第百十二話 オフトゥンちゃんが……泣いてる……ッ!?
新居のベッドは筆舌に尽くしがたい心地よさであった。
アレだね。安息神教会のベッドも最高だったけど、やっぱり我が家が一番落ち着いてオフトゥンできる。よく『どこでも眠ることができるぜ!』って自慢する忍者みたいな人がいるけど、俺には到底理解できません。自分の家の、自分の部屋の、自分のオフトゥンこそが至高の安息地なのだ。異論は認めない。
カーテンの隙間から漏れる日差しが、朝の時間を告げている。やだなぁ、眩しいなぁ。瞼を閉じても刺してくる光で灰になりそうだ。
「おのれ、忌々しき太陽め。我ら夜の眷属の怨敵め。貴様の光には屈しない。絶対に屈してなるものか!」
「なに吸血鬼族みたいなこと言ってるですか勇者様! 朝です起きるです!」
カンカンカン! 天界の鐘が荒ぶったようなけたたましい金属音が俺の耳をクラッシュした。びっくりして寝返りを打つと、右手のおたまで左手のフライパンを連打するエヴリルさん。
「やめろエヴリル!? 朝からその音は工事現場並の大迷惑だ!?」
「ここはもうわたしたちの家です。だからどんだけうるさくしようと問題ないです」
「他にも住人がいるんですけど!?」
「ヴァネッサさんは一昨日から実家に帰ってるです。ネムリア様は……この程度で起きてくれるなら苦労しないです」
現在、アパートとなっている二階部分に部屋を借りているのはその二人だけだ。どちらに対しても遠慮はいらないからやりたい放題ですね。帰りたい。
「というわけで勇者様、起きたのなら朝ごはん食べて仕事に行くですよ」
「人間ってのは本来、朝から活動するべきじゃないんだ。昼過ぎまでゴロゴロしないと、お仕事行ってもモチベがだだ下がりだからな。もう帰りたくなるだけ。てことで、よい安息を」
「させるかです! ふんぬ!」
「オフトゥンちゃんを奪われてなるものか!?」
俺から掛布団を引っぺがそうとしたエヴリルだったが、何度も問屋が卸すと思うなよ。そう来ると思って俺はあらかじめオフトゥンをしっかり掴んでいたんだ。
オフトゥンの両端を握って綱引きをする俺とエヴリル。
「手を放すです、勇者様。もう起きるんですから、お布団は必要ないです」
「だが断る。この伊巻拓が最も嫌いなことは、他人によって朝の至福を奪われることだ!」
俺もエヴリルも譲らない。互いが力いっぱいオフトゥンを引っ張って拮抗している。いや、エヴリルさん後衛職なのになんでそんなSTR高いの帰りたい。
「まったく、エヴリルはわかってないな。朝の冷えた空気の中、オフトゥンに包まっていることはただ眠っている時よりも気持ちがいいんだぞ。それを学校だの仕事だのが邪魔をする。俺はそれが許せない!」
「キメ顔でかっこよく言ってるですけど、それ結局惰眠を貪りたいだけですよ!? 怠惰に過ごすのは休日だけにしてくださいです!?」
「平日だからこそだ! 起きなきゃいけないのにオフトゥンしてたい背徳感。休日では味わえない感覚がそこにある!」
「そんなダメダメなこと求めないでくださいです!?」
本当に一歩も譲る気はないようだな。そっちがその気なら俺だってとことん――ミシブチッ!
オフトゥンの中央辺りから嫌な音が聞こえた。
「オフトゥンちゃんが……泣いてる……ッ!?」
その時、俺はハッとした。
俺のいた世界には『大岡裁き』という話がある。その中の一つに『子争い』ってものがあるんだが、簡単にまとめると、母親を名乗る二人の女が子供の腕を引っ張って奪い合う話だ。勝った方が母親というルールだったが、痛がる子供を見て片方が手を放した。結果、子供を想って手を放した方が母だと認められたんだ。
つまり、オフトゥンちゃんを想うなら、俺はこれ以上引っ張り合いをしてはいけない。
「いい加減に観念するです勇者さ――まふぁッ!?」
パッと手を放すと、エヴリルは勢い余ってゴロゴロコロリンと後ろに転がって行ったよ。オフトゥンと絡み合いながら壁に激突して後頭部を打ったぞ。鈍い音がした。アレは痛い。
「えーと、エヴリルさんや、大丈夫か?」
流石に無視して寝るわけにもいかず、俺はベッドから降りて恐る恐るエヴリルに近づく。ぷっくりと大きなたんこぶを拵えたエヴリルさんは――ヒュオオオオッ。あ、怪しい感じに風を纏い始めたぞ。
「……勇者様」
「イエス! マム!」
ドスの利いた低い声に思わず敬礼してしまう俺。
「今日はいつもの五倍仕事やるまで帰らせないです!」
「そんな殺生な!?」
「ギルドに来てる依頼で一番難しいのから片づけてもらうですよ! 大丈夫です。勇者様は七つ星冒険者ですから、どんな依頼だって受けられるです!」
「だから冒険者ランク上げるの嫌だったんだよ帰りたい!?」
こうなってしまったエヴリルは止められない。片っ端から俺が嫌がる依頼ばかりを引き受けてくるだろうね。なんでそんなクソ上司ムーブしちゃうのん。帰りたい。
と、部屋の天井付近にクリーム色の輝きが出現した。
「……ふわぁ。うるさい、なの。ネムがゆっくり眠れない、なの」
輝きが次第に人の形を取り、白みがかったふわふわの金髪をした幼女の姿となった。背中に一対の純白の翼を生やし、ピンクのパジャマとナイトキャップをかぶったこのお方こそ、次世代の安息神となるべく地上に降臨した新神――フトゥン=ネムリア様である。
「先生! うるさくしてたのは全部エヴリルさんでーす!」
「ちょ、勇者様が起きないのが悪いんですよ!?」
ネムリアは安息神教会が解散した後、一度神界に戻っていたんだが、補習ということで一般人として地上で生活しながら信徒を増やすように命じられたらしい。教会の力なしでだぞ。無理難題すぎる。俺なら帰りたい。
なんやかんやで俺の家に降臨したネムリアは、最初こそ俺の部屋で暮らす的なことを言っていた。だが、エヴリルに頑なに拒否られて渋々二階に部屋を借りたんだ。
「……ん、エヴリルが悪そうなの」
「なんでですか!?」
ピトリと俺の腕に引っついて眠そうな半眼でエヴリルを睨むネムリア。未来の安息神は全面的に俺の味方です。決して、毎日オカンのように起こしに来るエヴリルを苦手に思ってるわけじゃないはず。
「……ネムの英雄、今から一緒に寝る、なの」
「勇者様のロリコン!?」
「ち、違うぞエヴリル!? 俺はロリコンなんかじゃって神樹の杖はあかんそれめっちゃ攻撃力高い武器だからあかんて!?」
ゴッ! 脳天をかち割られた俺は、目の前にヒヨコさんを幻視しながら大の字に倒れるのだった。
「ほら、もういいから二人とも起きやがれです!? ネムリア様も朝ごはん食べてギルドに行くですよ! 神様だろうとお部屋借りてるですから、しっかり働いて家賃を払ってもらうです!」
「……えーなの」
嫌そうな顔をするネムリアと俺を引きずって部屋から出ていくエヴリル。だからやってることが非力な魔導師じゃないんだよなぁ。
「なんで朝から二倍疲れないといけないですか」
「それは大変だ。すぐに帰ろう」
「帰らないです!?」
神樹の杖でもう一発ぶん殴られた。痛い。帰りたい。




