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◆第六話◆ 二つの懐中時計

「クー様! お待ちしてましたわっ」


 宮殿の裏から入ってきたティアナたちに向かって、駆け寄ってくるドレスの少女がいた。豊かな金髪を靡かせ、花が開いたような笑顔で走りよってくる。

 まるで飛び込むように走り込んできたその美女を、クルーガーは待ち構えていたように両腕で抱きとめた。


 そんな情景に、ティアナは思わず悄気しょげる。


 クルーガーの胸に飛び込んだ美しい少女は、今年二十になられたばかりのアルダナ王国が王女、リリア姫であった。


 同性でさえ見とれるような美貌の持ち主だった。

 白い肌にほんのり色づいた唇、青い瞳はまるで世界に一つしかない宝石のよう。

 おまけに、良い香りがする。

 市井でも彼女の人気は絶大で、女の子なら皆彼女の振る舞いやドレスにこぞって憧れた。

 ティアナもクルーガーのことさえなければ、噂に聞いていた本物のリリア姫の登場に、胸を躍らせただろう。


「もう、クー様ったら、あれから全然私に会いに来てくださらないんだからっ。私、とっても寂しかったですのよ」


 ちょっと拗ねた顔も愛らしい。

 クルーガーは、リリア姫の流れるような曲線美しいドレスの裾の前で片膝をつき、彼女の細い腕を取って恭しく見上げた。まるで、姫を迎えに来た白馬の騎士のよう。


「申し訳ございません、リリア姫。これからは、よりあなた様のおそばに」


 姫の白磁器のような手の甲に口づける。美男美女の織りなす光景は、まるで無声映画のワンシーンのようで、瞬きも忘れて引き込まれた。

 と、同時に――


(わ……笑ってる!? 鉄仮面の少佐が!?)


 冷徹と、鬼と言われる男が、その美麗な顔に笑みを浮かべているのだ。

 悩殺――とはこのことかとティアナは思った。

 これにはリリア姫も呼吸すら忘れたように彼に釘付けになり、顔は耳まで赤く染めていた。絶世の美女すら恍惚となる、美男の微笑み。


「クー様! 私の騎士ナイト様っ」


 リリア姫が、足元に跪くクルーガーを抱きしめる。彼も、そんな彼女の背に優しく腕を回していた。


 正直、嫉妬するほど羨ましかった。自分も借金まみれの庶民などではなく、リリア姫のようなお姫様という立場なら、彼に優しい言葉をかけられ、あんな風に笑いかけてもらえたのだろうか。


(いいもん、悔しくなんてないもん……)


 思いつつ、ティアナの顔はしわくちゃで、泣く五秒前のそれだった。

 ふと、背の高いエルネストを見上げた。


 彼の双眸は、まるで空中の埃を見ているように覇気がない。


(大尉……?)


 首を傾げるティアナに、エルネストは我に返ったように白い歯を零す。


「どうかした? ティアナ君」

「い、いえ……」


 さっきのどこか朧気な表情は、気のせいだったのだろうか。




  §§§§§§◆§§§§§§§



 宮殿の東側には、小さな別館があった。「小さい」と言って宮殿本館と比べればの話で、ダンスホールや書室や煙草部屋、遊戯場に数室の豪華な客室も備えてあった。

 王子の恋人役たるティアナは、国王陛下との謁見後――とんでもなく作法が面倒だった――クルーガーと共にこの別館で過ごすようにとの指示を受けた。


 もちろん、ここでティアナが軍人であることを知っている者は限られている。敵は内部にも潜んでいる可能性はあるのだ。


「どっこらせ……っ、ふう」


 クルーガーの分の荷物まで運ばされていたティアナは、ドサリとやけに重そうなトランク二つを、半ば床へ落とすように置いた。

 やはり軍の下っ端は辛い。女扱いすらされないのだから。


 それともこの上官殿が、鬼だからなのだろうか。


(リリア姫には、あんなに優しくするのに……)


