3-9. 気随
「どうやらこれは〝幻動気の気まぐれ〟ですね」
ずいぶん時間をかけているなと焦れて待っていたら、戻ったカイは開口一番そんなことを言った。
「幻動気の気まぐれぇ?」
幻動気に意思があるかのような言い方に、わたしは間の抜けた声をあげてしまう。
「ぼくが勝手に名付けたんですけどね。霊珠の場合と似ていて、要するに、幻動気がまれに異常な働きをすることがあるんです」
「霊珠と同じか。それならばわかりやすいな」
「幻動気と簡単に呼んでいますが、幻動気とは『この世界に流れる正体不明の大きな力』に便宜的に付けられた名前でしかなく、予想もつかない現象を引き起こしうるものです。動術家や精霊人はほんの少し制御できるだけなんです」
「それで、今回はどういうことが起こっているのですか?」
ファウラが心配そうに訊いた。
幻動気のしわざ、しかも通常とは異なる挙動の結果となると、対処のしようがないかもしれない。そう懸念したのであろう。
「ぼくが見たところ、これは階段に取り憑いた幻動気……のようなものです。人が入ってくると、階段を踏み上がるのに合わせて蠢きだして、どこかの時点で人の意識を惑わせ、上までたどりつかせない。じっくりと階段を上がってみて、わかりました。やっていることはいたずら程度のものですが、これを御するとなると……」
カイの言い回しのせいでファウラはますます青ざめた。
「そこで謎なのがサーラさんです。なぜサーラさんだけ影響されなかったのか」
「重ねて言うがわたしは何もしていないぞ」
「もちろんそうでしょう。そこで、ぼくにも予想できない要素があるとすると、バダルさんからもらった剣です」
「これが?」わたしは腰の剣に手をやった。「ナイフでなくてか?」
「そうです。サーキィさんが『気持ち悪い』と言っていましたね。この塔に入ったときの反応と同じく」
「おお あれとおなじ そう いわれれば」
目を見開くサーキィ。
確かにサーキィは、この剣に父の置き土産の宝石をはめこんだ時、「気持ち悪い」と言っていた。今の今まで忘れていたが。
よくおぼえていたな、カイ。
それでは、この剣とこの塔の階段にはなにかしら通ずるところがある、ということか。幻動気の異常性に関係するものが。
わたしは剣を鞘ごと腰から引き抜いた。
「この剣に……何かが」
わたしは剣を鞘からゆっくりと抜いた。刃が妖しくきらめく。
「ああっ」
突然ファウラが叫んでくずおれた。
「なっ、なんだ? どうしたファウラ」
「いま……わたくしにはわかりました。この土地にただよう大気の流れが変化しました。乱されたといってもよいでしょう」
「乱された……?」
ファウラの指摘にわたしは戸惑うばかりだ。ファウラは慎重に息を吸ってから、
「おそらくその剣、気の自然な流れにさからう特殊な力を持っています」
「ははあ。なるほどなるほど。変だなと思っていたらそんな力があったとは」
「ひとりで納得するな、カイ。何かわかったのか?」
「ファウラさんが言ったとおりですよ。その剣には、いうなれば反・幻動気の力があるということです」
なんと。
この剣にそんな力が。わたしは刃をまじまじと見つめた。わたしにはやはりなんの変哲もない剣身にしか見えない。
しかしこの剣が、階段に宿った幻動気の影響を打ち消したということなのか。だからわたしだけが屋上への扉に到達できたと。
信じがたい。そんなことができるものが存在するとは。
「すみませんお姉さま。その剣、しまってください。なんだか不安になります」
ファウラが胸元を押さえながら訴える。
「あ、ああ」
わたしが慌てて剣を鞘におさめると、ファウラは安心したようで大きく息を吐いた。
「ファウラさんの家はこの地で長く祭司をやってきていますから、変化を繊細に感じ取ったのかもしれませんね」
「むう……」
わたしは鞘を両手で持ち、目の前に掲げて唸った。
もとより正体不明の剣だったが、ここにきて急激にその度合いを増した。父はこんな力があることをわかっていたのだろうか?
「その剣にどこまでの力があるのか、たいへん興味深くはありますが、とりあえずこちらの問題を解決しましょうか」
カイが塔を指差した。そうだ、大事なことはそちらのほうだ。
「カイ、どうすればいいかわかるか?」
わたしはせっつくように訊いた。ファウラの案じ顔がやけに気になり、早くなんとかしてやらねばという気持ちがいや増していた。
空を見るともはや深い藍色に染まりつつあり、なおさら時間をかけたくなかった。
「さっきのぼった時、階段に潜むものが何段目で意識を惑わすのか、数えていたんです。四十二段目でぼくは奇妙な感覚に襲われ、気がつくと下まで戻っていました。おそらくその段を人が踏むと幻動気の力が発動するのでしょう。ですから四十二段目まで来たら、石段に剣を刺してみてください。そうすれば、剣の力によって〝気まぐれ〟は解消されると思います」
カイのなんと目ざといことか。その抜け目のない見識には憧れさえいだく。
わたしは取り急ぎ塔に入り、階段を一段一段慎重に数えながら上がった。
四十、四十一……四十二。ここか。
本当にこんなところに何かが潜んでいるのか……?
ぼんやりとしたかがり火に照らされて、そこにあるのは、生命の息吹など感じようもないただの石段に過ぎなかった。
半信半疑ながら剣を抜き、切っ先を下に向けて構える。
一度深呼吸し、祈りをこめて剣に語りかけた。「理解しえぬものに対しては祈る」というのが太古からの人間のあるべき所作だ。
「なんとも奇妙な剣よ。迷いてきざはしに取り憑きたる幻動気を、みごと解放してみせよ」
わたしは剣を突き下ろした。
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