30 ゴーレムマスターとスタンピード その5
リーフはゆっくりとヘルハウンドから降りると、男の前に立ち見下ろす。そんな態度も気に食わなかったのか、なお顔を真っ赤にして男は口を開く。
「そ、その女を我々に引き渡せ! その女は私を侮辱した! アスペル王国ソージエ伯爵家の一員にして王国騎士のこの私! ティンケ・ソージエを面と向かって侮辱したのだ!」
凄まじい剣幕でまくしたてる。先ほどまでの、情けなく縮こまっていた姿からは想像のできない威勢の良さだ。大方、当面の危険が去ったので強気になっているのだろう。その身代わりの早さに、リーフは思わず苦笑してしまう。
「何がおかしい! 言っておくが、抵抗するのなら貴様もただでは済まんぞ!」
「……聞くが、アリスはどんな侮辱をしたんだ?」
「あやつは我々を! 偉大で勇敢なるこの私ティンケを! こともあろうに臆病者だと罵ったのだ!」
「……フハッ!」
思わずリーフは噴き出してしまう。
「な、なにがおかしい!」
「いや、なんだ。アスペル王国には、事実を言ったら逮捕されるような法でもあったかとな」
「な、な、な……」
ティンケは怒りのためかプルプルと震える。その顔は赤いを通り越して紫のようになっていた。
あーおかしいと、数秒笑ったリーフは、スッと表情を戻す。
「あいつを連れていこうとする理由に察しはつくが……どのような理由であれ、引き渡しには従えないな」
暴言を吐いたというのは、連れていく建前にすぎないだろう。もちろん、それにも怒っているのだろうが。
アリスを連れていこうとする理由。それは恐らく、先ほど彼女の見せた大魔術が目当てだろうと、リーフは考えていた。
「き、き、貴様も盾突くのか! こともあろうに、このティンケに盾突くというのか!」
「理不尽どころの話じゃないしな。さて、話がそれだけなら俺たちは行く。あまり余裕があるわけではないんでな」
そう言うとリーフはゴーレムへと戻ろうとする。その後ろでティンケはわめく。
「ええい者ども! 女をひっ捕らえろ! 男のほうは殺しても構わん! しょせんドブネズミだ!」
ティンケの指示で、先ほどまで防御の陣形を崩そうともしなかった兵士たちは、槍を片手にリーフへ接近する。だが――
「フン!」
即座に振り返ったリーフは、地面に向かって焔断を一閃する。風のマナを帯びたその剣戟は、大地を大きく穿ち、一条の線を引いた。
「貴様らを殲滅するには一分もかからん。だが、俺も急いでいるしもめ事を起こしたくない。だからその線は超えるな。二度目はないぞ」
リーフの本気の殺気にあてられた兵士たちは、たたらを踏んで必死に足を止める。一応でも戦いに身を置く者たちの勘が、思い知らされたのだ。これ以上進めば殺されると。
だが一人、それを感じ取れないものもいた。
「ど、どうした貴様ら! たかがドブネズミを前に臆したか! ええい、こうなれば私自らひっ捕らえてやろう!」
煌びやかな装飾のついた剣を抜きながら、ティンケはズカズカとリーフに近寄る。その足が、文字通り一線を越えた瞬間であった。
「この私ティンケと相対するなど、ドブネズミにとっては過分な栄誉よ! 身に余る栄誉を噛みしめながら地獄へおち――ぷぎゃ!?」
リーフの身体強化された足が、ティンケの腹部にめり込むんだ。
無様な悲鳴を上げながらティンケは吹き飛び、たまたまその直線状にいた兵士によって受け止められる。一応生きてはいるようであったが、白目をむいて泡を吹き、みっともなく失神していた。
「二度目はないと、言っただろう?」
リーフは今度こそ踵を返してヘルハウンドに乗ると。その場から去っていく。
