序 秉燭
道を行き交う人々の顔が定かでなくなる頃、あちらこちらで明りが灯る。
夜の花街。
明かりと影が怪しく入り乱れる場所。赤い光は女の難を隠し、退廃的な妖艶さを与える。
一見華やかなそこは、よくよく目を凝らして見れば、どこもかしこも上辺だけの美しさでしかない。女しかり、宮殿のような店しかり。道端には蹲る乞食がいるし、美しく着飾る女たちの衣装は明るい日差しの下では薄汚いのが分かってしまうだろう。建物も一つ裏に回れば、今にも崩れそうな石壁や柱と継ぎ跡だらけの扉。
醜い側面を総て覆い隠し、その上から美しくも華やかな色を重ねる。現実から目を逸らして夢に溺れるように。
花街の喧騒から一本外れた通りは、少しばかり奇妙な賑やかさと静けさに包まれていた。人通りは多いが皆、花街へと向かう客ばかり。ざわめきはただ通り過ぎるだけだった。薄汚れた店の壁に凭れ立つ浮浪者や、夜露をしのごうと屋根の下に身を寄せ合う子どもに誰も目をくれることはない。女達が客を呼ぶ声だけが、建物越しに響く。通りの店はどれも、隙間から花街の空気が入ることを恐れているのか、僅かな切れ目ですら木の板で覆った戸を固く閉じ、息を潜めて夜を過ごしていた。
さて、そんな暗い通りと花街へ続く明るい通りが交わる四つ辻。花街の明かりが暗い影を作るその場所に、極彩色の男一人が佇んでいた。
緑色の帽子には黄色のリボン。褐色の肌に赤い髪。鳶色の瞳。服も白やら赤、黄色、緑、さらに紫とちぐはぐな色ばかりだった。唯一男の身にない色。鮮やかな青は、その左手の薔薇の花束に。色鮮やかな男の姿が花街へと勇んで行く人々の目に留まらぬ筈はないのだが、皆、男に気がつくことなく通り過ぎる。
夜に沈んだ影の中、その薔薇だけが光を放っていた。欲望ばかりの赤い光りが照らす中、薔薇の青だけが清涼な美しさを保っていた。
いや、果たしてそうだろうか。
その輝きもその清らかさも、愚者を呼び寄せるための罠なのではあるまいか。
美しい薔薇には棘があるのだから。
ああ、ほら。
気がついてしまった人間が一人、明りに集う翅虫の様に引き寄せられていく。
近づいた人間に男は笑って告げる。白い歯が唇から覗き、暗闇の中、三日月のようだった。
「この花は、素晴らしい夢を見せてくれるよ。火をつけるとね、花がぽうっと光るんだ。その後、段々と紫色の煙が出てくる。その煙が満ちた中、眠ると素晴らしい夢が見られるんだ。自身じゃ有り得ないと思っていたり、不可能だと思っていたりする願いが夢になって見ることが出来る。どうだい、素晴らしいと思わないか?」