第八十四話 俺は英雄になんてなる気はないぞ!
「――ከምሳ ጋር የተቀመጠው አኪራ አንድ ጊዜ መተኛት እንደሚፈልግ ተናግረዋል」
飛行魔法で箒に跨って浮上したゼノヴィアが、詠唱を最終節まで唱え終えた。
ゼノヴィアを中心に赤黒く禍々しい輝きを放つ巨大魔法陣が展開される。恐らく王都の三分の一くらいを覆う広範囲だ。もはやどうやって発音してるのかすらわからない言語だったけど、魔法はちゃんと発動したようでなにより。
対象は、〈改変〉の魔法によって狂わされた人々全員だ。
今かけられている〈呪い〉よりも強力な〈呪い〉で上書きする。ヘラヴィーサが幻惑魔法で暴徒たちを王城周辺に集めてくれていたのは逆に助かったかもだな。
欲望を暴走させる危険な呪法で、一体どういう安全策を取ったのか?
その答えは、俺に向かって風弾を連打しているエヴリルに起きた変化によって知ることができた。というかヴァネッサ、俺の背中に隠れるなよ鬱陶しいな。
「ユウシャサマ……キョニュ……ウワキ……ふわぁ」
エヴリルが神樹の杖を振るうことをやめ、大きな欠伸を漏らした。
「ネル……ねる……眠い、です」
それからウトウトと重そうに瞼を閉じたり開いたりを繰り返したかと思えば……おいおい、膝を折って地面に横たわったぞ。
近くに寄ってみると――すーすー。規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
「眠らせたのか?」
「少し違うのじゃ。これは人間が誰でも持つ睡眠欲求を暴走させた結果じゃよ」
答えたのは未だ俺の背中に貼りついてエヴリルを警戒しているヴァネッサだった。一応その辺までは関わってたもんね。魔法構築。
確かに寝てれば危険はない。余程寝相の悪い奴でもいない限りはな。
見れば、他の暴徒たちもぐっすりすやすや。地べたで気持ちよさそうに眠っている。目覚めた時には欲求も満たされて〈呪い〉は解けるっていう見込みだけど、本当に大丈夫なんだろうか?
「勇者、皆をお前と同じにしてやったのよ」
「は? 俺と同じだって?」
俺は芝生の上で寝息を立てているエヴリルを見る。俺と同じ? どの辺が?
「お前は常に寝たそうにしていたのよ」
「いやいや全然違うだろ!? 俺は寝たいわけじゃねえよ!? 帰ってオフトゥンちゃんとイチャイチャしたいんだ!? 帰らずに地面で寝るとか正気の沙汰じゃねえ!?」
「そ、そこまで否定せんでもよかろう?」
「なにが違うのよ?」
くそう、魔物に育てられたゼノヴィアにはわからないかなぁ、この気持ち。寝るならオフトゥン! これ常識! 就職試験の一般常識問題に出してもいいレベル。寝袋持って会社に泊まっちゃいけません。ちゃんと帰りましょう。
「勇者殿、今回もまた助けられてしまったな。国を代表して礼を言わせてほしい」
と、眠った暴徒たちをどこかに運び出す指示を終えたラティーシャが数人の兵士を引き連れてやってきた。
その顔には俺への感謝と、尊敬と、どこか申し訳なさそうな色が浮かんでいる。
「勇者殿は我が国の英雄だ。貴族の称号を与えるだけでは足りないだろう」
「やめろラティーシャ。俺は自分が帰るために頑張っただけだ。英雄とかマジ勘弁。帰れなくなるだろ」
「ハハ、勇者殿なら、そう言うだろうと思っていた」
ドラゴンの時も全力で断ったからな。エヴリルに神樹の杖でぶん殴られようと意見を変えなかった俺だからな。ラティーシャも俺が担ぎ上げられることを嫌うって知っている。知っていて、今、英雄がどうのっていう話を持ち出している。
事情はまあ、わからないでもない。
「イの字は恥ずかしがり屋じゃのう。英雄じゃぞ英雄! 貰っておけばよいではないか! なんならわしが英雄になってもよいのじゃぞ?」
ようやく背中から離れてくれたヴァネッサが無駄に膨らんだ胸を張る。
「お前はエヴリルのデコイにしかなってなかったじゃねえか!」
「なんじゃと! わしがエの字を引きつけたおかげで解決したのじゃろうが!」
それはたまたまエヴリルさんの巨乳への怨念が強すぎただけで、別にヴァネッサがいなくてもどうとでもなったことは仕方ないから黙っておこう。
