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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
103/146

[102] 「六花」15


 怖い、というのとも違う。

 さみしい、と感じるほど若くもない。

 隣にはめいがいて、今は近くに悪い気配も感じない。

 しかしそれは病院内の空気が清浄なだけであって、三神幻子が出陣し、新開希璃が子どものもとへ帰ったあとの部屋に残るのは、穏やかさともまた違った、静かな不安だった。

「心配だね」

 と、めいが言った。

 R医大病院の病室に、まだ私たちはいる。

 私はベッド脇に椅子を置いて座り、自分が浮かべた笑みにぎこちなさを覚えながら頷いた。

 大丈夫だよ、と微笑み返せない自分の大人げなさに腹が立った。私は今、年の離れた妹、しかもついさっきまで眠っていた病み上がりの妹に心配されるほど、マイナスな顔をしていたい違いないのだ。

「座って」

 ぽんぽん、とめいが自分の隣を手で叩いた。

 私は膝をついてベッドに上がり、めいの隣に並んで座った。

「眠っている時にね」

 とめいは言った。「夢を、見ていたんだよ。……多分」

「多分って。覚えてないって意味?」

「ううん。覚えてるんだけど、これといった物語はないんだ。色んな人たちが出て来て……だからね、いやな夢ではなかったよ。……みんながいる夢だったから」

「みんなが……」

 いる、夢。

 めいの言う「みんな」というのが誰のことを言っているのか、そこを問いただすほど野暮ではない。代わりにめいは、自分が見た夢の断片を私に教えてくれた。

「新開さんには、さっきも希璃さんに言ったみにいに、たくさん本を紹介してもらったから、夢でも本の話、してたような気がする。希璃さんとは二人でお料理研究会を作って、一緒にお料理の勉強をして。まぼちゃんとは美味しいチョコレートの話をした。世界中のチョコレートをね、おみやげに買ってきてくれるの。チョコ好きの三神さんと、私に。それから、お姉ちゃんとは銀座でお寿司。カフェでランチ。あと、焼肉」

「食べることばっかりだねえ」

「あはは。そう、うん。……なんか、目が覚めて、記憶の片隅に引っかかってるそれらの夢を思い出そうとしたときにね、ふと、あ、これって走馬灯みたいだなって」

「やめてよ」

 反射的に返した私の言葉が思った以上に強く出て、めいは焦った様子で、

「違うの」

 と繰り返した。「夢ってさ、想像力でもあるんだけど、思い出もあったりするなじゃい? だとするなら私は、私ってやっぱり幸せだなって、そう思ったのよ。こうなってみて、今もずっと体の中の、どこか隅っこの方で怯えて震えてる自分がいる。だけど、絶対に守ってみせるよって心強い眼をしてくれるお姉ちゃんがいたり、素敵な友人たちが、たくさんいたり」

「……うん」

「夢を見る、って。素敵な言葉だよね、お姉ちゃん」

「……そうだね」

「まぼちゃんみたいな予知能力はないけどさ。ウンウンと苦しみながら寝てたわけじゃないし、断片的にしか思い出せないけど、私が見た夢は、とても素敵な夢だったんだよ。だから」

「……」

「きっとみんな大丈夫だよ」

 めいの穏やかで優しい声を聞きながら、私は考えていた。

 いつの間に、私は励ます側から励まされる側になっていたのだろうか。

 年の離れた妹に心配されることや励まされることが嫌なわけではない。どちらかと言えばめいが、こんなにもしっかりとした考えを持ち、そして他者を思いやることの出来る素敵な女性になったことを、心底嬉しいと感じている。だがそこには、ほんの少しのさみしさもあった。

 私はもう本当はめいに向かって、「あなたを守る」なんて言葉を口にしない方がいいのかもしれない。それはしっかりと自分の足で立っている立派な大人には、単なる子ども扱いだと受け取られるのかもしれなかった。

