3-10. 夜駆
カイのもくろみどおり、天葬の邪魔をする〝幻動気の気まぐれ〟は雲散霧消した。
やがて訪れた夜闇は、幻動気を感じる才のないわたしには昨晩と変わりなく思えたが、おそらく温泉の水霊人たちには、幻動気が落ち着きを取り戻したように映っていることだろう。
問題を解決したわれらは、祭司たちからたいへんな称賛を受けることとなった。ソニヤーを挙げてもてなしたい、これを記念として祭りを開催したいとさえ言われた。
しかし、それは断らざるをえなかった。一刻も早く父を追わねばならない身の上だ。ここで時間を使うわけにはいかない。なにせ、町の真ん中にわれらを模した像を造りかねないぐらいの勢いだったのだ。歓待が一日二日で済むとは思えない。
とはいえまことに残念だ。歌や踊りに珍味も味わうことができたであろうに。
夜のうちに出発するのは危険だということで(サソリが出るのだという)、もう一晩、ファウラ宅に宿泊することになった。
そしてその夜更けのことである。
何かが聞こえた気がして、わたしは目を覚ました。
身を起こして隣を見ると、サーキィがよく眠っていた。カイは別室にいて、この客間にはわたしとサーキィだけだ。
物音は聞こえない。しんとしている。深夜なのだから、それが当たり前であるはずだった。
が、耳を澄ますと、やはり聞こえてきた。たぶん、話し声だ。
ファウラと家の者たちは離れたところにいるはずだから、とするともしや泥棒か?
わたしは自分の剣とマントをつかみ、そっと部屋を出た。
寝間着にマントを雑に羽織りながら、勘違いであることを祈っていた。たまたま夜遅くまで仕事があった召使いたちが雑談していただけとか、そんなことであればいい。
声のする方向を確認しながら、わたしは暗い廊下をどうにかこうにか歩いた。
声がするのは、外……か?
ファウラがいる母屋へ通じる外廊下のそばまでやってくると、断片的にではあるが言葉が聞き取れるぐらいになってきた。やはり人の話し声だった。
外廊下への扉を音が立たないよう細く開けると、声はより明瞭になって耳に届いた。少し離れた場所にいるようで、姿は見えない。廊下の外の、庭で話しているのだろう。
聞こえる声はふたつ。ひとつは聞き覚えのない、女の声。そしてもうひとつは誰あろう、カイのものだった。ままままさか夜中の逢い引きじゃあるまいな。
「……これであなたの逃避行もおしまいです。神妙にしてもらいましょう」
「嫌だと言ったらどうなるんですかね」
一瞬、何の話をしているんだと訝ったが、すぐに相手が誰か気づいた。
カイの追っ手、だ。
カイと初めて会った時に言っていた。自分の一族のルールを外れて好きなように振る舞いたいカイは、各地を旅しながら逃げ回っているということ。そして、一族の追っ手に感づかれないために、動術は大っぴらに使えない。使うとしても弱くしか発動させないであろうこと。
少なくともわたしと旅をしているあいだ、そうしてきたはずだ。わたしには動術の深奥は知るべくもないが、カイの実力はもっともっと高いはずだろうということは察せられた。あんな化け猿を前にしても悠然とし、術の効果が薄いとわかっても落ち着きが失われない。その剛胆さは相応の力量に裏打ちされているに違いなく、つまりはカイは本気で術を使っていなかったのだ。
しかし、どうやってか、ただの偶然か、ともかく追っ手はカイの居所をつかんだ。
わたしは高速で思考をめぐらした。カイはどうなる? 捕まってどこかへ連れ去られてしまうのか? そうでなくても、カイは追跡の手を逃れるために行方をくらますかもしれない。そしたらわたしはどうすればいい? サーキィとふたりだけで進まねばならないのか? そんなことできるのか? いやそれより、カイを助けるべきでは? われらは仲間ではないか。しかしそれこそ、可能なことなのか? おそらくは動術家である一族に刃向かって、わたしごときに何ができる?
「……力ずくでも帰っていただきます」
「力ずくですか。困ったなあ」
その言葉を聞いた時、わたしは思考を吹き飛ばして、裸足のまま扉の外に飛び出していた。
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