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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
102/146

[101] 「坂東」23


 俺の見立てでは古い方の柳家からは四つの気配を感じていた。

 内二つは目の前に立ちはだかる傀儡、堀口と正脇汐莉(マサワキシオリ)である。汐莉に関しては、姉である茜の突然死以降行方が分からなくなっていた。汐莉の住んでいた部屋を何度か訪れたが音沙汰なく、居留守を使われている様子もなかった。不動産屋に聞けば、その部屋の借主が柳菊絵であるという驚愕の事実を知ることもできた。だが、ずっと居場所が分からなかった。

 もちろん直観や経験則も重要だ。だがそれはあくまでも二者択一を迫られた場面で物を言う判断力であり、あくまでも俺たちは足で稼いだ丁寧な捜査によって、外堀から疑惑を埋めていくはずだった。だがずっと、最初から、敵は美晴台に集まっていたのだ。

「いらっしゃい」

 と、柳菊絵の声で堀口は言った。俺たちが来るのを待ち構えていたようにしか思えなかった。

「こけにしやがって。お前ら一体何なんだ、何がしたいんだ!」

 俺は右手を額にもっていき、幽眼から放たれる熱線で傀儡どもを薙ぎ払うつもりでいた。

 しかし、這いつくばったまま弟のもとへ向かわんとする直政の苦痛に満ちた呻き声を聞きながら、果たして、と思う自分もいた。目の前の傀儡どもを問答無用で消し去ってよいものだろうか。首と腹から分断されかけた直政の原動力は、光政への兄弟愛だ。堀口と正脇汐莉にも、大切な誰かはいたのだろうか。

 いや……いないはずがないのだ。

 天井を見上げる。

 この家のどこかに、あと二つの気配がある。だが二つともが不可思議な移動法を用いて居場所を変えており、一つ所には留まっていない様子だった。

 俺は突然の痛みに身悶えする直政の体を担ぎあげると、その場から動かない堀口と正脇汐莉を見据えながら後退を始めた。



「悪い」

 ゆっくりと後退しながら玄関を目指す俺の肩上で、直政が呟いた。

「クソ重てえな、痩せろガキが」

「口の悪い刑事だなぁ」

「来たぞ」

 追ってくるような気はしていた。

 何枚目かの襖を後ろ手で開いた辺りで、二体の傀儡どもがこちらへ向かって前進を始めたのだ。姿が見えていた分驚きはさほどでもなかったが、やはりな、という落胆は強かった。

 浮遊霊や地縛霊と違い、傀儡どもには『九坊』に関する何かしらの行動目的がある。でなければ、全自動で霊能者を襲う真似などするわけがない。俺なりのひとつの解答である、『九坊』という呪詛を目標に到達させるための器として傀儡が存在するならば、目の前の霊能者が離れて行けば追ってくるに違いないのだ。

 だが、不思議に思う面もあった。

 俺たちがこれまで相手にしてきた呪術とは、その法則に限って言えば大きな剥離を感じるのだ。ひと言でいえば、呪いは、傀儡どもに運ばせなくとも対象者へ届くはずなのだ。呪力に距離は関係ない。縁さえあれば、相手がどこに居ようと呪いの効果は成就するのである。傀儡どもが何のために存在しているのか、そこにはまだ理解しきれていない謎が隠されているようだった。

「何がしたいんだ、奴らは」

 苛立ち紛れに言った俺の言葉に、

「どうして」

 と直政は反応した。

「あ?」

「……どうして、この村の連中ばかりなんだ」

「……」

 確かに、と思う。

 基本に立ち返って考えてみれば、その謎も全く解けていなかった。

「ずっとずっと不思議だった。ビスケさんの勧めでこの村を出てようやく、マシな生活を送れるようになったってのによ」

「ならいいじゃないか」

「結局人が変わっただけで、この村の連中ばかりが悲惨な目にあってる、どうしてなんだ」

「……三島要次は何も教えてくれなかったか?」

 俺の問いに直政は黙り、そのまま口を噤むかと思われた。が、

「巻き込みたくない」

 と直政は続けた。「爺さんはそう言ってた。あの人が昔刑事だったことはガキの頃に聞いてた。村のことを調べてることにも、なんとなく気が付いてた。けど、俺たちを巻き込むまいとして、今の仕事を始めるまではなんにも教えてくれなかった。今だって、自分で調べた以上のことはほとんど何も知らない。時たま答え合わせに行って、イエスかノーの返事をもらってただけなんだ」