「そっかー」

 と私は答え、「そうだねえ」と頷いてベッドに仰向けに寝転んだ。そうすることしか、出来なかった。

「……なんて、くつろいでもらってるところ悪いんだけどさ」

 とめいが言う。

「ん、何?」

「お手洗いに行きたいんだけど、肩貸してくれない? なんかちょっとまだフラ付く気がするんだ」

「ほいきた」

 私は自分の肩にめいの腕を回して、病室からそう離れていないお手洗いまで歩いた。

 深夜の病棟は灯りこそついているものの、やはり怖いくらいに静かだった。素足に履いためいのスリッパが、リノリウムの廊下に当たってパンと音を立てる。たったそれだけの音がものすごく遠くまで響くのだ。自然私たちは声を潜めて歩いた。

「……」

 不意にめいが立ち止まって、私の肩越しに背後を振り返ろうとした。

「どうし」

「しっ」

 めいは唇に人差し指を添え、そのまま視線を背後に向けたまま押し黙った。

 いやな緊張感が胸中に広がる。

 しかしめいは別段怯える様子もなく、ただ黙って、耳を澄ませていた……。

 声を発することなく唇を動かしていためいが、やがて私を見上げてこう言った。

「廊下を戻ったところにね、看護師さんの詰め所があるの」

「……うん」

 確かに、階段を登ってすぐにのところにナースステーションがある。

「看護師さんが二人で話してた。最近K病院から転院してくる患者さんが多くて、嫌なんだって」

 こともあろうにめいは、三十メートルほど離れた場所にある詰め所内の会話を聞き取ったのである。『超聴力』はとかく霊体の声を拾う一面ばかりがクロースアップされて来たが、単純におそろしく耳が良いことを知っている私にとっては、なんとなく懐かしいような感覚でもあった。中学生の頃はよく、こうしてどうでもいい他人の会話を盗み聞きしてはイタズラっぽく笑っていたものだ。だが今は、めいの顔に笑みはなかった。

「色々あったからね、あっちは」

 と私が言うと、めいは向き直って再びお手洗いを目指した。

「嫌だなんて、言ってほしくないね、それでも」

「まあね。正脇茜の死からしてすでに変だったんだ。そこに加えて有紀くんに、小原さんまで」

「うん」

「あの人が死んだなんていまだに信じられないよ。そんなに親交があったわけじゃないけど、三神さんが本部を出た後、ずっと『天正堂』を支えてきた人だからね」

「優しい話し方をする人だった」

「うん。……だけど本来、傷を癒す場所であるはずの病院で人が死にすぎたんだ。誰を責めることもできないさ。責めるんなら、敵を責めよう」

「敵……」

 漠然とした言い方をしたつもりだったが、却ってその不透明さは不気味に思えたかもしれない。

 めいは力のない声で、

「希璃さん、大丈夫かなぁ」

 とつぶやいた。

「後で電話してみるよ」

 私がそう返事をした、その瞬間だった。

「誰!」

 私の肩に腕を回していためいが、足元を見ていた顔をガバッと持ち上げた。咄嗟にそれを真似た私の目の端に、何かが映って……消えた。

「な、……なん、なんだ今の」

 真っ直ぐに伸びる廊下の前方、約二十メートルほど先の曲がり角だった。

 人影が見えて、そして角の向こう側へと消えた。

 ほんの一瞬の出来事だった。

「誰かいるのか?」

 と小声でめいに尋ねた。姿形が見えなくても、足音や息遣いをめいならば聞き取れるはずだった。

「……」

 めいはじっと廊下の曲がり角を見つめ、息を殺して耳をませた。


 ……女の子。


 とめいは言った。

「女の子? こ、こんな時間に?」

「多分。まだ中学生くらいの子かなぁ。ゆっくりとした足取りで、とても静かに歩いてる」

「この世ならざる者……か?」

 私の問いにめいは首を横に振り、分からない、と答えた。

「静かすぎて、よく分からない」

「生きてる人間かもしれないの? もう真夜中だよ?」

「んんー」

 めいは可愛く唸り、そして、

「お姉ちゃんトイレ」

 と弱り切った声を出した。

 お手洗いは目の前だ。私は再びめいの腕を肩に回して歩き始めた。




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