report to the boss
「で、紆余曲折を経て、結局こちらに仕事を依頼してきた萬田氏は、一滴も血を流さずに済んだのか?」
社長室に、緊張が走る。この質問のときだけは、いつも、社長の目が鋭くなる。普段は、「『ダンカン社長』はやめてほしいなぁ。『スタン』と呼んでくれ。俺のファーストネームだ。」 と、笑顔で、気さくに接してくれる頼もしい社長も、仕事のとき、特にこの瞬間は、目が違う。
「それが、逃走中に萬田氏が石につまずいて転んでしまいまして、その…膝小僧を擦りむいてしまいました。」
「…それで?」
「はい。早急に応急処置を行おうとしましたが、手元のキットの中の絆創膏を切らしておりまして、とりあえず、その、手元にあった物の中で使えるものがないかを探し、早急に…」
「赤西。」
空気の張り詰める音が聴こえたような気がした。社長室の窓越しに、デスクに向かう星谷の背筋が伸びるのが見えた。社長の声は、決して怒鳴るような大声ではないが、明らかに声の厚みが違う。重みのある、使命感を帯びた声に、私は返す言葉が見当たらず、黙ってしまった。
「赤西、結論から先に話しなさい。膝小僧を擦りむいた萬田氏とお前は、その後どうしたのかね。」
「はい、失礼しました。私はその場で、萬田氏の応急処置を行い、被襲撃地帯からの緊急退避を完了しました。」
「ふむ。萬田氏本人は、その怪我が、自分で起こした事故による傷だと認めたか?」
「はい。萬田氏は当初、痛みを堪えきれず泣いておられましたが、泣き止んだ後に言質を取りました。」
「まぁ、ただすっ転んだことを警備会社の責任にされては困るな。『依頼人は本人の過失であると認めた』と…報告は以上かな?」
「はい。」
「そうか。まぁ、座ってくれよ。」
社長は席を立ち、長いソファに深々と座った。促された私は、対面の一人掛けのソファに腰掛けた。
「毎度ご苦労さん。ちなみに、相手の特徴は何か覚えているか?」
「確認できておりませんが、服装は、花柄のカモフラージュパターンだったと思われます。」
「花柄の迷彩服というと…ミノリ・イノリか。」
ミノリ・イノリは、自然環境保護を目的とし、自然回帰主義運動を推進する過激派組織だ。『自然に感謝せよ』をミッションとし、彼らの思想に反する行為を行う者・組織などへ、『天罰』の名目で妨害工作を行なう。彼らの行き過ぎた行動は、ときに無関係な一般人をも巻き込むため、現状は死傷者が出ていないらしいのだが、国際的テロリスト集団としての認知が広まりつつあるようだ。代表兼思想指導者『シード・グレーヌ』については、名前以外、公になっている情報が無い。裏では、気分を高揚させ、果ては幻覚作用を及ぼすとされる観賞用植物"次世代の薬草"を栽培・販売し、活動資金を得ているとされる。
「今回の萬田氏への攻撃が、ミノリ・イノリによるものだと断定されれば、厄介だな。国際的な環境保護団体が、ニッポンの葬儀屋に何の用だ?連中、萬田氏に何か言ってたか?」
「いいえ、直接は何もありませんでした。ただ、最近の報道で、シード・グレーヌ代表は『火葬』というシステムを批判している、という特集を観ました。『人は自然の中に生まれ、自然のままに土に帰すべき』だと。」
「…なるほど。まぁ、その考え方は分からなくもないが、葬儀屋を襲っていい理由にはならんな。」
社長は、コーヒーを一口すすった。
「スタンさん、さっきの『厄介だ』、というのは?」
社長は足を組み替え、答えた。
「それはだな、今後、日本国内で、さらなるテロ行為の起こる可能性が高まることになるということだ。そうなれば、ウチにも依頼が来ることになるだろう。ただ、ウチにはお前と、星谷しか動ける人財が居ない。」
「スタンさんも、まだ現役じゃありませんか。」
バカを言うな、と言う社長は、照れているようにも見える。
「俺はもう、老いていくばかりの、置いてきぼりだよ。それはそうと、俺達がその依頼を処理しきれなくなれば、ナマイキな連中に仕事が渡ることになる。それが嫌なのだよ。」
”ナマイキな連中”とは、生輝警備保障の人間たちだ。ブラッドレスと同じく、プライベート・セキュリティを主たる業務としているが、社長いわく、我々のミッションである『無血革命』とは真っ向対立する考えを持つ人間の集団、らしい。以前も、『血で血を洗うこともいとわない連中だ』と説明していたのを覚えている。社長は、この『無血革命』というミッションに、情熱を燃やしている。
「なるほど。」
「まぁ、まだ断定されていないことでごちゃごちゃ言うのも時間のムダだな。この話は、ここまでにしよう。」
社長は、席を立った。
「それはそうと、君に怪我はなかったかね?」
「はい。久しぶりの長距離ダッシュで、少し筋肉が張ってますが、それ以外は問題ありません。」
「そうか。今日は午前中で早上がりしていいぞ。一杯飲んで、英気を養って来るといい。若手には頑張ってもらわないといけないのでな。」
「私ももう三十代ですよ、スタンさん。早く、私より若い人材が入ってきてほしいものです。」
「まだまだ、赤西にも頑張ってもらうぞ。ポンコツサイシンで頼む。」
「粉骨砕身、ですね。」
社長の口が大きく開き、白い歯が見えた。豪快な笑い声に、私の口元も緩んだ。その笑い声が聴こえて緊張が解けたのか、星谷の背が丸まるのが見えた。
