18 ゴーレムマスターの休日
※一人称、リーフ視点
鉱山クエスト翌日の話です
「む……」
ベッドの上で目を覚ます。長年の習慣というのは恐ろしいもので、今日は何もしなくても良い日なのに早起きしてしまった。感覚的には早朝ではあったが、あいにくまだ日は昇ってはいなかった。
ゴキリゴキリと首を鳴らしながら、部屋に備え付けてある洗面台へ向かう。栓をして魔術で水を出して貯め、バシャリと顔を洗う。そして、備え付けの鏡を見ながら手ぐしで適当に寝癖を整える。
そろそろ鬱陶しいから髪を切ろうか、そんなことを考えながら窓を開け、空気を入れ替える。朝特有の冷え切った空気が眠気を完全に覚ましてくれた。
いい朝だ。そう感じる。
俺の住んでいたオリザ王国と違い、このリューエンという町は完全に眠るということが無いらしい。通りにポツポツと明かりが見える。あるいはこんな早朝から商売をしているのだろうか。熱心なことだ。
「おはようございます、リーフ様」
「ああ、おはようドゥーズミーユ」
そこでドゥーズミーユが目を覚ます、といっても本当に寝ているわけではなく、低燃費モードに入っていただけだが。
「今日はどうするのですか?」
ドゥーズミーユが聞いてくる。確かに今日やるべきことはない。ならば答えは一つだ。
俺はフッと笑みを作る。
「観光だ。町を見てくる」
このリューエンという町に来てからまだ数日。この町に来てまだ、冒険者ギルドといくつかの商店しか見ていない。クエストやらなんやらで、ゆっくりと町を観光する暇が取れなかった。
そもそも、面倒な茶番をしてまで王国から追放されたのは世界を見て回るため。すなわち、いろんな場所を観光することが目的である。
今日という日が暇ならば、その目的を果たさずにはいられようか。
「しかし、それにはまだ時間が早いのでは?」
「分かってるさ。だが、この時間でないと見えない顔ってのもあるだろう?」
全く、水を差すやつだ。この時間では冒険者を対象とした商店や弁当屋くらいしか開いてないだろうから、言っていることはもっともだろうが。
だが、昼間の人混みが無い分、ゆっくり町の風景を見るには楽かもしれないな。
「さて、俺はこれから外に出る。お前を肩に乗せて出歩くことはできないから、今日はここで留守番しといてくれ」
「私を一人ぼっちにするのですね。かしこまりました、リーフ様」
ドゥーズミーユは、よよよと泣き崩れるポーズをする。なんというか器用なやつだ。というかどこで覚えてきたそんなもん。
「王にはお前のことを話したことがある。あのバカにそれが伝わっているなら、お前の存在で俺が生きていることがバレかねんからな。我慢してくれ」
「本音は?」
「今日は一人で見て回りたい気分なんだ」
「かしこまりました」
チカチカと一つ目が瞬いたあと、消える。どうやらスリープモードに入ったようだ。
さて、と。どのように町を回っていくか。
アリスに案内を頼んでもいいんだが、昨日のクエストでひどく疲れているだろうから、無理をさせたくはない。
愛用のマントをばさりと羽織り、帽子を被る。高鳴る気持ちを抑えながら、俺は早朝の町に繰り出すのだった。
・ ・ ・
宿を出てゆっくりと歩く。早朝と言うこともあってさすがに静かだったが、歩くにつれ徐々に人気が出てくる。これからクエストに行くのであろう冒険者たちが、寝ぼけ眼をさすりながら門のほうへ歩いていくのが見える。それを見て、ピンと閃く。
「ギルドに行くのもいいかもしれないな」
ぽつりと呟いたその案は、我ながら名案に感じられた。
ならば、目指すは冒険者ギルドだ。そうと決まればさっそく行くか。
ほどなくしてギルドへ着く。そして中に入って感心した。明かりの灯った室内には、昼間ほどではないとはいえそこそこ冒険者たちがいる。とはいえ、大半は冒険前の下準備であったり、クエストの吟味であったりなのだろう、テーブルでくつろいでいるようなやつは少なかった。
俺はそんな冒険者たちから少し離れると、閑散としているバーに足を向ける。
ギルドには冒険者用の居酒屋が併設されており、食事や酒の提供をしている。ここでクエスト帰りの冒険者たちは一杯やるようだ。が、こんな早朝ではさすがに開いていないようだ。
