおうものなら、私は命を賭してその相手を殺すだろう。とは言え、新開くんが私に語ったように、自分が体を張ることで成留を守れるならば当然そうする。だがもしも、我が子を守るためには敵を殺さねば止められないとい言われたら、私は殺す。自分がどんな罪で裁かれようと、喜んで受け入れる。子どもを守れた誇りを胸に、裁かれてみせる。

 私は誰よりも成留の守護神でいなくちゃいけないのだ。


 ……それが、本当は成留のためになんてならないことも、それが、自分自分を燃やし尽くす、ただの安っぽいプライドと怒りでしかないことも分かっていた。クリスチャンとして恥ずべき裏切りであることも、当然理解していた。だけど、それでも私は新開くんの子を守りたかったのだ。ほかの誰でもない、自分自身の手で。




 真夜中だというのに、私が玄関の扉を静かに開けると、家の奥から、

「お母さんだ!」

 と叫ぶ成留の声が聞こえてきた。

 実家の父と母は、成留がここ最近深夜になってもなかなか寝付けないでいたことを、ずっと私に隠していた。私を心配させまいとする親心だったが、却って私は成留に対する申し訳なさに涙が溢れた。

 父も母も、私に霊感があることや、夫である新開くんの仕事を理解してくれている。それは同レベルでの知識の共有という意味ではなく、相手の意志を尊重するという意味だ。本当に理解をしていれば、新開くんの仕事がどれほど危険と隣り合わせかということに、心中穏やかではいられないはずなのだ。ある程度様々な事象に対して免疫のある私ですら毎日気を揉んでいる。初孫が可愛くて仕方がない父と母であれば、なおさらだろう。

 それでも、私が呪い(もしくは呪いに似た何か)を受けたことでチョウジから隔離の要請を受けた時も、父と母は理由を追求せずに娘の出す無理難題を引き受けてくれた。本当にありがたいと思う。だが、そういった人間的な距離感の妙というものは、長年培ってきた親子関係による信頼があってこそ成り立つのだ。三歳になったばかりの成留に、母親である私が全く家に帰ってこない理由など理解できるはずがなかった。

 私の胸に飛び込んでひと言も発さず、泣き叫ぶのを堪えている成留を抱きしめ、私も父母も声を殺して泣いた。

 三歳児にとって深夜の時間帯は未知の領域である。おかしなテンションでその日にあった出来事を大袈裟に身振り手振りで話す紅潮した成留の顔が、気を抜くと泣き顔に戻るのを私はただ笑顔で眺めた。成留は話が途切れるのを嫌うかのようにいつまでも話しつづけた。まるで会えなかったこの数日の淋しさを埋めるように、あるいは私がまたどこかへ行ってしまわないように、もしくは、またどこかへ行ってしまうことを覚悟して、今この時が過ぎ去るのを惜しんでいるのかのように。

 私は、自分の膝に成留を乗せて背後から娘を抱きしめようとした。しかし彼女はすぐに私の腕を振りほどき、私の目の前に立ってこう言うのだ。

「お母さん、明日もいる?」

「いるよ。ずっと成留といるよ」

「お仕事お休み?」

「うーん、本当はお休みじゃないけど、少し休ませてもらってるんだよ」

「成留も保育園、行かなくていい?」

「どうして?」

「少し休ませてもらおうかな」

「あはは、じゃあ、そうしようか」


 お母さん、明日もいる?

 いるよ、ずっと成留といるよ。


 この会話を、無尽蔵と思われた彼女の体力が尽きて眠るまでの間で、五回繰り返した。

 最初の二回、三回目まではそのままの意味として受け止め、心から愛おしく思う娘へ「ずっと一緒にいる」と答えていた。だが、四回目、五回目ともなると、私の胸の中に不安が広がり始めた。

 果たして私に、明日はあるのか。

 ホントに明日も、私は成留と一緒にいられるのだろうか……?



 

 シャワーを浴び、着替えを済ませて寝室に戻ったところ、部屋の中央でぼーっと立っている成留を見つけて息が止まる程驚いた。だが思い起こせば、これまでも何度となく寝ぼけて立ち上がることはあったし、今もまだ眠っているのだろうと、彼女の体を抱きしめて布団へ戻そうとした。

 しかし、成留はそれを拒んだ。

「……な」

 成留の両目は開かれ、あらぬ方向を見ていた。

「成留!?」

 私たちがいる部屋は、私が結婚するまで使っていた自分の部屋で、一戸建ての二階にある。月の出ている夜で、閉ざされたカーテンからも夜空の明るさが透けて見えていた。成留は窓の外を見上げるようにして立ち、しゃがんで抱きしめる私の腕の中でこう呟いた。

「誰、かなあ」

「……成留?」

「天狗さん、かなあ」

「て?」

 抱きしめた腕を緩め、成留の眼を覗き込だ。

 彼女は何もない空気中の一点を見つめたまま、かすかに首を傾げた。

「誰かなあ」

「わ、『ワンワン』じゃない?」

「ワンワンじゃないよ」

「……誰か、いるの?」

 尋ねる私の眼を、成留のつぶらな瞳が見つめ返して来た。

「いるよ」

「どこに? 部屋の中? お外かな?」

「外」

 私は立ち上がって窓の外を確かめようとした。が、

「ダメよ」

 と成留がそれを止めた。私は再び成留のそばにしゃがみ込んで、こう聞いた。

「外にいるのは……一人?」

 成留は頭を振った。



 ……たーくさん、いるよ。













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