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かくも心地よきさすらい  作者: 北条三蔵
第2章  はじめての死威
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2-10. 飛躍

 サーキィは距離をとって下がり、穴の前の開けた場所へ大猿が進み出てくるのを待った。

 わたしとカイは脇の岩陰に隠れる。

 わたしは一応ナイフを抜いてはみたものの、にぎる手にいまいち力が入らない。

「一撃でしとめましょう。脳か脊髄を狙ってください」

 カイは自分の額と首のうしろをトンと叩いてみせた。

「無茶苦茶な」わたしは小声で抗議した。「どうやってあんな高さに攻撃しろと」

「上から狙います」

 カイが空を指差す。

「上? 上とはいったい――」

 言っている間もなく、大猿は猛り狂って両腕を振り回し、鬱憤を晴らすように拳を地面に何度も打ちつけた。もはや回りが見えておらず、誰彼かまわず当たり散らす駄々っ子のごときありさまだが、こう巨大では手に負えない。

 すさまじい震動がごんごんと響き渡る。なんという怪力だろう。体が浮いたかと思った。

 猿の強烈な打撃で地面は穴だらけだ。衝撃で木々はさざめき葉は舞い散り、鳥は狂ったように鳴き、豪腕から生み出される風切り音が幾度も疾駆(しっく)し耳を刺す。まるで山全体がざわめいているかのようだ。

 さっき怪我した左腕を見た。明らかに傷は浅い。が、なぜか痛みはどんどん増しているように思え、気持ちが焦ってナイフをにぎる指が震えた。「死」という言葉が頭に渦巻く。

 本当にこんな化け物を退治できるのか? 人間相手とはまるで違う!

 ああ、昨日の自信よ、戻ってきてくれ。

「サーキィさん!」

 不安に駆られる余裕を刈り取るかのようにカイが合図する。

 それに応じ、サーキィが先ほどと同じように地面に手を置いて、動術を発動した。

 サーキィの手元でわずかに地面が脈動(みゃくどう)した。そこから一直線、術は大猿めがけ地を走る。地面の動きのおかげで、わたしは初めて動術の力の流れを見てとることができた。術の<力>は大猿の足にからみつき、(つか)()動きを封じる。

「いきますよ」

 カイがそう言った瞬間、わたしは空を飛んでいた。

「なっ、なんだ?」

 下方視界に大猿の姿が小さく映っていた。坑道の入り口が見え、術を使うサーキィ、そして木々のあいだにわたしを見上げるカイがいた。カイが叫ぶ。

「サーラさん! ナイフを!」

 ナイフ?

 あっ、そういうことか!

 わたしはカイの動術で空中に飛ばされたのだ。そして、大猿の頭上から脳天めがけて攻撃せよというわけだ。

 無茶苦茶だ! むーちゃくーちゃ! だ!!

 しかし文句を言っているいとまはない。大猿はどんどん近づいてくる。

 風圧に戸惑いながらも、わたしはどうにかナイフを下に向けて構えた。

 むっ?

 大猿は、足を止められ動きが鈍っているものの、腕は健在ではないか?

 まだわたしが上方にいるのは気づかれていない。

 でもこのままいって、直前で気づかれてはたき落とされるかもしれない?! そしたら今度こそ大怪我だ! いや、死だ!!

 ああああ、今にも大猿の頭が迫ってくるっ!

 ――――というところで、腕の動きもまた鈍化(どんか)した。

 よくわからぬが、好機! もうやるしかない!

 わたしはナイフを両手でしっかりと持ち、ありったけの力をこめて、大猿の頭頂めがけて突き下ろした。

 ――!!

 先の感触と違い、今度は刃が確かな手応えで浸透していく。

 鍔が表皮に到達するほどまでにナイフが沈みこんだ。

 やったぞ!

 そう叫びそうになった刹那(せつな)、奇怪な感覚がわたしの手から全身へ駆け巡った。

 大猿の体内に充ち満ちていた生気の奔流(ほんりゅう)が噴き出したかのようだった。

 左腕の痛みも吹き飛ぶ強烈なエネルギー。高まりきっていた焦燥も興奮も、すべて(ちり)になって消えてしまうみたいだ。

 目を開けてもいられない。

 とてつもない力が、わたしの体を通り過ぎ空気中に霧散していくのがわかった。

 そして肌で理解した。

 この化け物の絶命を。


次回 >>> 「 変 化 」

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