「ドラゴンの時もそうだったが、民たちはまた同じことが起こるのではと不安になっているだろう。彼らが今後も王都で暮らしていくためには、同じことが繰り返されても大丈夫だと安心できる英雄の存在が必要だ。前回は私が代わりに筋肉を見せて民たちを率いたが、今回は大勢の者が勇者殿の活躍を見ている」
振り向けば、王城に避難していた一般人たちが俺とラティーシャの遣り取りを注目していた。そこにはリリアンヌと、彼女たちを守っていたヘクターもいる。どうやら無事みたいだな。
「だったら、英雄は俺じゃないだろ」
俺は闇色ドレスの少女の背後に回り、両肩に手を置いてラティーシャへと差し出した。
「暴徒を鎮めたのは、ゼノヴィアだ」
「ふぁ!? な、なにを言っているのよ勇者!? ヘラヴィーサの極大魔法を防いだのは勇者なのよ!?」
「あんなの防いだところで暴徒をどうにかできなかったら結局同じようなもんだろ」
俺だけじゃ禁書を解読できても魔法構築なんてできない。神の力だからか、あの禁書の魔法は〈模倣〉も不可能だったしな。となるとやっぱり、今回の立役者はゼノヴィア以外にはありえない。
「俺は英雄になんてなる気はないぞ! 五つ星冒険者の時点で注目浴びてるんだ! これ以上帰りにくくなるのはごめんだね!」
「あたしだって嫌なのよ! あたしは、一度はドラゴンを呪ってこの国を滅ぼしかけたのよ? 呪った魔物がこの国の人間を襲ったりもしたのよ? そんなあたしが英雄だなんておかしいのよ!」
「別にお前自身がそうしたかったわけじゃないんだろ?」
「それは……」
ゼノヴィアは魔物を助けたかっただけだ。人間に怯えて暮らす生活から〈解放〉しようとしただけだ。結果的に人を襲う魔物が増えてしまったわけだが、魔物とはそもそもそういうもんだろ。サラマンダーみたいなのもいるけど。
俺は困惑するゼノヴィアを真っ直ぐ見詰め、言う。
「この国の英雄になれよ、ゼノヴィア。罪を感じているんなら、英雄として償い続ければいい」
「要するにイの字がゼの字になにもかも押しつけて帰りたいだけなのじゃ」
「うむ。まさにその通りである」
「少しは誤魔化したりするのじゃ!?」
誤魔化すもなにも、俺は最初からそう言ってるじゃないか。帰りたいんだよ。とにかく。一秒でも早く!
「どうだ、ラティーシャ? やっぱりゼノヴィアじゃダメか?」
ゼノヴィア本人じゃ話にならないから、俺は国の代表様に話を振った。
ラティーシャは少し難しい顔をして腕を組み、十秒ほど逡巡すると――
「……暗黒神教会には、私から話して指名手配を撤回してもらうとしよう」
「王女!?」
承諾したことと同義の返答にゼノヴィアが絶句した。ラティーシャはさっそく手を回すように兵士たちに指示を出しているよ。筋肉に関わることじゃなければ話のわかる王女様で助かったな。
「ふ、ふざけるんじゃないのよ!? なんであたしが人間どものために英雄になってやらなきゃいけないのよ!? 勇者、やっぱりお前が英雄になるべきなのよ!? というか既に『勇者』と呼ばれているじゃないのよ!?」
「いや、それはお前やエヴリルやラティーシャが勝手に言ってるだけだぞ?」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らすゼノヴィアだが、もう遅いぞ。諦めろ。
「とにかく! お前は英雄! 俺はちょっと協力した一般人A! それで議論終了! 異議なし解散! 帰る!」
「流石に一般人はないのじゃ」
さっきからちょいちょいツッコミがうるさいですね、ヴァネッサさんや。
俺はエヴリルを背中に担ぐと、これ以上巻き込まれてなるものかと急ぎ足で帰路を歩み始めた。ヴァネッサも慌ててトコトコとついてくる。いやお前はお前で帰れよ。
「さあ、魔女殿。まだ残っている暴徒がいるかもしれない。一緒に来て〈呪い〉の上書きを頼む」
「勇者!? まだあたしは納得してないのよ!? 勇者ぁあああああああああッ!?」
背後からラティーシャと兵士たちに丁重に連れて行かれるゼノヴィアの絶叫が響いてきた。でも俺はもう振り返らない。早く帰って、俺の宿とオフトゥンちゃんが無事かどうか確認する使命があるんだ。
まあ、なんだ。
頑張れよ、英雄様。




