[9] 「めい」4
「呪いって…なんですか?」
私がそう聞いた時、誰もが一瞬、私から目を逸らした。
小原さんの素晴らしい演説の後だ、皆上手い表現を探しているのだろうと、そう思った。
…が、よく見れば誰一人そんな可愛げのある表情など浮かべていなかった。
姉の手が私の手を優しく包み込む。
「今、めいは自分が考えているよりも抵抗力が落ちてるから。あまり考えない方がいいよ」
姉はそう言い、
「だけど」
と私は弱々しい抵抗を見せた。
なんとなく、姉の言いたい事はわかった。病は気からと言うが、私が経験した事が『呪い』なのか『呪いに似た何か』なのかまでは分からないが、例えば怪談話をしていると心霊現象が起きるとか、そういった引き寄せに近いものだと思ったのだ。だけど、知らないままで先へ進むことの怖さというものもあって、頼れる仲間が大勢いる今だからこそ、やはり聞いておきたい気持ちが強った。しかし、
「用心するにこしたことはないよ」
と、新開さんもそう言う。「坂東さんたちが偽名を使ってるのだって、めいちゃんが換気のために窓を開けようとしたのを止めたことだって、結局は考えられる色んな可能性を全部潰していく行為なんだ」
「可能性?」
なんの可能性だろうか。
「さっき、俺たちは何と戦ってきかのか、俺はそう言ったな?」
と坂東さんが私を見た。「一般的によく言われてる幽霊ってのは基本、地縛霊のことを指している。本来そこにいるはずのないものが、何かの拍子に開いた霊道からひょっこりと顔を出す。それが、幻子に言わせれば無からの顕現であり、俗に言やぁ『あの世から舞い戻る』って現象だ」
「はい。よく分かります」
まぼちゃんの説く死生観が全て正しいと思っているわけではないが、本当は、どちらかと言えば私も彼女の考えに近い。この世界にはあの世とこの世のがあって、この世で死んだ後には天国か地獄、そのどちらかであるあの世へと旅立つ…。まぼちゃんと同じく、私もそんな風には考えていない。まぼちゃんの場合は『考える』ではなく『知っている』ように話すせいで食い違う時もあるけれど、おおよそは同じ意見だ。
私の顔を見つめながら、坂東さんは真剣な眼差しで先を続ける。
「だがな、めい。死んだ人間の思いや、仮に、怨念なるものがあってこの世に影響を及ぼすと仮定しよう」
「はい」
「それはつまり……、あー、そうだな」
そこで坂東さんは、新開さんに視線を向けた。「新開、お前らは十年前、そういった死んだ人間たちのもたらした、霊障の直撃をまともに食らってるから、分かるよな?」
新開さんは一瞬押し黙り、
「リベラメンテ…ですか?」
と聞き返した。
姉から聞いた事がある。新開さんたちはかつて、土砂災害の起きた場所に建つマンション『レジデンス=リベラメンテ』において、百名にも上る犠牲者たちの悲しみと怨嗟をその身に受け、とどめなく繰り返される洪水のごとき霊障に文字通り呑み込まれた。何度も、生死の境を彷徨ったそうである。
「死ぬような思いをしました」
溜息を吐き出すように、新開さんはそう答えた。
「ああ。だが、同じ時間。俺は多分、焼き鳥片手にビールを飲んでた」
…はあ?
拍子抜けする坂東さんの言いように、普段冷静沈着な新開さんも開いた口が塞がらないようだった。
「だけどな、新開。もしお前があの現場から逃げて俺の所まで来ていれば、きっとお前も焼き鳥が喰えたしビールを飲んでたはずだ。霊障ってのは確かに、生身の身体に真っ黒な滓のようなものを沈殿させる。悪くすれば調子を崩し、寝込むことだってある。その場に留まり続ければ取り殺されるだろう、だが……地縛霊ってのは追っては来ない。……違うか?」
坂東さんの言葉に、この場にいる全員が頷いた、ように見えた。
どうやら話の核心は、そこにあるようだった。
坂東さんが再び私を見る。
「めい。呪いにはいくつかのパターンがある。だがもっとも分かりやすく、単純で、そして一番根の深いもの。それは、生きている人間の恨みだ」
坂東さんの言葉を聞いた時、私は予想していた答え、それ以上の内容を聞いたわけではないにも関わらず、死ぬ程怖かった。これまで味わって来た恐怖のどれにも当て嵌まらない、全身に糸が絡みついて来るような恐怖だった。
確かに、ほとんど専門的な知識のない私が『呪い』と聞いて一番最初に思いつく言葉が、それだ。恨みだ。だが冷静に考えてみた時、私はあることに気づいたのだ。
私は本当に、呪いを知っていると言えるだろうか?
人間を死に至らしめるほど本物の恨みを、目の当たりにしたことがあっただろうか?
いや、ないに決まっている。
そんな……
その瞬間、またしても私の鼓膜にA子さんの断末魔が聞こえた気がした。
めいぢゃぁあああん!!
めいぢゃぁあああん!!
どおじでえええええ!!
「…あれが…呪い。…人の…恨み?」
パァァン!
平手打ちのような音が響いて、私は我に返る。
室内にいた全員が立ち上がり、恐ろしい形相で私を見下ろしていた。やがて小原さんが、合掌したまま私を見据え、優しくこう言った。
「これが、呪いの怖い所なんです」
私は放心したように椅子の背もたれに体を預け、そして姉の腕に抱かれた時、ようやく震えに襲われた。ここではないどこかへ気持ちを持って行かれたような、ここではないどこかに心が繋がってしまったかのような、気持ちの悪い余韻がまだ、するすると全身を這いまわっている。
『何があったの……? 私、どうなったの……?』
頭の奥でぐるぐると疑問が回転する。だけど怖くて口に出せなかった。
「一度身の内に入った『呪』は、例え相手に打ち返してもいくらかは残る。やがては消え去るだろうが、今はまだ、お姉さんが言ったように抵抗力が下がったままなんです。気持ちを、強くもちましょう」
小原さんに言われて、私は背筋を伸ばした。
「…はい」




