第八十九話 いいから帰るですよ勇者様
「勇者様!」
ついに勇者様を見つけたわたしは、居ても立ってもいられず立ち上がろうとしたです。
ですが、その前に教会の大扉が乱暴に開け放たれたです。
「出て来い!! 安息の英雄オフトゥヌス!!」
響き渡る怒号。短い杖を握った若い男の人が突入してきたです。
「何者だ!」
みんながなんだなんだとざわめく中、司祭様の一人が誰何したです。
「俺は建労神教会のエディ・アーネル! よくも兄弟たちを誑かしてくれたな! 先の事件で失われた時間を取り戻すために、俺たちはまだまだ働かなければいけなかったんだ!」
建労神教会?
そういえば、安息神教会に勧誘してきた人がそんな名前を言ってたですね。安息の敵だとかなんとか。こんな襲撃をしてくるってことは、文字通りの意味で『敵』ってことですか?
司祭様たちが男の人――エディさんを取り押さえようとするですが、杖を振るわれて牽制され近づけないようです。
興奮している様子のエディさんの前に、勇者様が歩み出たです。
「誑かしたとは人聞きが悪いな。俺は彼らを救ってやったんだ。ブラック企業というこの世の闇からな」
「救いだと? ふざけるな! 我らに、いや、人類に安息など不要! 建労こそ人類のなすべき宿命だ!」
「ふざけているのはお前だ! 不眠不休で労働し続けることのどこが建労だ! 安息こそ人類の求める極地! 労働など安息のためのスパイスに過ぎぬと知れ!」
言い争いを始める二人。
一触即発な雰囲気ですけど……
「イの字がよくわからんけどカッコイイこと言ってるのじゃ」
「ちょっと見ない間に言葉遣いが変わってる気がするです……」
さっきは普通だったですのに……英雄をやってる間になにか狂ってしまったですかね?
「オフトゥヌス、俺はあなたを尊敬していた! だが、あなたは変わられた! 少し前のあなたは、王都を二度も救ったあなたは、何事にも嫌な顔せず常に人々のために働き続ける建労の使途だった! それがなぜ、このような腑抜けた奴らの味方をする!」
「俺は思い出したのだ! お前が理想に描く英雄だった頃の俺はまやかしに過ぎん! 帰ることを忘れ、オフトゥンの温もりすら感じられぬ生活に価値などない!」
「説得の余地はないのか!」
「そんなものが存在すると思ったか?」
……。
なんでしょうね、コレ?
重苦しい空気なのに、言ってることがめちゃくちゃです。
「ならば仕方ない。あなたを含め、この場にいる安息信徒どもに建労の素晴らしさを教えるまで!」
「敵地に単身で乗り込んだことは誉めてやろう。だが、たかだか建労の使いっ走りがこの俺に勝てると思うなよ!」
エディさんが杖を構えるです。それに合わせるようにして、勇者様もシーツの懐からなにかを取り出したです。
アレは……枕?
「――鳴り響け! 建労の鐘! 彼らの眠りを覚まし、働くための活力を与えよ!」
「無駄だ! ――癒しを齎す優しき力! 安息神の聖名の下、穏やかなる腕に抱かれて眠れ!」
エディさんの杖からジリリリリィ! と耳障りな音が響いたかと思えば、勇者様の枕から放たれたふわっとした光に掻き消されたです。
勇者様が、魔法を使った?
枕を持っているってことは、誰かの〈模倣〉ってわけじゃなさそうですけど。
なんだか、わたしたちの体もふわっとしたです。例えるならヘクターくんの家で綿毛鳥の羽毛ベッドに横たわった時のような感じですね。ふわぁ……ハッ!
「相殺した……? いや、なんだ、この満たされていく感覚はぁあああッ!?」
「安息に身を委ねよ、建労の使途よ」
輝く枕を抱いたまま勇者様が冷徹に言い放つです。
「くっ、俺は屈しないぞ! 安息などに……安息などに!」
「なかなかしぶといな」
「くそっ! いつか、必ずあなたたちの目を覚まさせてやる!」
必死に堪えていたエディさんは、捨て台詞を吐くとよろめきながら立ち去って行ったです。結局よくわからない攻防だったですね。
「「「うぉおおおおおおおおおおおおおッ!!」」」
勇者様の勝利が確定した瞬間、教会内に鬨の声が上がったです。
「流石オフトゥヌス様!」「建労神教会をいとも簡単に!」「芸術的な安息魔法でした!」「我らの安息は守られた!」「オフトゥヌス様万歳!」「〈安息の四護聖天〉万歳!」「私にもオフトゥヌス様の安息をください!」「あ、抜け駆けはずるいわよ!」「私にも!」「俺にも!」「儂にも!」
信徒たちが一斉に勇者様を取り囲んでキャーキャー言い始めたです。
「なんだかイの字、物凄い人気なのじゃ」
「……もう、黙ってられないです」
わたしは立ち上がり、信徒たちを掻き分けて勇者様の前に出るです。
「勇者様!」
「げっ、エヴリル!?」
わたしと目が合った途端、勇者様はやましいことが見つかった犯罪者のような顔をしたです。この人は……。
「『げっ』とはなんですか捜したんですよ勇者様!?」
「お、俺は勇者ではない。敬虔なる安息信徒にして、〈安息の四護聖天〉が一人――オフトゥヌスである。人違いではないかな?」
「やかましいです!? いいから帰るですよ勇者様!?」
「ちょっ!?」
あからさまに目を泳がせた勇者様は強制連行です。手を無理やり掴んで出口へと引きずるです。帰ったら黙って行方不明になったことをみっちり説教してやるですよ。
「……待つ、なの」
と、わたしたちの前に小さな女の子が立ちはだかったです。
可愛らしい両腕を精一杯広げて通せん坊する、ふわふわの金髪をした眠そうな女の子。安息神教会の大神官様――フトゥン=ネムリア様です。
「どいてくださいです、天使様」
「……ネムは天使じゃなくて新神なの」
シンジン?
