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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[99] 「坂東」22


「頼めるか」

 と、直政は俺にそう言った。

 俺は呆気に取られて奴の後頭部を見つめた。

 この期に及んで、この場を俺一人に押し付けようってのか。

 俺はお前をこれっぽっちも信じてなんかいないんだぞ?

 そこんとこ、分かってんのか?

「あはぁー」

 突如堀口が気味の悪い笑い声を上げ、直政が一歩後退った。

「俺じゃないんだ」

 と直政は言う。「この家に入る前、あんた、この家に四人いるって言ったな?」

「ああ、言った」

「向こうの家にいる奴が一人なら新開と二人でも良いと思ったんだ。けど違うんだよ」

「何が違うんだよ」

「あはぁー」

 堀口が愉快そうに低い笑い声を発し、そして直政は言った。

「ビスケさんが死を予感したのは本当は俺じゃない。光政の方なんだ!」

「あはははははッ」

 堀口が大声で笑い、直政が振り返って俺を見た。

「頼む!行かせてくれ!」

「馬鹿野郎!敵に背を向けるやつがあ……ッ!」

 堀口の右手が直政の首筋を掴んでいた。

 いつ間にかピタリと背後に立った堀口の顔が、凍り付いた直政のすぐ後ろから俺を見ている。

「……こいつは死んで生き返ったりしたいだろうねえ?」

 そう言って嗤う堀口の声はやはり老婆のそれである。

 いや、ただの老婆であるはずがない。

 柳菊絵の声に違いないのだ。

「お前……」

 警察署で堀口の姿を見た時、検死を行うことなく立ち去るR医大の医師の背後で、奴が憤怒に顔を歪めていた理由が、今分かった。死んだはずの残間京が甦り、堀口、いやさ柳菊絵は正真正銘怒り狂っていたのだ!

「傀儡を使役してるのはお前だな、柳菊絵!」

 俺を見つめる堀口の目がとろんとした光の玉と化し、ぶるると震えた瞬間、溢れ出た涙が血の色に染まった。堀口の魂が流す苦しみの涙が、柳菊絵の悪意によって赤く塗り替えられていく。俺にはその光景がそんな風に見えた。

「俺はこいつを村で見かけた事がある」

 と、直政が喋った。「まさかこんなことになってるなんてな」

「お、ま」

 触れられただけで生気を吸い取られそうな薄紫色の人外の手は、今もって直政の首を後ろを掴んでいる。

「平気なのか、お前」

 俺が思わず口走った瞬間、直政が身を屈めながら右肘を堀口の鳩尾に突き刺した。

 堀口は眉間が黒ずむ程の苦悶の表情を浮かべた。それは憑依している柳菊絵ではなく、人体として当然の反応だった。

「俺は昔から、いわゆる霊力とやらの量が人よりも多いんだそうだ」

 身を屈めたまま直政が言う。「光政みたいに器用な真似ができるわけじゃねえが、少なくとも霊障に当てられて卒倒するなんてみっともない醜態は、現場で一度も晒したことがない」

 直政はくるりと身を反転させて左手で堀口の首を掴むと、そのまま細い看護師の身体を持ち上げた。

「調子に乗るな!」

 叫んだのは、俺である。

 超常的な存在を相手に粋がるなど、これから死にますと謳っているのと同じことである。

「俺は今じゃないんだよ、おっさん」

 と直政は言う。その声は先程の威勢とは打って変わって、強い悲しみに震えていた。

「俺は自分がいつ死ぬかをもう知ってる。今じゃないんだ。だからおっさん、俺は光政の所へ行かなくちゃならないんだよ!」

 直政はそう言って堀口の体を投げ飛ばし、奴が座っていた椅子もろとも畳の上に激しく転がる音を聞きながら、直政は俺の眼を見た。「傷害罪でパクるってんなら、この村から出た後にしてくれよ」

「……お前」

 俺は開いた口が塞がらなかった。

「お前……何言ってんだ?」

 確かに、穂村直政の潜在的な霊力は高いのだろう。霊障とは言え、生身の実態を伴う相手である。浮遊零や地縛霊を相手にするよりかは精神的な負荷も少ないだろう。だが首を引っ掴んで投げ飛ばす程度で事が終わるなら、そんなものイの一番に俺がやってるさ!

