第九十五話 卑怯も戦法の一つです
「ワターシハ安息神教会ノ『オフトゥヌス』トイウ者デース」
とびっきりの不細工顔を作り、声もダミ声に変える。その辺の俺と関わりのない人間ならこれで問題なく騙せるのだが――
「なにを言っているのだ、勇者殿? この筋肉反応は勇者殿で間違いない」
筋肉反応――俺基準でわかりやすく言うなら『気』――を感知できる脳筋王女さんには通用しなかった。
「馬鹿な。そうやって感づかれないように安息魔法で気を休ませていたはずなのに……」
「ふむ、勇者殿の筋肉反応を感じられなかったのはそういうことだったか。だが、ここまで近づけば流石にわかるぞ」
してやったりとでも言いたげなドヤ顔がうぜぇ。てか、待てよ。それなら気を辿って俺を見つけたわけじゃないってことだ。
なぜ、居場所がバレた?
「王都中の寝具店に根回ししていたんですよ。綿毛鳥の羽毛で作った寝具を売り出せば、兄貴なら必ず現れると踏んで」
俺の疑問を察してそう答えたのは、大商人の御曹司で俺の舎弟を自称するヘクター・マンスフィールドだった。くっ、別に綿毛鳥商品を知って食いついたわけじゃないんだが、過剰反応して買っちまったから否定できない。
罠だったわけだ。
「おのれ店主め、裏切ったな」
俺は店内でサムズアップしてやがる店主を睨む。まあ、味方でもなかったから裏切る云々の話じゃないけどね。
ラティーシャが俺の横でこんな時でもウトウトし始めているネムリアを見る。
「勇者殿が小さな女の子を連れ歩いているという噂は本当だったようだな」
「おい待て俺がロリコンの変質者みたいな言い方はやめろ」
変態扱いなんかしたら帰りたくなるよ? いいの? 帰りたくなっちゃうぞ? 帰りたい。手遅れでした。
「この筋肉反応は……勇者殿、その女の子は人間ではないな?」
「そんなことまでわかるのかよ」
この王女様は王女様でいよいよチートだな。
「『シンジン』という存在でしょうか? とてもそのような怪しい少女には見えませんが」
ヘクターはちっちゃな手で俺の袖を掴むネムリアを見て困惑した顔をする。ネムリアは寝具店ではしゃぎまくって疲れたからか、こっくりこっくり。もう半分寝てるなこれ。
「悪いが、ウチの姫がおねむみたいでな。今日のところは帰らせてもらうぞ」
俺は大量の寝具とネムリアを連れてさっさと立ち去ろうとしたが――
「そういうわけにはいかんぞ、勇者殿」
俺の進路を塞ぐようにして、漆黒鎧を身に纏った中年騎士が立ちはだかった。見覚えのある顔だ。確か王国の将軍の一人で名前は……サ……サ……
「……サーロイン将軍?」
「サイラスだ!? 王国軍三大将軍のサイラス・ボージェスだ!?」
「惜しい」
「惜しくない!?」
いやほら、あんまり合わない人って存在と顔はなんとなく覚えても名前までは覚えられないよね。そんなことよりサーロインステーキが食べたいです。
と、どうでもいいこと考えてる間にラティーシャとヘクターも俺たちを囲ってきやがった。
「我々は最近王都に進出した二つの教会を調べている。勇者殿がその関係者、それも深い部分に関わっているのであれば、ここで見逃すわけにはいかないぞ」
「兄貴、知っていることを話してください」
「そういうことだ。大人しくついて来てもらおうか」
他に兵士はいないようだが……サイラス将軍の奴、剣に手をかけやがった。
「なるほど、つまり俺たちを帰らせるつもりはないってことか」
俺は溜息をつくと、よいせっと抱えていた掛け布団やら枕やらを袋に入ったまま地面に下ろす。
「ネムリア、荷物を預かっててくれ」
「……ふわぁ、了解なの」
ネムリアが大欠伸をしながら頷く。すると、ぽわっと寝具たちが淡く輝き始め――う、浮かんだ? なにそれ魔法?
