第百六話 難しいがそういうことだ
「目を覚ますです勇者様!?」
「目が覚めたからこうしてるんだけど帰りたい!?」
エヴリルの風魔法で不規則に飛んでくる枕をかわしながら、俺は闘技場を駆け回るようにして逃げていた。
反撃を試みても風のバリアで枕を絡め取られちまうから帰りたい。〈創造〉で俺を増やして攪乱してもいいが、このゲームで有用なスキルがないからただ的を増やすだけになっちまうな。
「なにを言ってるですか! 勇者様は英雄です! 七つ星の冒険者です! 朝日が昇ってから朝日が昇るまで働いて働いて働き倒すことが日常だったはずです!」
「エヴリルこそなに言ってんの!? 人間休むことも必要なんだぞ!?」
「そんなのいらないです! 死ぬわけじゃないですし!」
「ねえ過労死って知ってる!?」
やっぱりエヴリルさんの様子がおかしいぞ。クソやばいフランチャイズのコンビニオーナーみたいなこと言ってるんですけど。
「わたしは建労神教会に入って気づいたです。建労神の加護の下であれば、人間は働き続けることができるです。働くことは幸せです。働かない者に人間としての価値なんてないです!」
「あ、これ完全に染まってらっしゃる……」
だって目が他の建労信徒と同じだもん。前も〈呪い〉のせいでおかしくなってたのに、今度はブラック教会の洗脳とはエヴリルさんも忙しいですね。帰りたい。
「さあさあ、勇者様目を覚ますです。建労の素晴らしさを知るです。こっちに来れば黒の万能薬飲み放題ですよ」
「そんな安息の敵には絶対に屈しないぞ!?」
エヴリルは信徒から渡された黒い瓶を豪快にラッパ飲み。そんなポーション感覚で飲んでいいものじゃない気がするんですよそれ。飲みすぎ注意だぞ。
「待たせましたかな、オフトゥヌス」
と、そこに物腰の軽いお爺ちゃん紳士が戻ってきた。
「オフトゥレプト! よく戻った!」
ちらりと視線だけ横に向ける。よしよし、大暴れしていたオフトゥーソンはしっかり安息の眠りについているな。建労信徒が必死に叩き起こそうと枕を投げつけているが、安息の眠りについたオフトゥーソンは目覚める気配もない。
たぶん、建労魔法が解けたことでめちゃくちゃ疲労が押し寄せたんだろうね。そこに安息魔法が加わればちょっとやそっとじゃ起きやしな――
「そいやっ!?」
「ほわっ!? な、なにをするんだオフトゥレプト!?」
オフトゥレプトがどういうわけか俺に向かって枕を投げてきた。
「ほっほ、奇襲は失敗ですかな。ではここからは正々堂々、建労神の名の下にこの老いぼれは働きますぞ!」
「まさかの相打ちだったの!?」
オフトゥーソンは倒したが、オフトゥレプトも建労の枕に当たっちまってたってことかよ。これじゃプラマイゼロ、いやマイナスじゃないか帰りたい。
オフトゥレプトが鋭く正確な投擲で俺を狙う。
「危ないしオフトゥヌス!?」
すると横からタックルをくらって俺は突き飛ばされた。俺と重なるように転がった赤銅髪の褐色少女――オフトゥニアスは、「痛たた……」と軽く擦り剝いた膝をさすって立ち上がる。
「オフトゥニアス、助かった。大丈夫か?」
「このくらい、どうってことないし」
ドゴン! と降ってきた枕が俺たちの眼前に減り込んだ。なんか枕から絶対出ないような音しませんでしたか?