その様子を、兵士たちは黙って見ているしかなかった。
ヘルハウンドの上でアリスは、いつにもましてしおらしくしていた。
「……リーフ。私、あなたに……」
「いや、無理に言わなくていい。俺も言えないことはあるしな」
「ごめんね、私のせいで……」
「お前のせいじゃないさ」
アリスが根は生真面目な性格だとは知っている。しかし、ここまで気落ちされると、なんとなく居心地の悪さを感じるリーフだった。
「……まあ、体力が回復すれば元気も出るか。さあ、飛ばすぞアリス! とりあえずさっさと今回分を終わらせる」
「え、きゃあ!」
ヘルハウンドはどんどん加速し、風となって戦場を駆けていった。
・ ・ ・
リーフが剣を振るうたびに、複数の魔物が真っ二つにされる。
魔物達からすれば、ゴーレムに押しとどめられているところを、横からぶん殴られた形だ。しかも、圧倒的な機動力を誇るヘルハウンドに全く対応することができず、そのことごとくが切り裂かれていく。
「ふっ!」
真っ赤に熱を帯びた切っ先により、その切り口は焼き潰され、ほとんど出血をしない。そのため、リーフのたなびくマントにはほとんど返り血がついていなかった。
「一陣の風よ! 我がマナに従い敵を討て! “圧風衝撃”!」
壁を乗り越えようとする魔物もリーフの風魔術によって撃墜される。無論、上位魔術ではないため一撃で息の根を止めることはできない。だが、空中という場所で衝撃を喰らった魔物は態勢を崩し、地面に堕ちたところを容赦なく切り裂かれる。
ヘルハウンドの駆けるその線上では、例外なく魔物が屠られる。
それはまさに駆け抜ける嵐であった。
その様子をチラリとみたボルガは気勢を上げて吼える。
「敵はあと少しだ! 踏ん張れ! 俺たちの町を守るぞ!」
その声にすべての冒険者が応!と答える。これが最後と満身の力を込めて目の前の魔物を倒していく。
そしてついにその瞬間は訪れた。
「“貫通掌破”!」
ボルガの拳が魔物の腹部を撃ち貫く。ついに最後の魔物が血を吹いて倒れたのだった。
それと同時に周囲から歓声が上がる。それは勝利の雄たけびであり、この町が危機を乗り切ったことに対する喜びの叫びであった。
戦闘が始まって2時間。スタンピードが始まって実に5時間もの時間が経っていた。。
・ ・ ・
「ドゥーズミーユ」
ヘルハウンドの上でリーフが呼べば、トリスケリオンを操るドゥーズミーユはすくに駆けつける。
「なんでしょうか」
「アリスを頼む。俺はこれから森へ行く。魔物がきた場合の対処は任せる」
勝利に沸き立つ冒険者たちに聞こえないように、リーフは小さな声で指示する。
「かしこまりました」
「な、なんで? もしかしてまだ終わってないの!?」
リーフの言葉に、アリスは驚愕の声を上げる。先ほどまで死と隣り合わせの戦いをしてきたのだ。すでにマナも体力も限界であった。それはアリスだけでなく、この戦いに参加していたすべての冒険者も同様であった。次に同じ規模の魔物が来たら、防ぎきれないだろう。
「少し、気になることがあってな。アリス、お前はもう限界だ。あとは町でのんびりしてろ」
「え、ちょ、ちょっ……きゃあ!」
リーフは軽々とアリスを抱えると、ぽいとドゥーズミーユに投げた。ドゥーズミーユはアリスを丁寧に受け取る。
「それじゃあ、頼んだぞ」
「いってらっしゃいませ」
すぐさまリーフは、ヘルハウンドに指示を出して森へと駆けていった。
「リ、リ、リーフのバカぁ~! 死ぬんじゃないわよ!」
アリスはそんなリーフの後ろ姿に叫ぶ。そしてはたと、先ほどの自分と同じだなと気づき、少しだけ笑った。