 恨めしく思ったところで、所詮立場が違うのだから。


「ここでの貴様の役回りを言っておく」


 自分の分の荷物を二階へ運ぶ暇も無く、クルーガーは部屋を見渡しながらそう口を開いた。


「一度しか言わんからしっかりと聞き取れ。メモは取るな。頭に直接叩き込め」


 士官学校でも散々言われたこと。いよいよ、実践の場がやってきた。

 とにかく、やるしかないのだ。


「は、はい!」

「いいか。貴様は王子の恋人、オスティリア王国の伯爵令嬢ティアナ・アン・ジョゼファ・ド・ヴァロワールだ」

「ティアナ……アンジョ? ヴァ、ヴァ……ヴァロ」


 いきなりつまづいたティアナに、クルーガーがイラッとしたのが分かった。

 あきらかに、彼の口元がひくひく引きつっている。


 ティアナは、ヒイッ……、と肩をすくめた。


「ティアナ・アン・ジョゼファ・ド・ヴァロワールっ!」

「ティアナ・アン・ジ、ジョゼファ・ド・ヴァロワール……ですか。……もっと簡単な名前にして下さいよ……」


「何か言ったか?」


 クルーガーの凄みに、ティアナは首をちぎれんばかりに振った。


「王族の遠縁にあたる貴様は、半年前、王子が表敬訪問された際に出会い、芸術文化や経済について学ぶ趣味を通して意気投合した」

「そんな趣味ありませんっ」

「分かりきっている」


 ぬかりない彼のこと。

 ティアナの履歴書はすでに確認済みなのだろう。

 なのになぜ、こんな無茶な設定をと思わざるを得ない。


「俺は、王子の恋人たる貴様の護衛として近侍するという名目で、貴様の傍に控えるが、万一の際、俺は一軍人たる貴様などに構っている暇はない。自分の身は自分で守れ。以上だ。質問は」

「あの……もう一回私の名前教えてください……」



 彼のこれ以上無いほどの冷めた目に、ティアナはぶるりと縮み上がった。



  §§§§§§◆§§§§§§§



 レコードの奏でる豊かな音楽が、ユリのような蓄音機を滑るように出てサロンを跳ねる。


「しかし、よく見つけてこられたな、エルネスト。やはり、お主ならやってくれると思ったぞ」


 十七代目アルダナ国王に仕える宰相ウォルガットは、まるで叙勲じょくんするかのように、シガーの入った箱をエルネストに差し出した。 


(よく言う。できなければ、処刑する気まんまんだったくせに)


 そう思いつつ、「ありがとうございます」とエルネストは高級なシガーを一本を受け取りながら礼を言う。

 宰相の擦ったマッチの炎にシガーの先を近づけ、白い煙を吐きながら、その旨さに目を細めた。

 こういう上流階級での付き合いでは、酒と女と煙はつきもの。嫌でもその味を覚え、いつしか虜になる者も多い。

 エルネストとて、はまり込むことはないとはいえ、三つのうちのどれでも、上物を差し出されればテンションは上がる。

 付き合い程度以上に興味を示さないのは、同期のあの鉄仮面男ぐらいだ。

 

「で、その上等兵は腕のほうも確かなんだろうな」


 ウォルガット宰相の方も自身で火をつけ、鼻から煙を吐きながら、エルネストに探るような視線を送る。

 相変わらず、必要以上に傲慢な男だ。


「ええ……それはもう」

「まことか? 儂とて昔はぬしらのように剣士官としての名声を手にしておったんじゃ。ごまかしは利かんぞ」


(きたきた、いつものご自慢話が)