「……そうか」

 新開が崖団地で穂村兄弟とすれ違ったのも、その「答え合わせ」の一場面だったのかもしれない。

「ただ」

「ただ?」

「俺たち兄弟が普通の人間にはない力を持ってると知った三島さんが、『天正堂』を勧めてくれたんだ」

「三島要次が?なぜだ」

「十五年ほど前までこの村にいた……ある男の存在があったからだと」

「……天原秀策(アマハラシュウサク)、か?」

「ああ」

 背後を気にしながら後ろ手で襖を探り、開け、前方の傀儡どもの動きを注視しながら右肩に巨漢を担いで歩く。会話することでなんとか極限の緊張を和らげてはいるものの、正直、この状態は長くはもちそうになかった。

「正脇姉妹も、この村出身なのか?」

 俺が尋ね、そうだ、と直政が応えたその時だった。

 

 ビチャ。

 

 と俺の足元に何かが落下した。

 天井を見上げるも、何もない。

 足元に落ちているものは……一体。

「こいつぁなんだ?」

 赤黒い肉片のような、汁気のある生ゴミのようなものだった。

 まだ濡れてヌメヌメと光り、畳に黒い染みを作っている。

「……うッ!」

 正体不明のそいつはしかし、ものすごい臭気と共に耐えがたい穢れを放っていた。

 手で触れてもいないのに、足元から這い上がるように呪力を立ち昇らせてきた。

「こいつはやばい。やばいぞ」

 顔を上げると、追ってくる堀口と正脇汐莉が丁度同じものを投げつけてくるところだった。まだ俺たちの間には二十メートル近い距離がある。二部屋分ほどの距離があるものの、奴らが軽く放り投げたそれは放物線とともに血飛沫のようなものを滴らせながら飛来し、ビチャリと足元に落ちてきた。正脇汐莉などは手首から先がないため、腕を振って手首の断面から血と小さな肉片を飛ばして来ている。俺が後退し続けていなければ、それは俺たちの体のどこかにぶつかったことだろう。

 俺は直政を担ぎ直し、

「揺れるぞ、堪えろよ」

 と念押しした。四十半ばにはきついが、走るつもりでいた。

 ビダダン。

 なおも傀儡どもが謎の呪物を投げてくる。

 見る間に畳一面に赤黒い血の沁みが広がる。

 そして吐き気を催す悪臭が部屋を満たしていく。

「俺を、盾にしろ」

 と直政が言った。

「盾だあ!?」

「霊障には強いんだ。この家から出るまでの間くらい、あんたの盾になれるだろうよ」

「本当かよお前、嘘だったらしょうち……」

 

 ビタ、と奴らの投げた呪物が直政の背中に貼り付いた。


「……っぎッ!」

 直政は俺に担がれていることも忘れてのたうちながら絶叫した。

 『九坊』の呪式を運ぶ傀儡どもが、その身を千切って投げてくるのだ。

 その呪物の正体がなんであれ、呪い返しの術式を講じない生身の人間が受けて無事で済むはずがなかったのだ。

 俺は踵を返し、傀儡どもに背を向けながら全力で走った。

 すぐにこの家全体に満ちている禍々しい霊気が、走り出した俺たち目掛けて追いすがってくるのを背中に感じる……。

 襖を開ける手間を惜しんで体当たりした。幸い成人男性二人分の重さを喰らっていともたやすく襖は外れてくれた。だが、僅かな失速を逃さず距離を縮めてくる傀儡どもの気配をもうすぐそこに感じる。

 やがて玄関の扉が見えた時、悪臭を放つ息遣いがほとんど真後ろから漂ってきていた。

「お、俺を……置いて、いけ」

 呟く直政の言葉を無視したまま、俺は、あの玄関の扉はぶつかった程度の勢いで開いてくれるだろうかと、ぼんやりとそんなことを考えていた……。




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