第八十二話 そんなことより帰りたい
箒に跨ったゼノヴィアが空中に浮いていく。
城門の上にいる俺よりもさらに高度を上げ、大衆がよく見渡せる位置まで昇ると停止し、禁書のページを捲る。
俺が知る限り、魔導師は魔法を使う際になにかしらの媒体を用る。エヴリルが神樹の杖、ヴァネッサは石杖、ゼノヴィアは箒がそれだ。〈模倣〉した俺は使ってないように見えるが、それはその媒体を含めたステータスをオーバーライドしているからだ。
今回、ゼノヴィアは箒じゃなくて禁書そのものを媒体として利用している。
たぶん、そうしないと今から行う魔法は制御どころか発動すらできないんだ。
だから見るだけで文字通り目の毒な禁書を読んでいるわけじゃない。ゼノヴィアは瞑目して集中し、詠唱を始めた。
「――ዛሬም ዝናብ ነው ስለዚህም የተስፋ ቃል መወለድ ዓለም ነው」
なんて?
呪文が聞き取れなかったとかじゃなく、理解できなかったぞ。仕方なく魔眼の翻訳機能を使って言葉を視覚化してみると、『今日は雨なので約束の誕生が世界でした』……ホワッツホワーイ?
「――የኒው ዮርዳኖስ ቅዠት ከንፋስ መፍሰስ ጋር ይጸልያሌ」
今度は『双子の悪夢は風車で祈ります』とか翻訳されてるけど、やばいな。魔眼がバグった。これはアレだ。禁書に書かれていた神の言語を解読した時と同じで、日本語にすると謎の文章になってしまうんだ。
よし、考えるのをやめよう。帰りたくなる。
俺は聞き取りも諦めてぽけーっと長い詠唱を続けるゼノヴィアを眺めることにした。にしても流石は闇属性の魔導師。ふわりとしたドレス姿なのに、見上げてもスカートの中は暗黒空間しか見えない。作り込みの甘い3Dモデルみたいだな。
お、そろそろ発動しそうだ。
「――って、まてゼノヴィア! 今魔法を発動させても無意味だ!」
「ひゃっ!? なんなのよ勇者!? いきなり大声出さないでほしいのよ!?」
ビクン! と肩が跳ねたゼノヴィアは苛立たしげに俺を睨んできた。せっかくの魔法を中断させてしまったのは悪いが、無駄に魔力を消費するよりはマシだろ。
「今のこいつらは無敵状態だ! なにをやっても通用しない! 効果が切れるまであと三十秒待ってくれ!」
なにせ時間が止まっているからな。ダメージも与えられなければ状態異常もかけられない。星が爆発しようが微動だにしないし、触ったところで鋼鉄の人形みたいな感じだからハレンチなこともできません。
「なら、もう一度詠唱を始めるのよ。それで丁度いい時間にな――ッ!?」
なにかに気づいたゼノヴィアが箒を急旋回させてその場を離れた。すると一瞬遅れて赤々と燃える炎がさっきまでゼノヴィアがいた宙空を焼く。
「勇者! 止めれてない奴がいるのよ!」
「炎の攻撃だと……?」
俺は炎が飛んで来た方向に視線をやる。そこにはあの元星六つ冒険者チームにいた竈王神教会の魔導師が杖を構えていた。
馬鹿な。あいつは確実に〈凍結〉の範囲に入っているはずだ。まだ効果が切れるには早いぞ。それはあいつの周囲が誰一人として動かないことから間違いない。
赤髪の女は停止した暴徒たちを飛び越えて城門の前へと出て来ると、ニコッと妖艶な笑顔を俺たちに向けた。
「うふふ♪ なにをする気なのかすっごく興味はあるけれど、お姉さんの実験を邪魔しちゃい・や・よ♪」
赤髪の女はウインクをすると、右手の人差し指を立てて顔の前でチッチッチと振った。よく覚えてないけど、あの炎の魔導師ってこんな喋り方だったっけ?