「そんなことできるなら俺が荷物持ちしなくてよかったんじゃね?」
「これはこれで疲れる、なの」
そうですか。俺もね、荷物抱えてたら疲れるの。帰りたくなるの。だって人間だもん。
「素直に連行される気になったか?」
サイラス将軍はネムリアの力に一瞬目を瞠ったようだが、すぐに警戒の視線を俺へと向けてくる。
「ああ、まあ、そうだな。そうした方が早く帰れるならそれでもいいんだが――」
俺は降参するように両手を頭上へと掲げ、〈傲慢なる模倣〉でエヴリルの能力を身に宿す。
「ここは、力づくで押し通る方が早そうだ」
ゴォオッ! と。
俺は素早く詠唱し、爆風を起こす風魔法で周囲一帯を容赦なく吹き飛ばした。なんだなんだと集まっていた野次馬たちが悲鳴を上げて転がっていく。
が――
「……舐められたものだ」
「ハハハ! 面白くなってきたぞ! ならば私が相手をしよう! ぜひ勇者殿の本気をぶつけてくれ!」
「い、いけませんラティーシャ様! 兄貴が相手なんです。正直、オレたち三人でも厳しいかと」
三人とも流石だな。あの程度の不意打ちくらいなら簡単に防ぎやがるよ。まったく帰りたくなる。
帰りたいけど、こいつらどうにかしないと帰れないって言うのなら。
俺は片手の掌を上にして前に突き出し、挑発するようにくいくいっとする。
「纏めてかかって来い! とでも言うと思ったか〈怠惰の凍結〉!」
一分間だけ対象範囲の時間を停止させるスキルをなんの躊躇いもなく使い、ネムリアを抱えて包囲を脱出する俺。
「くっはっは! 止まってる間にトンズラぶっこくぜ!」
「……ネムの英雄、卑怯なの」
「卑怯も戦法の一つです」
俺は帰ると決めたら手段は選ばない。
「ん? 待って、なんでネムリアは動けてんの? 範囲内にいたよね?」
米俵のように脇に抱えたネムリアは普通に動いて喋っていた。後で回収するつもりで置いてきた寝具たちも浮かんだまま同じ速度で追従してるけど、なんで?
「……ネムの英雄の力は神から与えられたものなの。だから新神のネムには効果がない、なの」
「そうなのか?」
そういえば神を〈模倣〉しようとしてできなかったもんな。困ったぞ。いつか天空神のクソジジイに合ったら情け容赦なく力を使ってぶちのめそうと思ってたんだが……いや、表面的なことしか知れなかったけど〈解析〉の魔眼は効いてたな。
てことは、だ。『直接影響のあるスキル』が効果ないってだけだろう。ダメージなら通ったりしないかな? 気になるけどネムリアで実験するわけにもいかんし――殺気ッ!?
「残念だったな。その止める技は通用しないぞ、勇者殿」
「んなにっ!?」
頭上から襲いかかってきた銀色の刃を俺は横に飛んでかわす。石畳の街道がダイナマイトでもちゅどんさせたように爆散し、深く巨大なクレーターが形成された。
クレーターの中心で両刃の大剣を片手で軽々と持ち上げたのは――ラティーシャだ。
もう一分?
まさか。まだ十秒も経ってないぞ。
「ラティーシャ、お前、俺の〈凍結〉をどうやって防ぎやがった?」
「避けたのだ」
「は?」
「前の鬼ごっこで散々くらった技だからな。私の筋肉が覚えてしまったのだ。発動する前に範囲外に抜ければ停止することはないだろう?」
「おのれ筋肉チートめ!? 帰りたい!?」
俺のスキルは無詠唱の魔法みたいなもんだぞ。つまりノータイムで発動する。範囲は近隣の迷惑にならないように絞っていたとはいえ、それを避けただと? ここまで出鱈目だったのかこいつ。
ちょっと、マジにならないとやばそうだ。
「ネムリア、俺から離れてろ」
「……わかったなの。でも気をつける、なの」
地面に下ろしたネムリアは、珍しく真剣な表情をしてラティーシャを睥睨し――
「……その人間から感じる力、戦争神のものなの」
それだけ言い残すと、浮かんだ寝具たちを引き連れて路地裏の方へと駆け去って行った。
「んん?」
あの、ネムリアさん、今、なんつった?
戦争神がどうとか薙ぎ払い危なッ!
「ハハハ! まだまだ私の筋肉は火照っていないぞ勇者殿!」
「ええい暑苦しいわ城に帰れよ!?」
ラティーシャは屈強な兵士が五人がかりでやっと運べる大剣を棒切れみたいに振り回しやがる。やっぱり普通の人間じゃなかったのか?
〈解析〉してみても、前より全体的なステータスが上昇していること以外は変化がない。たぶん、神に関する情報だから〈解析〉できないんだろうね。ていうか、最初からバケモノだったのになんでまだ成長してるのこの子?
両脇から気配。
俺は左側からの突きを身を逸らしてかわし、そこを狙ってきた右側からの袈裟斬を〈創造〉した長剣で防ぐ。〈模倣〉でラティーシャを超越コピーしてなかったらやられてたな。
「兄貴、すみません! 今回はマンスフィールド商会の労働者にも関係していることでして、オレも敵にならざるを得ません!」
「こらぁあああ王女殿下! 勇者を捕えるのはいいですがもっと周囲の被害を考えてください!」
「問題ない。修繕費は私のお小遣いから出す」
「そういうことじゃない!?」
左門のヘクター、右門のサイラス、前門のラティーシャ。
「チッ、もう一分経っちまったか」
後門は、帰る方角じゃない。
ラティーシャに〈凍結〉が効かない以上、もう正々堂々と正面突破するしかないようだな。
くそう、めんどくさい。帰りたい。