 エルネストは、耳の穴を穿ほじくりたくなる衝動をどうにか理性で抑えた。

 ウォルガット宰相が剣士官だったことは事実だ。だがたった三月ほどのことで、それも警護していたのは、王族としてカウントしてよいのか分からぬほどの遠縁の貴族。

 宮殿の中枢で、国王や王子らを守ってきた自分たちとは、正直格が違う。

 ただ、学問には通じているらしく、現在宰相という高位を拝しているのは伊達ではないようだが。 


「で? 暗殺を予告してきた人物に心当たりはおありなんですか、宰相殿」

「ふむ。おそらく古くより我らがアルダナ王国を敵視してきた、ルーダニア王国によるものじゃろう。陛下もそのようにお考えじゃ」

「しかし、なぜわざわざこんな予告を」


 エルネストは、包むように眼鏡を押し上げながら、ローテーブルの上の紙を見下ろす。血文字で書かれたふみには、『罪深きシャルル王子に 死の鉄槌を』と書かれてあった。

 血は本物で、おそらく動物のものであろう。


「さあな。奴らの考えることはよく分からん。とにかく、王子に万一のことがあれば、女剣士を連れて来たお主にも当然責任が及ぶことを忘れるな」


 威圧するように火のついたシガーの先を向けられ、エルネストは誤魔化すように笑うしかなかった。

 背中を嫌な汗が流れる。


(ったく、何でもかんでも他人の責任かよ。頼むから頑張ってくれよ、ティアナ君、クルーガー……、結構マジで)


 エルネストとしては、祈るより他になかった。



  §§§§§§◆§§§§§§§



「ふう……っ」


 薄い絹のドレスに身を包んだティアナは、鏡の前でくるりと一周してみた。普段着用のほとんど装飾のないシンプルな薄いドレスだというのに、意外と複雑な構造で、何度も何度も着たり脱いだりを繰り返してやっとそれなりになった。


 名目上は王子の恋人である異国の令嬢。軍服に身を包んでいる訳にはいかなかった。

 ヒラヒラと長いドレスの裾を踏んづけないよう歩くので精一杯で、こんなもので剣を振るえるのかと不安になる。


「おまけに宿題までどーっさり」


 ティアナはベッドの上に積み上げられた、文化や歴史や経済の、至極面白くなさそうな分厚い本でできた山ににため息をついた。

 せっかくの広くて豪華なベッドが、なんだか台無しだ。


「そうだ、王子はあさってまで公務から戻られないし、ノルマこなしちゃおうっと」


 どんな場においても、ティアナは内職のことは忘れない。こうしている間にも、家族総出の借金返済は続いているのだ。

 給与が上がるとは聞いたが、どれほど上がるのかも定かでない以上休むわけにはいかない。

 トランクから紙袋を引っ張り出すと、大事な裁縫道具を取り出し、テーブルにそっと置いた。


 針一本とて無駄にはできない。いつもぴかぴかに磨いていた。


「手を動かしながらのほうが、覚えやすいしね」


 一着一万ボンドはしそうなドレスを着ながら、十枚一ボンドの布製コースターをチクチクと作る。宮殿の側面が見える窓の枠に本を立てかけ、ブツブツ呪文のように内容を呟きながらコースターを作り上げていった。

 彼女とて、一応士官学校を卒業した身。首席とまでは行かないが、ある程度の成績はおさめていたのだ。

 勉強が全くできないわけではない。少々覚えるのが遅いだけで。


「あ、そうだ、今後の予定まだ聞いてなかった。知りませんでしたじゃまた嫌み言われそうだし、早めに聞いておこっと」


 針と糸を置き、スカートの裾を踏んづけて破らないように気をつけながら、階段をトントンと下りて一階へ着くと、クルーガーの使っている客間の扉の前に立った。

 少々緊張ぎみにノックする。


 常駐の侍女や召使いはいない。余計な物音を立てるものがいない方が、侵入者に気づきやすいからとクルーガーが断ったのだ。だから来るのは、食事や他の連絡事項を知らせてくれる使いのみ。