いや。
違うぞ。たった今魔眼で看破したが、あの姿は――幻だ。
「お前は……正体を見せるのよ!」
ゼノヴィアも気づいたようで、俺の隣に着地して怒鳴るようにそう言う。
「ふふっ♪」
妖しく笑った赤髪の女の体が、ぶれた。
蜃気楼のように揺らめく女の髪色が、赤から金へ。竈王神教会のローブが胸元を大きく開いたロング丈のドレスへ。長い木の杖が小さめの指揮棒へと変化する。
そして――
「はぁい♪ くぉーんにーちはぁー♪ お探しの〈幻惑の魔女〉こと
ヘラヴィーサお姉さんよん♪」
底抜けに明るい声と共に、そこにはさっきまでとは全く別の女が姿を現していた。輝くような金髪は少しウェーブがかかっており、背中まで伸ばしている。瞳は灰色でやや吊り目。輪郭も整っていてかなりの美人だ。
そして体のラインはボッキュボン! 前屈みになっているから胸の谷間がやたらと強調されててふむふむなるほど、確かに、エロい感じです。九十・五十六・八十四。なんの数字かって? さあ、ヨクワカラナイケド視界ニ表示サレタカラ。
それはともかく、この金髪女が今回の騒動を起こした黒幕ってことでいいんだな?
「……ずっとその姿だったのよ? 見つからないわけなのよ」
「違うわぁ♪ 姿はいろいろと幻惑魔法で変えていたわん♪ さっきの姿を借りたのは彼女たちに術をかけた時ね♪」
てことは、俺たちと決闘していた頃は本人だったってわけだな。あと〈呪い〉は感染してたんじゃなくてやっぱりこいつがばら撒いてやがったんだ。
「入れ替わったということか。本人はどうした?」
金髪女――ヘラヴィーサの前に立ったラティーシャが大剣を突きつけて問う。
「ふふ、ここじゃないどこかで眠っていると思うわ♪」
艶めかしく返答するヘラヴィーサ。嘘なら魔眼が看破するから本当だろうな。眠っている、が具体的にどういう状態なのかはわからんけど。
「とにかく、詳しい話は牢の中で聞かせてもらおう。貴様を捕縛する!」
ラティーシャが一鼓動でヘラヴィーサとの距離を詰め、腹を向けた大剣を大上段から振り下ろす。気絶させるつもりなのだろうが、ラティーシャの筋力値だと余裕でぺしゃんこだぞ!
「ふふ、せっかちな王女様♪」
ヘラヴィーサはヒラリと簡単にその一撃をかわすと、踊るように指揮棒を振るって呪文を詠唱する。
「――唸れ業火。赤き猛撃により爆ぜよ♪」
火炎球の魔法だ。あいつも竈王神教会の魔導師だったのか? そういえば元星六冒険者の女に化けてた時も普通に火炎球を撃ちまくっていたな。ハッキリ呪文を唱えていたのに、おかしいと思うべきだった。
「――世界を巡る悠久なる風よ。我が声に従い敵を撃て♪」
「なに!?」
ラティーシャが炎を避けると、今度は風弾の魔法を唱えてきたぞ。どうなってやがる? まさか複数の属性を操れるのか?
「王女! 惑わされてはいけないのよ! その炎も風も幻惑魔法なのよ!」
風弾を大剣で弾いたラティーシャにゼノヴィアが叫ぶ。俺も丁度魔眼でその答えに辿り着いたところだ。
「魔女殿! 本当に幻か? 炎は熱いし、風も確かに肌を撫でたぞ!」
「それも全部偽の感覚なのよ!」
そうか、幻惑されているのは視覚だけじゃない。聴覚や触覚――俺たちの五感全てを騙しているんだ。
「いやん♪ お姉さんの魔法をバラすなんてゼノヴィアちゃんは悪い子ねん♪ でも、彼らの攻撃は本物よん♪」
ヘラヴィーサが指揮棒で背後を示した。そこには……ミスったな。〈凍結〉していた暴徒たちが唸り声を上げて押し寄せて来ていた。
いつの間にか時間切れになってやがった。
「ラティーシャ下がれ! 〈凍結〉をかけ直すぞ!」
「あら?」
俺は再び手を翳して城門前広場全体の時間を止める。そこにはヘラヴィーサも含まれていたのだが――
「やっぱり見たこともない魔法よねぇ♪ お姉さん、君に興味が湧いてきちゃった♪」
「なっ!?」
一瞬で後ろ――城の中に。まさか、転移魔法? マジか! 嘘だろ? ついにキタァーッ! 俺が帰れる時代!
よっしゃさっそく〈解析〉してデータを保存……あ、ダメだ。これ転移じゃない。さっきまで俺たちが会話してたのは魔法で生み出された幻だ。今、城の中に出現した奴も同じ。
本体は、どこだ?
