第八十六話 俺ハマダ働ケル
俺の名前は伊巻拓。好きな四字熟語は『年中無休』だ。
エンシェント・ドラゴンから王都を守り、魔物の暴走を引き起こしていた魔女を捕らえ、呪いにより暴徒と化した国民をほとんど無血で救ってみせた英雄だ。
英雄となった俺は人々から頼られる毎日を送っている。
北に村を襲撃している魔物の群れがあれば、行って殲滅し。
南に謎の地下迷宮が発見されたと報じられれば、行って攻略し。
西に得体の知れない疫病が蔓延していれば、行って解決し。
東に魔王を名乗る強大な魔族が出現すれば、行って討伐した。
俺が事件を解決する度に人々は笑顔になる。俺はその笑顔を見られるだけで幸せだった。
英雄とはかくも素晴らしきお仕事である。
伊巻の人間は疲労はすれど、倒れはしない。病気にもかからなければ、大怪我をして動けなくなることもない。その特異体質の最高峰になると『なぜか死なない』という奇跡の恩恵を持つ者もいたりするが、俺は残念ながらそれじゃない。
だが、死を恐れていては英雄たり得ない。
どんな危険な仕事にも笑顔で臨み、たとえ何日何ヵ月何年かかろうともやり遂げる。それが星七つの冒険者であり、英雄と呼ばれる特別な人間に与えられた使命なのだ。
一つの仕事が終わったら二つの仕事が舞い込んでくる。今回だって誰も攻略したことのない死の遺跡を二週間で攻略して帰って来たってのに、ギルドに報告した途端、殺到する俺ご指名の依頼に「やれやれ、まったくしょうがないな」っていう気持ちだ。
働くことこそ生き甲斐の俺にとっては休まずに全部受けるつもりだったのだが――
「あの、タクさん、そろそろ休まれては?」
「ダイジョウブダイジョウブ。俺ハマダ働ケル」
「エヴリルさんたちがずっと帰りを待っていますよ?」
「ダイジョウブダイジョウブ。俺ハマダ働ケル」
「目の焦点が合ってませんよ!? いいから少し休んでください!? そうじゃないと依頼は受けさせません!?」
「ダイジョウブダイジョウブ。俺ハマダ働ケル」
「大丈夫じゃないから言ってるんです!?」
ギルドの受付嬢がおかしなことを言って俺から仕事を奪おうとする。一体どういうつもりなんだ?
人間、休みなんていらないだろ?
英雄は年中無休二十四時間営業なんだよ。まさかこいつ、俺の仕事を邪魔する気か?
「じゃあもう私がお仕事として依頼します! 休んでください!」
そう怒鳴って受付嬢はギルドの依頼申請用紙に依頼内容を殴り書いた。ふむ、仕事なら仕方ないな。
久々にエヴリルたちの顔でも見に行ってやるか。
そう言えば、買い取った宿の改修はどうなったんだろう?
家のことは全部エヴリルに任せていたからな。一緒に仕事してないのかって? いやいや、働くのは英雄たる俺の役目だから。なんなら俺以外働かなくていいまである。
あれからすぐに改修工事を始めていたのなら、そろそろ新居が建っていてもおかしくない頃合いだ。
まあ、家なんてあってもしょうがないんだけどな。どうせ年中無休で仕事してるんだし。でもこうやって休みの仕事を依頼されたら困るから、やっぱあった方がいいのかね。
「ウッ!?」
なんだ? 頭が痛い?
家? か……える? お……ふとぅ……? わからない。なにかを忘れている気がする。
なにか、とても大事なものを――
「アレ?」
と、帰り道に見慣れない建物が建っていることに俺は気づいた。
改修した宿ではない。それはもう少し先だ。
小さいながらも荘厳な雰囲気を漂わせるそこは、教会だった。
この世界は多神教であり、王都にも様々な神を祀った教会が区画を分けて建てられている。
王城のある区画は太陽神教会。ヴァネッサの家がある区画は地母神教会。ギルドや俺の宿がある区画は天空神教会だったはずだ。
つまりこの辺りは天空神教会の縄張りなはずなんだが、この教会はどうも別の神を祀っているようだ。そういえば天空神と聞くと胸の奥がムカムカするんだけど、ナンデダロウネ?
立ち止まって教会の全容を見上げる。
ゴシック調のトゲトゲした雰囲気はなく、全体的にどことなく丸い。なにより天幕のように上から被せられている布は一体なにを表しているのだろうか?
気になる教会の名称は――
安息神教会。
「……」
安息神教会?
「……」
安息神。
「――ッ!?」
なんだ、また、頭の中がずきっと。
「ふとぅ……安息……ハッ! オフトゥン! オフトゥン!! 帰りたい!? うぉああああああああああッ!?」
割れるように痛む頭を押さえて俺は踞る。オフトゥン? 帰りたい? なにを言ってるんだ。俺は英雄だぞ?
そんな、そんなふ抜けたものなぞ――
「……ネムの英雄、見つけた、なの」
吐き気まで催し始めた俺に、小さな白い手が差しのべられた。
「あ……なた……は?」
顔を上げると、そこには天使がいた。
比喩ではない。白みがかったふわふわの金髪に、整った顔立ち。背中からは白い翼が一対生えており、教会を背負うその姿には後光まで差していた。
年はエヴリルよりもずっと下……十歳かそこらだと思われる。眠そうな半眼にクリーム色のワンピース。なぜか頭には水玉模様のピンクのナイトキャップを被っていた。
「……ネムはネムリアなの。新時代の神――新神にして安息神様の声を皆に届ける代弁者」
眠そうな声で寝ぼけた内容を告げる少女。どこぞの中二病患者とは違って、嘘はついていなかった。
「……今はこの、安息神教会の大神官なの」
その日、俺は思い出した。
英雄の職務に振り回されていた恐怖を。
仕事に囚われ帰ることのできなかった屈辱を。