「あが」

 直政は全身が凍り付いたように動きを止め、目を見開いたままゆっくりと自分の足元を見た。

 顔中を真っ赤な血に染めた堀口が、畳の上で仰向けになったまま直政の両足首を掴んでいた。

 俺の目の前で直政の体がぐるんと横回転し、突如天井から突き出した別の両手が逆向けになった直政の両足を掴んだ。畳の上では堀口が、宙吊りになった直政の顔を下から両手で挟み込んだ。

「なお」

 俺が叫ぶより早く、直政の体が上下から凄まじい力で引っ張られる。

「ぎゃあッ!!」

 見る間に直政の腹部と首筋から血の花が咲き乱れた。

「堪えろ!」

 俺は叫び、額の幽眼を開いて天井から伸びた腕を熱線で撃ち抜いた。

 どーんと破壊音が響いて熱線は天井を貫き、隠れていたもう一体の傀儡が足場を失って落ちて来た。

 直政は解放されたものの、裂けた皮膚から溢れる血とあまりの痛みにパニックを起こし、畳の上でドタドタと転げ回った。

 そんな直政の傍らで、天井から落ちてきた傀儡と堀口が体を波打たせながら立ち上がった。

 異常に長い手足、二メートル近い巨躯……。

 気が付けば細身の女性看護師だった堀口までもが、すでに人とは言えない姿にその身を変えてしまっていた。新たに増えた傀儡の顔を見た俺は、

「あー、そうかよッ」

 と思わず吐き捨てた。

 俺が両腕を吹き飛ばした傀儡の顔は、呪詛により著しく変貌してはいるものの、間違いなく正脇汐莉の顔だった。

「茜を呪ったのか。……自分の姉貴を呪ったってのかよ、お前ッ」

 言葉にならない、犬のような吐息を吐き出しながら正脇汐莉は笑った。

 いや、笑ったかどうかなんて俺には分からない。

 だが俺にはそう見えたし、そう聞こえたのだ。

 直政が必死で体をうつ伏せにし、畳を掻きむしるようにしながら俺の足元まで這ってきた。

「み、光政ん……とこへ」

「ああ、行けよ。お前がいると邪魔なんだよ!」

 俺は眼鏡を外して上着の内ポケットへしまい込んだ。「まとめて焼き払ってやる」


 たす……けて……

 たす……けて……


「ああッ?」


 たす……けて……

 たすけて……たすけて……

 こわい……こわい……

 こわい……こわい……こわい……こわい……


 俺の耳にも、確かにそれは聞こえた。

 捜査情報として報告を受けていた、此度の霊障のうちの一つだった。

 『九坊』と思しき呪いが発動する時、発揮される効果のどこかの段階で、それは被害者の耳に聞こえてくるという。……こわい、こわい、こわい。

 それがどんな条件で、何を意味する霊障なのか、この時までは皆目見当がついていなかった。

 だがその答えは、今まさに俺の目の前にあった。


 たすけて……たすけて……

 こわい……こわい……こわい……こわい……


 血の涙を流しながら訴えかける、それは傀儡の悲鳴だったのだ。

 顔面を血に染めた堀口も、両手首から先が欠損した正脇汐莉も、もはや人間的な表情は失われている。瞬きをしない真っ黒な目。案山子にボロ布を被せたようにしか見えない異形の体躯。だがそれでも、バケモノと呼ぶに相応しいこれらの中には、人であった頃の魂がいまだ閉じ込められているのだ。


「なんてことしやがんだ……ッ!」


 正直に言おう。

 俺は『九坊』という今世紀最凶と呼ばれた呪いよりも、生きた人間をこんな姿に変えてしまった傀儡使い、その堕落した外道が持つ悪意の方こそよっぽど恐ろしいと感じていた。

 話には聞いていた。人間の身体を乗っ取り、傀儡として使役する『禁呪』があることも、実際にそれが用いられたという歴史も、自分なりに学んだ知識として知ってはいた。だが俺は、本当の意味では理解していなかったのだ。

 呪いよりも恐ろしい悪意が存在するという、この世界の現実を。

 







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