5-1. 尾行
われらはセアンの宿に戻った。父のことを神隠しに遭ったと思い込んでいた店員は、父の顔を見て、それはもう泡を吹いて倒れそうなほどに仰天していた。
もちろんいちいちオロイシュ教のあらましを話してなどいない。われらが「もうあの森は安全です」と言って回ったところで、誰が信じるであろう? かえって怪しまれることさえ考えられる。セアンの民が自然に気づくまで「境界」は越えないに限ると、わたしは学んでいた。天則の思し召すまま、だ。正直に言えたらどんなによいかとは思うけれども。
さて、これであとはサルカルに帰るのみだ。しかし、これからやることを想像すると少し気が重い。
父を連れ帰って成人としての承認を取り付ける。それはいい。
が、題材屋の経営をほっぽり出してきたのだから、その後始末をせねばならない。母や店員たちから何を言われるのだろうなと想像すると、頭が痛い。
しかしながら、今度は慣れた枕に慣れた布団で眠れるのだなと思えば、一刻も早く帰りたい気持ちも湧いてくる。
旅に出て、おもしろいことも大変なこともあった。今になってみれば、どれも楽しかったと思える。旅をするとは境界を越えること。一つ境界を越えるごとに、わたしは強くなった。
きっと世界にはもっと多くの驚異があり、知らない匂いの風が吹いているのだろう。それらすべてを味わってみたいとも思う。
だけど疲れもする。故郷の飯の味が恋しくなる。
だけど帰れば片付けるべき面倒が降ってくる。
旅に出るのも帰るのも、ままならぬ。
異郷の水と故郷の水と、どちらを選ぶのが正解なのだろうか?
そんなことを考えながら――――その夜、わたしは宿の自分の部屋を抜け出していた。
カイを尾行するために。
わたしの依頼は達成された。カイはお役御免となる。となれば、もうカイを待っているのは一族による捕縛だけだ。
きっとすぐにもカイとラーシュの接触があるはずだ。そう考えて眠らないままいたところ、案の定、カイは深夜になって宿を抜け出し、宿の裏手にある林へと入っていった。
月は出ているものの、林の中は暗い。木の陰に隠れながら、見失わないように慎重にあとを尾けた。
自分がおかしなことをしているとわかっていた。父を捕まえたことで、もうわたしの目的は果たされたのだ。このままカイがいなくなったとて、何の問題がある? ガイドの仕事は完了したのであり、わたしは意気揚々と故郷へ帰ればよいのである。
きっと母はわたしを一人前と認めてくださるだろう。そしてわたしは、旅のことを懐かしく思い出しながら、また行ってみたいなと夢想しながら、母の後を立派に継ごうと日々をいそがしく暮らすだろう。
思い描いたとおりの未来だ。それですべてはこともなし。
そのはずなのだが、こうしていまだにカイに関わろうとしている。
視線の先にいる、この人物に。
「サーラさん?」
「っっっ!!」
その声は、わたしが見つめていたのとは逆方向から投げかけられた。
わたしの心臓は跳ね上がり、体は飛び上がり、木に背中をしたたかに打ちつけた。背骨が堅い木肌にもろに当たって、わたしはうずくまった。
「いつつ……」
「あ、ごめんなさい」
顔を上げると、暗いながらもそこにいるのはカイだとわかった。ごめんなさいと言いつつ、大して申し訳なさそうな顔はしていない。殴りたいけど立ち上がれぬ。ちっ。
「カ、カイ……。いつの間にこちら側に…………」
「いやー。誰かついてきてるようなーと思ったもので、ちょちょっと、ね」
ちょちょっと何だというんだ。瞬間移動するなら先に断ってからやってくれ。まったく、わけのわからぬ術の使い手はこれだから。ああ、痛い。
次回 >>> 「 境 界 」