そしてもう一つ、このギルドにはバーもあり、こちらはこの時間でも開いている。前に読んだ本によると、このようなバーは、リューエン冒険者ギルドを含む数少ないギルドでしかやっていないという。
つまり名物。ならば、行かない手はないだろう。
席につくと、モノクルをかけたおっさんが、グラスを拭きつつじろりとこちらを見てくる。この店のマスターだろうか。早く注文しろとでもいうのだろうか。
正直バーなんぞ行ったことはないし、酒もほとんど飲んだことはない。十年近く前に王に飲まされたとき以来だ。さて……。
俺は少し考えると、意を決して注文する。
「何かつまめるものと、酒はそうだな……おすすめを頼む」
「……わかった」
マスターは背後の酒棚から一本、酒をとる。そして、どこからか氷を取り出すと、グラスにからりと氷を入れ、用意した酒を注ぐ。そこに何やらシュワシュワしたものを静かに流し込み、最後に棒で一突きして俺の前に出した。
「ジントニックだ」
出されたものをじっくりと観察する。気泡が立ち上り、表面がパチパチと泡立っている、ほんのり薄緑がかった飲料だ。
グラスを持ってみるとひんやりと冷たい。グラスそのものがよく冷やされている。
冷気を作り出してモノを冷す、そんな魔道具が確かあったな。コストがかかりすぎて実用化には程遠かったと記憶しているが……。恐らく、カウンターの下にそんな類の魔導具が設置してあるのだろう。氷もそこから取り出したに違いない。
それにしても、そんな高価なものをバーという場所にも導入していることから、このギルドがいかに栄えているかが察せられる。
「お兄さん、珍しいのは分かるが……ロングとはいえ、カクテルは作り立てが一番旨いのだよ」
ピーナッツが入った器を差し出しながら、マスターはさらりと言った。早く飲め、そういうことである。
言われずとも飲むさ。グラスを持ち、味を確かめる意味でもチビりと口に含む。
瞬間――口の中が弾けた。
「!?!?!?」
何だこれは。一瞬考え、そこで刺激の原因に気づく。つまり、この気泡――いやさ炭酸ガスが口腔で弾けることで、この刺激を生み出しているのだ。
これは……なんとも楽しい飲み物だ。あとは味だ。さっきはビックリしてしまって、すぐに飲み込んでしまったから味わう暇も無かった。
もう一度、今度はぐびりと飲んでみる。刺激の後にやってくるのは爽やかな香りとほのかな甘み、そして微かな苦みが全体を引き締める。
「旨いな……」
俺の呟きに、マスターはにやりと笑う。そこには、褒められた嬉しさと、職人特有の自信が垣間見えた。
静かに酒を飲む。肴はピーナッツと、クエストに出る冒険者たちの様子だ。
あそこにいる若い三人組は冒険者になりたてなのかとか、丹念に装備の手入れをしている年配の冒険者だとか。冒険者というある種縛りのない職業だからこそだろうか、そこに集う一人一人が自由で、個性的に見える。
そんな彼らを眺めながら、オリザ王国でのことを思い出す。
今でこそ彼らと同じ立場だが、少し前まではこんなにゆっくりとした時間をとることはなかった。忙しいのも苦ではなかったが、やはりこうしてのんびりするというのはいいものだ。
リューエンを離れたら、アリスには悪いが、しばらくはこんな生活を送るのも悪くない。好きなことを好きなように。なんと素晴らしい響きだろうか。
やがてグラスが空になる。窓を見やれば、空が白み始めている。そろそろ町も動き始めるころ合いだろう。もう一杯飲んだら、散策を開始するか。ならば、何を注文するか……。
「マスター、一番の自信作を頼む」
しばし考えた結果がこれだ。酒の種類なんぞ分からないからな。そして、職人というものは、こういった注文にこそ燃えるものなのだ。
「……いいだろう」
果たしてマスターは、少し目を細め言った。
マスターは酒棚から二つ、酒瓶を取る。手早く用意した銀色のカップに少量酒を注ぎ、リズミカルに振る。そして、黒く輝くオリーブをあしらった底の浅いグラスに、シェイクして混ざり合った酒を注ぎこんだ。
「リューエンだ。ここでしか味わえない、俺のオリジナルだ」
変わらず、ぶっきらぼうにマスターはグラスを差し出す。だが、町の名を冠するこの一杯に、マスターのゆるぎない自信とプライドが垣間見えた。
静然とした透明の中に、涼やかにオリーブがたたずむ様は、気品すら感じられる。
「いただこう」
