1-18. 感傷
「いい風だ。意外に寒くはないな」
甲板に出てきてみると、気持ちのよい風が肌を撫ぜた。
「精霊風というやつです」カイは風を持ち上げるような手振りをした。「幻動気が船をおおっているので本来の風は感じませんが、風霊人の作り出した風が常に吹いてますから」
ではこの風の流れは、目的地まで続く道のようなものだな。
精霊風に乗って、船はわれらを運んでゆくのだ。
「あっちが来たほう、こっちが行くほうです」
カイの指差しにつられて、元来たところへ目をやる。
とうとう洲を出たのだな。本当に、出てきてしまった。
母の手紙に奮起して、猛進するように船に乗ってしまった。いまだに体はどこか浮ついていて力が入らない感じがする。
母に相談して、仮に、仮に母が気まぐれを起こして、うまく取り計らってくれたとしよう。わたしは晴れて成人だ。そうすると、わたしはずっとあの街に留まって、今こうしているようなことにはならず、何年かのちには母の後を継いでいたかもしれない。むしろ、当たり前にそうなるだろうと思って生きてきたし、そうなりたい気持ちもあった。
実際のわたしは、どこ行きかも知らないまま、後戻りのできない乗り物に飛び乗り、あそこでないどこかへ。
無謀な賭け。もちろんそうとらえることもできる。わたしはこれでよかったろうか。
胸のうちにあるのは、きっとどうにかなるさという気持ちと、大きな不安と、わずかな解放感。いったい何から解放されたというのか、よくわからないけれど。
――そんなふうに、ごちゃごちゃとまとまりのない考えが頭の中をめぐって、ついついうなだれてしまう。
……もう出てきてしまったんだ。覚悟を決めなければ。
わたしは顔を起こし、今一度故郷の方角を見やった。
夜に沈んでいく景色の中、焚き火のように明かりを放つわが洲は、ずいぶんと小さく思えた。
わたしのこころには、さびしい気持ちと奮い立つ情動が同居して、吹く風の中に立ち位置が定まらない思いがする。
「あれがわが洲サルカルか」
わたしはぽつりとつぶやいた。
小さき故郷よ、きっと帰ってくるぞ。そんな思いで見つめていると、カイが言った。
「いえ、まだサルカルは出てませんよ」
「なぬ」
「船はゆっくりですからね。今は中心部を抜けたぐらいですか」
「………………そなた、わたしの感動に水を差したいのかな?」
「ははは、めっそうもない。感動するってすばらしいことですよね」
「そなたの笑顔はたびたびしらじらしいな」
「よく言われます」
ちっとも悪気のない表情のカイ。こやつめ……。
「もうよいっ。みかんだみかん」
話しているあいだに、みかん先生がみかんの皮をむいてくれていた。さすが先生。
それどころか、先生はすでにみかんを一つ腹に入れていた。「にこめ」と淡々とおっしゃる先生。目にもとまらぬ早技でありますな。
どうにもならない感傷はやめて、わたしも精霊人の究極を味わうことにする。
次回 >>> 「 前 途 」