聞かない言葉です。
「……ネムの英雄を連れて行っちゃダメなの」
「勇者様はわたしのゆう……ぱ、パートナーです! 勝手に連れて行ったのはそっちじゃないですか!」
小さな女の子に対してきつく声を荒げてしまったですが、寝不足のせいかどうもイライラが収まらないです。頭も気を抜けばぼんやりしそうです。
「……ダメなの」
天使様が勇者様の腰にしがみついたです。ぐぬぬ、こうなったら無理やりにでも突破して……あ、まずいです。信徒たちに囲まれてしまったです。
「オフトゥヌス様は安息神教会に必要なお方よ!」「オフトゥヌス様を連れ去ろうなんて無礼な奴め!」「まさか建労神教会の回し者ではあるまいな!」「絶対にそうよ!」「入信希望者のフリをしていたのね!」「我らが英雄オフトゥヌス様を攫おうと企てたってことか!?」「ネムリア様! オフトゥヌス様! お下がりください!」「この者を捕らえよ!」「もふもふの刑に処してやる!」
みんな殺気立っているです。
「エの字! なんだかヤバイのじゃ! ここは一旦退いた方がよいのじゃ!」
「ダメです! せっかく勇者様を見つけたんです!」
ヴァネッサさんの言う通りにすべきかもしれないですが、わたしにも退けない時はあるです。
すると、勇者様がわたしの顔を覗き込んできたです。か、顔が近いです。
「エヴリル、お前、その顔……寝てないのか?」
「誰のせいだと思ってるですか!?」
どこかの誰かさんが心配をかけさせまくったせいですよ!
「この女、自分の寝不足をオフトゥヌス様のせいに!」
「騒ぐな、帰りたくなる」
喚いてわたしに掴みかかろうとした信徒の女の人を、勇者様が手で制したです。それから深く溜息を吐いて、罰が悪そうに頭の後ろを掻いたです。
「はぁ、まあ、ちゃんと連絡しなかった俺が悪いか。でも連絡したら絶対反対されてただろうからなぁ」
「当たり前です! こんな怪しい教会に入るなんてどうかしてるです!」
教会を批判したわたしにまたも殺気が膨れ上がったですが、もうそんなの気にしてられないです。
安息神教会なんて、聞いたことがないです。
とってもイケナイ宗教の香りがプンプンするです。
「反省してるなら、すぐに帰るです。勇者様、お仕事じゃなく家に帰るんですから断らないですよね?」
「魅力的な話だが、俺は帰らない」
「なっ……」
勇者様の返答にわたしは絶句したです。
あの勇者様が、『帰らない』って言ったですか?
「俺が今帰る場所は、この安息神教会なんだ」
「な、なんでですか!?」
「だってここは必要以上に働かなくていいし最高級オフトゥンちゃんといつでもイチャイチャできるしゲフンゲフン! いやなに、信徒たちが俺を必要としているんだ。俺がみんなを建労神教会の魔の手から守ってやらないとな」
「今めっちゃ本音が聞こえたのじゃ……」
ヴァネッサさんがぼそっとツッコミを入れたです。
「それに、ネムリアのためにも俺はここを離れるわけにはいかないんだ」
勇者様は腰にしがみつく天使様の頭を優しく撫でたです。天使様は気持ちよさそうに目を細めたです。わ、わたしだってあんまり撫でてもらったことないですのに……。
いやそれより、天使様を撫でる勇者様の目は慈愛に満ちていて、その言葉に嘘偽りがないとわかったです。わかってしまったです。
「勇者様……」
わたしは、そんな勇者様を見て――
「ロリコンに目覚めたですか?」
「違う!?」
全力で否定されたです。怪しいです。今度アイリーンちゃんに勇者様には近づかないよう注意しておかなくては。
「まったく、さっきから聞いてられぬのじゃ」
今度はヴァネッサさんがやれやれといった風に勇者様の前に立ったです。
「なんだ、ヴァネッサいたのか」
「最初からずっといたのじゃ!? それよりイの字よ、ここはお主の家ではなかろう? あれほど帰りたい帰りたいと言っておったお主が、与えられただけの安息に囚われて本来の家に帰らぬなぞおかしい話なのじゃ」
「そうです! わたしたちの家はつい最近新しくなったです! 勇者様、まだ見てないですよね? この教会に入ったのはなにか理由があるのかもしれないですが、その話は帰ってから――」
「――彼の者に深き安息を」
「あっ……」
勇者様の枕が輝き、わたしとヴァネッサさんの足元に温かな光の魔法陣が出現したです。対象がわたしたちだからか、さっきの魔法よりも頭がぼんやりしてきたです。
「ふぁ……にゃんだかふわふわしてきたのじゃぁあぁ……」
ヴァネッサさんの瞼が落ち、敷かれたお布団に倒れ込んだです。すーすーと安らいだ寝息が聞こえるです。
わたしも……もう、立ってられな……
「悪いな、エヴリル。これは、俺がやらないといけない使命なんだ」
白く染まっていく意識の中、勇者様の言葉が微かに聞こえるです。
瞼が重い。手足に力が入らない。
ダメ……です……
「ゆ、勇者さ……ま……」
意識が、途絶える――
「よい安らぎを」