マスターの渾身。そのプライドを味わうために、俺は厳かにグラスを手に取る。
まずは一口含む。なるほど、酒精が強い。だが、シェイクされ空気を含んだクリーミーな舌触りと爽やかな香りが、その強さすらを包み込む。
次にオリーブをかじる。青く若々しい味わいが広がる。そこにもう一口、酒を含む。するとどうだ。まるで春の草原の如く、緑の風が吹き渡るかの如くハルモニーを奏でる。
そして最後の一口。ほんの少し時間を置いたからだろうか、最初に比べてより香りが華やかに感じる。かといってくどいわけでもない。それどころか、いっそ気品すら感じられるほどだ。
総じて、素晴らしいといえる。俺は酒には詳しくないが、それでもここまでおいしいと感じさせてくれるのは、マスターの技量あってのものだろう。
「……素晴らしい一杯だった」
席を立ち、カウンターに代金を乗せる。そして振り向かずにギルドから出ていく。
「……また来なよ」
ドアを出る際にぼそりと、そんな声が聞こえた気がした。
・ ・ ・
散策を再開した俺は、心地よい酔いに身を任せながら、町の散策を続けた。
町の中央広場で初めての屋台を経験し、肉串と果実水を買った。どちらも、味そのものは大したことはないはずだ。だが何より、自分の金で好きなものを買い、ベンチに座って、輝く太陽を眺めながら食べるという感動が、大したことのないはずのその味を数倍にも引き上げたのだろうか。とても満足することができた。
魔道具の露店売りでは、質は悪いながらも、ユニークで物珍しいモノが売っており、そのどれもがキラキラと輝いて見えた。俺にとって魔道具とは、いかに効率よく、安価で、簡便か、ということが全てだった。だから、ムダが多く、何に使うかも分からないような魔道具など考えたこともなかった。もちろん、魔道具づくりにおける考え方が変わるものではないが、何やら新しい視点を見つけられた気がした。
ちらりと覗いた武器屋では、雑多な武器が所狭しと並んでおり、若い冒険者らしき男が、頭を抱えて悩んでいた。質はいいがその分高い、そんな武器へアップグレードしようか悩んでいるのだろう。そして、その様子を店主が穏やかな表情で眺めている。もしかしたら、男が冒険者になった時から、見守っているのかもしれない。そう考えると、なんだか胸が温かくなる。
気が付けば、もう日が暮れそうになっていた。オレンジ色の光が、大通りを優しく照らす。
「フフ、この町に来てから、初めてのことばかりだ……」
そう、初めてのことばかりだ。今思わずでた呟きに対して反応が無いことに、少しばかりの寂しさを覚えていることも。この数日間で、あの騒がしいのに慣れてしまったのかもしれない。
いや、正直に言おう。楽しかったのだ。少女と口喧嘩をし、町を歩き、クエストへと向かった、あの時間が。
そう考えると、また妙におかしくなってくる。なにせ、初めて会った時は相当に警戒した相手と、また会話をしたいと感じているからだ。それどころか、共に旅をしようと思えるくらいには、俺はアリスのことを信頼できると感じた。
たった数日で、こうも変わるのか。だがこんな感覚も、案外、心地いいものだな。
グイと帽子を深くかぶり、フッと笑う。
ふと、何か美味しそうな匂いを嗅ぎつける。顔を上げると、一軒の屋台があった。釣られて近寄ってみる。
「これは確か……」
それはウルフ饅という、リューエンの名物料理であった。確か、初めてアリスが連れていってくれたレストランで食べた記憶がある。ピリッとした味と、濃厚な肉汁が印象的で、驚くほど美味しかったと記憶している。
「すまない。ウルフ饅を二つ、いただきたい」
「あいよ。まいどあり」
店主のおばさんに金を払って、ウルフ饅の入った包みを受け取る。さっそく一つ取り出し、かぶりつく。あふれる肉汁が口の中を満たし、それをピリッとした辛みが引き締める。
「やはり、うまい」
ウルフ饅にかぶりつきながら、帰宅の途へつく。
思えば、こんなところでもアリスは気を使ってくれていたのだろう。今更ながらに、彼女の細やかな気配りに気がつく。
出会った初日から、名物を観光したいという俺の要望にしっかりと応えていたわけだ。なら俺も、相応のお返しをしなきゃ、筋は通らないだろうさ。
「さて、楽しんでいこうか」
そう呟くと、残ったウルフ饅を口に放り込む。そして、もう一つへ手を伸ばすのだった。