「うふふ、そんなに見詰めちゃって♪ どう、これからお姉さんとイイコトしない?」
「そんなことより帰りたい」
「あらら、フラれちゃったわ♪ でもお姉さん、そう邪険にされるとますます熱くなっちゃうタイプなの♪」
なるほど、変態だ。
あまりお近づきになりたくないタイプですね。超帰りたくなるやつ。エロいのは大変結構だけどそういうのはノーサンキューな俺です。
「お前はこんなことをして一体なにが目的なのよ!」
「ふぅん……その様子だと、ゼノヴィアちゃんはお姉さんのお誘いを断っちゃうわけね?」
顎を人差し指で持ち上げるようにしてなにか思案するヘラヴィーサに――轟!! と。
ゼノヴィアの正面に展開された魔法陣から、闇の光線が撃ち放たれた。ヘラヴィーサの脇を掠めて地面に黒い穴を穿つ。
「いいから、答えるのよ!」
恫喝するゼノヴィアに、ヘラヴィーサはふふっと嗤って諸手を挙げた。
「いいわ。いいわね。丁度お姉さんも実験結果を誰かにお話したかったところだし♪」
言うと、ヘラヴィーサは左手にどこからともなく分厚い書物を出現させた。ゼノヴィアが持っているものと同じ、『ヘロイアの書』の写本だ。
「この書に乗っている〈改変〉の魔法は、ただ生き物を暴走させるだけじゃないわぁ♪」
一ページ目が捲られる。見ただけで精神汚染を引き起こしかねない禁書だが、ヘラヴィーサは平気そうだ。まあ、幻だからだろう。
「魔法をかけるとね、稀に元の能力以上の力に目覚める子がいたりするのよ♪ それがどういった条件で発生するのか、お姉さんすっごく気になったわけ♪ でも、調べるには数が必要でしょう?」
「だから我が国の民を利用したの言うのか!」
ラティーシャが激昂する。そんなことのためになんの罪もない人々が暴徒に変えられたとなれば、王女として看過できないだろう。
「百人に一人の割合だったわ♪ 特に覚醒が著しかったのは、あっちで追いかけっこしてる天空神教会の魔導師ちゃんね♪」
俺はチラリと視線だけでそっちを見る。相変わらずヴァネッサは泣きながら全力で逃げていて、それをエヴリルが般若のごとき表情で追い回しているよ。アレは怖い。俺だったら帰りたい。
「結論として、強い成長願望があると覚醒しやすいことがわかったわ♪ 条件はそれだけじゃなさそうだけれどね♪」
「成長願望?」
胸の?
だったら今頃エヴリルさんは巨乳になってるんじゃないの? サラマンダーが巨大化したみたいにさ。
ヘラヴィーサが憐れむような目で俺を見て、首を左右にゆっくりと振った。
「まあ、わからないでもないわね♪ 君みたいな子と一緒にいたんじゃ、平凡な自分が嫌になっちゃうもの♪」
「エヴリル……」
思い当たる節は、ある。俺はチート能力のせいでその気になればなんでもできちまいかねないからな。エヴリルは自分がいらない子になるんじゃないかって心のどこかでまだ怯えてるんだ。
俺は他人の仕事を取ったりしないのに。そんなことするくらいなら帰るのに。
「そこだ!」
突然、ラティーシャが大剣を明後日の方向へとぶん投げた。
回転しながら飛んでいく凶悪な質量がなにもない空間を薙ぎ払う。するとその空間が歪み、脇腹を浅く切ったらしい金髪の女が滲み出てきたぞ。
表情は驚愕に染まっている。傷つけることができたってことは、本物だ!
「……どうしてお姉さんの居場所がわかったのかしらん、王女様?」
「不明な筋肉反応を検知したのでな」
「意味がわからないわぁ♪」
俺とゼノヴィアは城門から飛び降りてラティーシャと合流し、血の滲んだドレスを手で押さえるヘラヴィーサを取り囲んだ。
さらにその周りを、逃げられないように兵士と冒険者たちが包囲する。
「さあ、観念するがよい」
「ふふ、実験のついでに幻惑魔法で彼らをどこまで操れるか試していたのだけれど……これじゃもう無理そうね♪ そろそろ潮時かしらん?」
完全に逃げ道を封じられたヘラヴィーサは、観念したように溜息をついた。




