phone call
「だからぁ、なんでアタシが銃を持たなきゃいけないわけぇ? 身辺警護のガードが銃を持っていること自体がさぁ、ガードの殉職率の下がらない主たる理由だっていつも言ってんじゃん。いつもさぁ、相手よりもゴツめな武装したほうの部隊がさぁ、『お前たちは包囲されている。武装を解除せよ』とか言うじゃん。相手にこっちを攻撃させてさ、『専守防衛』の言質とか、対外的な確証を取ろうとするのはアタシらもわかるけどぉ、その攻撃を直で受けるのはアンタら会議室のオッサン達じゃなくて現場のアタシたちじゃん? ……うん。……そう。……責任取るのはあたりまえっしょ! その責任の取り方もさぁ、この前同僚が死んだときだって、口座に葬式代振り込んで文書一枚で「お悔やみ申し上げます」って届いただけだった。アタシ死んだとしてもママにカネだけ払って葬式に参列もしないつもりなの? そうなったら、ウチのママたぶんガチでヘコむよ? ……それはわかるけどぉ、その『和平を保ちたい』ってのは言葉だけなのって言いたいの。アタシらガチで世界から紛争なくしたいって思って協力してあげてんのにぃ、その言い方じゃさ、なんか、アタシら死んでもいいみたいな感じ超するんですけど? ありえなくない? アタシのいうこともちょっとは聞いてくんないとぉ、紛争なんか永遠になくならないと思、あっ、切られたぁー! もう!」
電話の子機が、エレベーターのない四階のオフィスから、窓の外へ飛んでいった。よくしゃべる女だ。社長は、このド派手な金髪と、パンダの顔を模した化粧の女のどこを評価して、渉外活動担当に任命したのだろうか。金髪パンダメイクのギャル子、星谷琉希愛は、即座にオフィスの扉を開け、外へ出た。子機を拾いに行ったのだろう。
セキュリティ・パーソネル・サービス――大統領だの政府高官だの、公的な立場の要人には、『公安』と呼ばれる公的な立場のセキュリティガードが付き、警護することになっている。しかし、私的な立場の人間達、例えば私企業の社長や執行役員などの場合は、公的なイベントでの警護でもない限り、個人にべったり付くガードを公安が務めてくれることは稀である。そのため、個人的にセキュリティガードを雇う必要がある。例えば、私企業のオフィスビルの出入り口にいる警備員なども、言わば、私の同業者とも言える。もっとも、もっぱら駐車場の整理に駆り出され、ガードの仕事に就いたのか、駐車場の整理屋になったのか分からなくなるようなものを、『ガード』と呼べるのかは、はなはだ疑問だ。スマートフォン業界最大手企業の社長だとか、世界中で親しまれているフライドチキンチェーンの創業者だとか、もはや世界中で日常生活に欠かせない存在となりつつあるサービスを提供する企業の社長連中には、ことによると、生きていてくれたほうが世界の安定につながるような重要人物はいる、かもしれない。ただ、社長連中が全員そうだとは、私は信じられない。その理由のひとつが、先ほどの星谷のように、電話の子機を、エレベーターのない四階のオフィスから外へ放り投げて、自分で取りに行かざるを得ない状況を作らされてしまうほど、こちらを苛立たせることが上手なポンコツ社長共からの依頼要請である。
気づくと、星谷が自席に戻っていた。私が、子機が元の場所に戻っていることに気がつくや否や、すぐに電話が鳴り響いた。電話に出たくなかったので、星谷に、「代わりにとってくれ」と伝えようとした刹那、一瞬早く、私の手は、私のデスクにある電話機本体の受話器を耳に当てていた。こんなことのために反射神経を鍛えた覚えはないのだが、習慣とは恐ろしいものである。
「お電話ありがとうございます。プライベート・セキュリティ、ブラッドレスです。」
「あのう、身辺警護をお願いしたいのですが」
「はい。ご希望の日付とお時間を教えていただけますか。」
「はい。7月3日。あ、4日? いや、3日です。すいません。何曜日だったかな…すいません、曜日までわからないですけど。」
「はい。7月3日ですね。お時間を教えていただけますか。」
「あ、すいません。五時から六時までです。」
「……失礼ですが、午前五時から午後六時まででよろしいでしょうか。」