見ると、表情に影を落としたエヴリルさんが暴風を従えていた。
「勇者様、さっきから気になっていたですが……誰ですか、その女?」
「ひっ!? なんかあの子めっちゃ怖いし!?」
エヴリルに気圧されて涙目になるオフトゥニアス。
「怯むなオフトゥニアス! エヴリルは今ちょっとおかしくなってるだけだ! それより、俺たちが不利かと思ったがそうでもないかもしれないぞ!」
「どういうことだし?」
眉を顰めるオフトゥニアスに、俺は眠っているオフトゥーソンと建労側についたオフトゥレプトを見る。
「オフトゥレプトがオフトゥーソンを討ち取ったが相打ちになった。オフトゥレプトは建労魔法で敵に寝返ってしまったが、オフトゥーソンは安息魔法で眠って戦闘不能になっている」
オフトゥオフトゥややこしいな。一体誰がそんなクソみたいな名前つけたんだよ! 俺だ。
「だからウチらの敵が増えるばかりで不利って話だったし」
「そうじゃない。俺らが討ち取れば味方こそ増えないが、確実に敵の数は減るんだ。安息に寝ている間は建労魔法も効果ないみたいだしな」
「つまり、ウチらが一人でも生き残って敵を全滅させれば勝ちってことだし?」
「難しいがそういうことだ」
「わたしを無視してお話とはいいご身分ですね勇者様!」
エヴリルの暴風が枕を次々と射出する。その隙間を埋めるようにオフトゥレプトが的確な投擲をしてくる。
「わかった。安息魔法以外も使っていいなら、ウチも本気出すし!」
キッ! と目に力を入れたオフトゥニアスが押し寄せる枕の前に立ちはだかる。
「我が火は真紅。其は朽ち果てぬ灼炎の檻。竈王神の御名の下、無慈悲に滾り吹き荒ぶし!」
オフトゥニアスの前方に赤い魔法陣が展開される。そこから凄まじい勢いで炎の竜巻が噴き上がり、枕の弾幕を呑み込んであっという間に灰に変えた。
「今だしオフトゥヌス!」
「マクゥラちゃんが!? マクゥラちゃんが炎にぃいいいいいいッ!?」
「情緒不安定だし!?」
そうだった。今は嘆いている場合じゃなかった。マクゥラちゃん、あとでちゃんと弔ってあげるからね。
「あの女、竈王神教会の魔導師だったですか……」
予想外だったらしい反撃に怯むエヴリル。本当はやりたくないが、今のエヴリルは敵。敵なら問題ない。
「借りるぞエヴリル!」
俺は〈傲慢なる模倣〉でエヴリルの能力をコピーする。風の魔法で枕を集め、安息魔法をかけて周囲に弾き飛ばした。
オリジナルの風魔法を使うエヴリルには当たらないが、オフトゥレプトを始め多くの建労信徒を眠らせてやったよ。
「くっ、勇者様めわたしの〈模倣〉を! 一気に接近して畳みかけるです!」
それでもまだまだ建労信徒の方が圧倒的に多い。オフトゥニアスが炎で防ぎ、俺が風で反撃する。奇しくも最初にエヴリルたちが使っていた戦法だな。
だが、それにも限界があった。
「ぎゃあ!? 取り囲まれたし!?」
「やばいな、オフトゥニアスが燃やしたせいでもうマクゥラちゃんもないぞ……」
「なんかごめんし!? でもオフトゥヌスが考えなしに風で投げるのも悪いし!?」
ここからは相手が投げてきた枕を奪って利用するしかない。完全に取り囲まれてやがるが、エヴリルの風をパクッているから相手も迂闊には投げられないはずだ。
戦況は停滞した――かと思ったその時、空から白い輝きと共に大量の枕が建労信徒たちに降り注いだ。
「……救世主は遅れてくる、なの」
白い天使の翼を広げて舞い降りてきた幼女は――
「ネムリア!」
「ネムリア様!」
だった。俺たちの傍に舞い降りてきたネムリアは、眠そうに目をこすりながらも気合充分といった様子で枕を抱きかかえている。大将だから隠れてもらっていたが、味方がもうほとんど建労信徒に寝返っちまった今はそうも言ってられない。
それに、やってきたのはネムリアだけじゃないっぽいしな。
「エヴリエルよ! これは一体どういうことだ! 我に内緒でなにをやっている!」
バサリ、と。
灰褐色の翼を羽ばたかせた少年が、エヴリルの後ろにゆっくりと降り立ったんだ。
「レイバー様!?」
目を丸くするエヴリル。なるほど、アレが建労神教会の大神官。ハトァラケーの新神ってことか。
お互い、本当の大将が揃ったな。
ここからが、本番になりそうだ。