「では、お言葉に甘えて、本日は、正午で退社させていただきます。失礼しました。」
おう、と気さくな返事を受けた私は、社長に向かって軽く頭を下げ、社長室を出た。
星谷は、ノートパソコンの画面を見つめている。
「赤西ぃ、結論から話さなきゃダメだよぉ。」
「お前、聴こえていたのか。ずいぶん耳が良いんだな。」
「そうかなぁ。スタンさんの声が大きいんだと思ぅ。」
確かにな、と適当な相槌を打ちつつ、私は、自分の席に着く。雑然としたデスクの上には、ビニールに包まれた何かが置かれている。真新しいスーツだ。
「なんだ、これは。任務遂行記念、か。」
「親会社の試供品だってさぁ。」
「ああ、またか。リュウセイグン社の…。」
「フィードバックをお願いしますって、またいつもの担当さん来てたよぉ。なんかぁ、ウチらの親会社のスポーツウェア事業部がぁ、今度スーツを出すんだって。紳士向けと、婦人向けで、別々にラインナップを作るらしぃ。」
「なるほど。で、今回のコンセプトはなんだって?」
「えーっとねぇ、」
星谷は、手元の書類に目をやった。
「メンズがぁ、『ライトニング・ストライド』って名前でぇ、『三段跳びができるスーツ』なんだってぇ。ウィメンズがぁ、『ボレイロ』って名前でぇ、『バレエを踊れるスーツ』なんだってさぁ。」
「そうなんだねぇ。」
真似をする気はないのだが、つい、口調が似る。
「また、随分と具体的な運動にスポットを当ててきたな。三段跳びができる年代ってことは、二十代向けか?」
「詳しく書いてないけれど、そうかもねぇ。」
ふーん、と、私は、愛想のない相槌を打つ。
「あ、星谷。お前にはこういう試供品の依頼は来ないのか?」
「来たよぉ。いま着ているこれがボレイロなのぉ。」
星谷はそう言うと、立ち上がって、モデルのようなポーズを取ってみせた。他人のスタイルやファッションに特に思うことのない私は、少しの間、彼女を観るでもなく眺めていた。
「なんかシルエットが太いんだよねぇ。」
鏡の前に立つ星谷は、履いているスラックスの裾を気にした。確かに、女性ものの服では、膝のあたりから足首にかけて、きゅっと絞れた裾になっているものをよく見かける。このスーツはそういった型ではなく、寸胴といった印象だ。ジャケットの肩の位置も合っていない。試供品は、ざっくりとしたサイズの場合が多く、肩の位置や腰回りが自分の体のサイズに若干合わないことはよくあるが、それにしても、星谷の身体には、全体的に少しオーバーサイズな作りになっているように思う。星谷は私と5センチほどしか身長が変わらず、どちらかといえば、世間の女性の中では背の高い方だと思っていた。誰をサンプルに試供品を仕上げたのだろうか。
「サイズが合っていないようだな。」
「そうなの、なんか少しダボついてて、イヤ。赤西も、自分のやつ、着てみれば?」
その言葉を受け、試供品のスーツに手をかけた。ビニールを剥がし、中を取り出してみる。ジャケットは、華奢な作りだ。私も細身とは言え、ここまでタイトなサイズは着たことがない。袖を通してみる。きつい。まるで拘束具のように、上半身を覆う矯正器具をつけられ、強制的に正しい姿勢にさせられているような感じがする。着心地は良くない。
「あっ。」
星谷がふと、声を漏らした。
「なんだ、どうした?」
「ごめん。」
「どうした?」
「あ、気付いてない?なら、何でもない。」
なんだ、私が何に気づいていないんだ、星谷。
「どうした、星谷。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ。」
私は、少し乱暴に、新しい試供品のスラックスをつかみ、洗面所へ向かって歩き出した。
「あ、着替えるのぉ?」
「着替えるよ。この試供品が来たってことは、今着ている試供品を洗って送り返さなきゃいけないからな。」
「そうだね。わかった。」
星谷は、申し訳無さそうな声のトーンで話しているものの、笑いをこらえているようにも、見えなくもない。
「おい、星谷。さっきも言ったけれど、言いたいことがあるなら言ってくれよ。」
「大丈夫。私の言いたいことは、たぶん、すぐに分かるよ。」
私は、星谷の言葉を背に受け、判然としない事態に少しいらだちを感じつつ、洗面所へ入り、個室のドアを締めた。
「星谷のやつ、どうしたんだ。俺が新しいものにすぐ飛びついているのが、そんなに可笑しいか?常に新しくより良いものを求めて、何が悪い。新しい試供品が来たのだから、前の試供品は、フィードバックとして送り返す。担当から『実地で使用したサンプルをもらえると大変参考になる。もちろん、返してくれるときは洗ってくれ。』と聞いていたから、その話の通りにしているだけだというのに。まったく」
今着ているチノパンを脱ぎ、新しい試供品を履いてみた。やけに、腰回りの風通しが良い。自然と両膝がくっつく。まるで、両方の足が、一本の筒に包まれているような感じがした。不慣れな感覚に一抹の不安がよぎり、私は、洗面所の個室を出て、鏡を見た。私の腰から膝までの部分は、筒状の衣に包まれていた。
「これ、スカートじゃないか!」
星谷の笑い声が、オフィスに響いた。