「はい。あ、いいえ、あの、朝から夕方まで、です。」
「……はい、承知しまし」
「あ、合っていますね。ごめんなさい。午前の、五時から夕方の六時です。」
「はい、承知しました。」
「ガードは何名つけていただけますか。」
「ガードの人数に関しましては、当日の利用状況にも依るのですが、ご用件に応じて、こちらからご提案させていただきたいと存じ」
「あ、わかりました。よろしくお願いします。」
「……ご用件をお伺いしてもよろしいですか。」
「あ、身辺警護です。」
「……どういった身辺警護でしょうか。たとえば、講演会等の会場出入りの警護ですとか、紛争地域でのバックトゥバックサポートですとか、あるいは」
「あのう」
「はい」
「それ、ちょっと家内と相談しますので、このまま保留で待っていただけますか。」
「……はい、承知しまし」
ガ、チャッ
「もしもし。もしもし。」
ツー、ツー、ツー
ガッガ、カチャッ
受話器が、元の場所に勢いよく戻った。というより、私が、受話器を、元にあった場所に、勢いよく、投げ戻した。――なんなんだ、こいつは。私は普段、電話を切るとき、まだ電話が相手に通じている可能性を考慮し、ノイズが入らないよう、丁寧に元の場所に戻すのを心がけているが、その気配りさえも無駄だと思わざるを得ない話し方だった。私は決して、『死んでも構わない命もある』だとか、皮肉を口にしたいわけではない。が、とにかく、私は、なぜ、彼のような、特に計画もなく、とりあえず連絡してみましたと言わんばかりの、思いつきでしゃべるだけしゃべり、こちらの話し終わる前に返事をし、一方的に会話を打ち切るような輩を、犯罪都市の弾丸飛び交う物騒な世間から守らなければならないのだ。正直、彼を社長に据える企業の体質を疑う。秘書や副社長ならまだわかるが、『家内に相談』とはどういうことか。銀婚旅行にでも同行せよということか。家内が副社長でも、「うちの副社長に相談を…」とか言うだろうに。疑問はまだある。なぜ、突然電話が切れたのか。「保留で待っていてくれ」と言ったならば、ふつう、自分で保留にする操作を行うはずだ。保留の操作を誤ったのだろうか。せめて、社長ともある人間であったとしても、「家内と相談してから改めてかけ直す」とか、言えないものか。
絶え間ない疑問や嘆きが浮かんでは消えていく私の脳内に、再び電話のコールが鳴り響く。悲しいことに、私の手は、ワンコールのほんのわずかな刹那に、すでに受話器を耳に当てていた。自分の反射神経の良さが嫌になる。違う人物からの依頼要請であることを祈り、社名から名乗ることとした。
「お電話ありがとうございます。プライ」
「あ、先ほどの萬田と申しますが」
おかけになられたお客様、あなたは、いったい、どの、『先ほどの萬田』さまであられますでしょうか。
「……先ほど7月3日の身辺警護の件でお問い合わせいただいた萬田さま、でお間違いないでしょうか。」
「はい、そうです。水曜日の件です。」
7月3日は水曜日なのですね。大変、どうでもいいことを私目のような下々の民にわざわざご教示いただきまして、感動至極にございます、萬田氏。
「では、身辺警護の具体的な内容をお聞かせ願えますか。」
「はい。」
「……」
「……」
「……内容をお聞かせ願えますか。」
「もしもし。」
「も、もしもし。」
「電波が遠いんですけど。」
電話が遠い、のお間違いかと存じます、萬田氏。少々ふてくされているようなご様子のところ恐れ入りますが、おかけになった当社の電話は、固定電話でございます。フリーダイヤルでもございません。それは番号を入力された萬田氏、あなたが一番よくお分かりではないかと存じます。また、本社の電話機本体のナンバーディスプレイに、『080―○○○○―○○○○』と表示されているのを確認いたしました。萬田氏、あなたが、携帯電話で、電波状況の悪いところで、お話をなさっているのです。我々の側が悪い電波状況に陥り、我々に責任があるとお思いになられているような口ぶりでお話しされていらっしゃいますが、萬田氏、あなたの電波状況が、お悪いのではないかと、心から、思う次第でございます。あなたは、どこまで場所を移動して奥様にご相談されたのでしょうか。その行動力に敬意を表します。が、とりあえず、
