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かくも心地よきさすらい  作者: 北条三蔵
閑話  隠れ湯けむり霊泉探訪
38/79

2.5-4. 休息

 わたしは温泉にそっと足を差し入れた。

 あたたかい。あったかぁあああぁい。指がじんとなり、熱が足先からじわわと伝わって、ブーツで締まっていた足が急速に弛緩(しかん)していく。

 湯に腰が沈み、胸が沈み、肩が沈み、最後に足を思いっきり伸ばすと、もはやわたしは天上界の住人になり、平穏平和天下太平の心地に体を支配された。

「はあああ~」

 そのような声も漏れようというものである。

 ほてった頬を気持ちのいいそよ風に撫でられて、融けなくていいものまでまとめて融けていきそうだ。

「にんげんくること めったにない」

「めったにない」

「そうであろうな……」

 水霊人(ウンディーネ)の言葉には納得するほかない。このような隠れ湯ではな……。わたしは幸運だ。

 カイも入ればよかろうにな、と思う。

 これは混浴したいという意味ではない。幸せを分かち合いたいと考えるのは人として自然なことであろう。

 サーキィも温泉に入って満足そうであるし、わたしもそれを見て満足だ。彼女は目を閉じてじっとしていて、全身全霊で温泉を味わっているようだ。

「にんげんくるなんて めずらしいことおきる やっぱりあれのせい?」

「あれのせいかも?」

 水霊人(ウンディーネ)たちは顔を合わせて、少々不安げに、しかしどこか楽しげに言い合った。

「あれ? 何かあったのか?」

「さいきん やまむこうの幻動気が ちょっとへん」

「へん」

「山向こうとはソニヤーの方面だな? 変、とは?」

「それはよく わからない」

「わからない」

「きけんな かんじではない へんなだけ」

「だけ」

「ふむむ……。サーキィは何か感じるか?」

「余は わからない ここにはきたばかり だから」

 慣れぬ土地では感じ取れないか。

 これから向かう場所のことを「変」と言われると気持ちが悪いが、水霊人(ウンディーネ)たちの言い分を信じれば、物騒なことはなさそうである。ヤックムでのように、化け物と戦うようなことは勘弁願いたいところであるから、その点については安心してよさそうだ。

 何事も起きないといい…………。

 かつて、怪異との奇妙な戦いを語った「題材」を読んだことがある。客の語り口が絶妙で、すっかり心酔(しんすい)して「こんな体験をしてみたい」なんて思ったものだが、こうして温泉につかりながらでは、勇壮(ゆうそう)な精神など湧きようもない。

 と、がさっと茂みが騒ぐ音がした。わたしはとっさに胸を隠した。まさかまさか、カイがのぞきを!?

 ――なんてことはなく、リスかネズミかの小さい獣が飛び出してきただけだった。

 ほっとしたが、一応、あたりをよくよく見回してみる。カイの姿は見えない。視線を感じる気がしなくもないが、これはわたしの勘繰(かんぐ)りすぎであろう。のぞきをするカイの姿はちょっと想像力の限界に挑戦するおもむきがある。

 そんなわたしをよそに、ふたりの水霊人(ウンディーネ)は温泉を優雅に泳いでいた。その様子は幻想的なあでやかさを持っていて、心地よい夢の世界にいる気分にさせられる。なんともおだやかな気持ちになって、ついつい故郷の暮らしを思い出してしまう。

 同い年の友人たちはどんな成人の儀式を課されたのであろう。題材屋の店員たちはどうしているかな。商業華やかなるわが街は、今日も活気にあふれているだろうか。

 あのままサルカルに残っていたとしたら、わたしの人生はどうなっていただろう。少なくとも、こんな辺鄙なところで温泉につかるだなんてことは、絶対にありえなかったはずだ。わたしはすでに別れ道の片方を選び終わっていて、その先でどうするかを考えなければならない。

 湯を両手ですくって顔に当てると、鼻も目も口も頭もゆるんでいく。

 ふあああああー。

 ――――ふう。

 平安を望んでみたところで、わたしの旅はまだ続く。続けなければならない。これからもいろいろなことがあるのだろう。

 しかし今しばらくは――

 そう、〝戦士の休息〟。そういうやつである。


次回 >>> 第3章「 祭 司 」

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