 掃除は、ティアナが一人でやならければならないらしい。


「少佐、失礼いたします。少佐?」


 何度もノックするが、シンとしたまま答えてくれる気配がない。


「少佐、いないんですか? って何コレっ!?」


 薄く扉をあけ、飛び込んできた部屋の光景に驚いた。あちこちに洋服やら靴下やらが散乱し、まるで竜巻にでもあった後のよう。


「どうやったら、到着数時間でこんなことに……」


とりあえず目に付いたシャツや上着を拾い上げ、畳んでベッドの上へ置く。その時、ベッドの上の、二つの懐中時計に気づいてそれぞれ手に取った。

 軍の紋章が入ったこの懐中時計は、入隊記念に支給されるもの。

 ティアナも持っている。

 男には銀製、女には真鍮しんちゅう製のものが配られた。


「どうして、それぞれ一つずつあるんだろう?」


 シャワールームから物音がして、ティアナは慌てて時計を元の位置へ置いた。

 ティアナが身を隠す間もなく、タオルで頭を吹きながらクルーガーが出てくる。


「あ、し、少佐っ……」


 出てきたクルーガーは、上半身が裸だった。鍛え上げられた男の肉体に、慌てて目をそらす。


「何だ。俺の入浴を覗きに来たのか、上等兵」


 湯気の立つ身体で、ティアナを気にすることなく散らばった中からシャツを拾い上げる。

 

「ちちち、違いますっ。今日の今後の予定を聞いておこうと思って……」


 クルーガーは顔を真っ赤にするティアナを尻目に、ふわりとシャツを羽織り、軍服に袖を通していく。


「夕食は侍女が呼びにくると聞いた。それ以外は何もない。先ほど渡した本で勉強でもしていろ。明日のことは、また朝決める」

「はい……分かりました」


 クルーガーが着ているのは、先ほどまでの一般的な黒の軍服とは違い、宮廷仕様の一層雅やかなものらしい。それがまたやけに似合っていた。

 こんな男が宮廷にいるのだ。美しいお姫様の寵臣になるのも無理はない。


「あの……では、失礼します」


 妙なタイミングで来てしまった、とそそくさとその場を後にしようとした。


「なぜあんなことをした……」



「え?」と振り返る。


「テロリストに襲われていた女を、庇おうとしていただろう。あのまま俺が介入していなければ、どうなっていたか。貴様はそれを、分かってやった。違うか?」


 鉄仮面とまで言われるクルーガーの変わらぬ表情からは、その心情を読むことはできない。

 だが、ティアナは臆することなく、しっかり目を見つめてシャンと背筋を伸ばす。


「なぜって、当然です。軍人ならたとえ危険と分かっていても、身体を張ってでも、命をかけてでも、目の前の人を守るべきですから。違いますか」


 それは、国や民を守る責を負う、誇り高き軍人としての信念であった。

 『彼女』が教えてくれた軍人としての――

 このポニーテールも、眩しいくらい強く真っ直ぐだった彼女のようになりたいと、彼女を真似て結う、お守りのようなもの。 


 だが、クルーガーは俯いたまま肩を震わせていた。

 笑っている? 泣いている?

 

 いや、どれも違う。


「あの……少佐?」


 どうすればよいのか分からず、遠慮がちに声をかけながら近寄った。


「少佐?」

「……くな」

「あの、何と?」


 威圧するような眼光に全身が冷えた。


「分かったような口を利くなッ!」


 激しい勢いで迫る拳が迫る。

 すぐ傍で何かが壊れる音と、飛び散った何かが身体に当たる。

 そっと目を開けると、クルーガーの拳が、ティアナの後ろのチェストの扉にめりこんでいた。

 あまりのことに足の力が抜け、ティアナはクルーガーと目を合わせたまま、へなへなと床へ座り込んだ。


 見上げた彼の、まるで暗闇に潜む獣のような恐ろしい瞳の光に、足先が震える。


「それと言っておく。その無駄に長い髪……目障りだ」


 そう、忌々しげに吐き捨てられた。

 部屋を出て行く彼の背中を、ティアナは慌てて追いかけようと立ち上がった。


「少…………ふにゃあ」


 クルーガーの殺気にてられたのか、それともただ気疲れしただけなのか、ティアナはふらっと気を失って倒れた。


 身体が床へ倒れ込む寸前、何かがふわりと彼女を包んだ気がしたが、それがクルーガーの腕だったのか、それとも彼の脱ぎ散らかした衣服の上にダイブしただけなのかは、分からなかった。


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