「そうですか。」
としか、返事のしようがございません。
「…の便で出発する予定です。」
「すみません、最初のほうが聞き取れなかったので、もう一度おっしゃっ」
「7月3日、午前五時に空港に着きます。午前八時ちょうどの便で出発する予定です。」
「承知しました。そうしますと、空港までの送迎と搭乗口までの警護、ということでよろしいでしょうか。」
「えっ、一緒に目的地までついて来てくれないんですか。」
「……。」
「もしもし、もしもし。もし?」
「失礼いたしました。ご搭乗の飛行機にガードを同乗させることも可能です。その場合は別途、ガード分の航空券など、ご負担頂く部分が増えることとなりますが、よろしいでしょうか。」
「飛行機を降りてからどうすればいいんでしょうか。」
萬田氏、質問に質問で返答しないでいただきたい。
「そうですね…ガードを同乗させない場合であれば、現地に別のガードを派遣しておきますので、飛行機を降りられる際に合流、という形で対応させていただくことは可能です。継ぎ目無く警護させていただきますので、セキュリティ面に関してはご安心くだ」
「空港までのガイドさんと違う人になっちゃうってことでしょうか。」
ガードです。ガイドではありません。が、もう面倒なので、現地ガイドだと思っていただいて結構です。
「そうなりますね。」
「同じお姉さんと最後まで一緒がいいなぁ。」
「当日は、私を含む男性スタッフが数名、同行させていただくことになると思われます。」
「あ、男性のほうがいいんですよ。家内がコレだもんで。」
電話口では、代名詞もジェスチャーも理解できかねます。そもそも、なぜ、奥様がソレなのに、先ほどの例に女性を出されたのですか。萬田氏、奥様がソレなのに、女性とのロマンスをバカンスでエンジョイしようとなされたのですか。繰り返しとなりますが、先ほど電波が悪くなるような状況になってまで、いったい、なにを、奥様と、ご相談なされたのですか。萬田氏。
「では、最初から最後まで、一人のガードに同行させていただく、ということでよろしいでしょうか。」
「はい。オプションも払います。はい。」
「承知いたしました。」
「男性スタッフで、よろしくお願いします。」
「……承知いたしました。では、今回のお申込み内容と概算見積りをまとめた書類を送付いたしますので、ご住所をおうかが」
「あ、ひとつおうかがいしたいんですけども……」
「はい。」
「ガードさんは、武器を持つのですか。」
「いいえ。本社では、『無血革命』をモットーとしております。ゆえに、血の流れるおそれのある、拳銃やナイフ等の武器類を携行すること、および武器の使用を避けております。味方も敵も、一滴の血を流すことなく和平へ導けるよう警護させていただきますので、ご安心ください。」
「…しもし。」
「はい。」
「もしもし。」
「はい。電波が遠いようでしたら、もう一度ご説明いたしましょうか。」
「いえ、結構です。」
ガ、チャンッ
ツー、ツー、ツー
プラスチック同士がぶつかり合う無機質な音が、私と萬田氏との会話を断った。星谷の視線を感じ、私は冷静を装った。まだ電話が相手に通じている可能性を考慮し、ノイズが入らないよう、受話器を丁寧に戻した。そして、ゆっくりと、電話回線を電話機本体から抜き、電源コードを抜き、電話機本体を両手で優しく掴み、窓の外へ放り投げた。
「ああ、腹が立つ!なんなんだあいつは!相手が話し終わる前に返事をするな!相手の話を最後まで聞け!まったくもう」
「赤西、ガチでキレてるねぇ。」
星谷はそういうと、私の肩をぽんと一回、優しく叩いた。
「赤西、頭に血が上ってるねぇ。なんとなくハナシは聞こえてたんだけどぉ、今の相手は腹立つよねぇ。アタシ、コンビニ行くからついでに拾っとくよぉ。冷蔵庫に水出しコーヒーを淹れてあんからぁ、赤西は休みなよぉ。」
そういうと、星谷は、私が声をかける間も待たず、ドアを開け、階段を下りていってしまった。星谷は、言葉の礼儀を知らないようだが、私が最初に思ったよりも、気配りができる性格のようだ。