おはようございました。
眩しい位の光が部屋の中に差し込む。
それは目を閉じていても感じられるくらいの明るさで、
朝の到来を嫌でも知らせるものだった。
もう二度と来なくても良い。何度もそう思った。
しかし僕がどんなに祈ろうとも、決まった時間に朝日は差し込んできた。
もちろん、今日も例外なく朝日は部屋に飛び込んできた。今は六時。
ふいに胸が苦しくなる。頭が動き出したからだろう。
だから朝は嫌いなんだ。そう思ってせり上がってくる涙をこらえながら
二度寝をしようと寝返りを打った。
しかし、その行為は無駄に終わった。
「克信様、もう起きてください」
冷徹、とでも言うべき背筋の冷える声が朝日の差し込む部屋に響いた。
布団から顔を出し、少しだけ体を起こして見るとエプロンを付けた
侍女がこちらを無表情に見つめていた。
彼女の名前は赤城冬野。少し複雑なのだが、簡単に言えばうちの専属の
メイドみたいなものだ。いや、どちらかというと侍女の方が近いかもしれない。
うちはある貧しい家と契約を結んでおり、そこの女性は侍女として、
男性は執事としてこの家で働く事となっている。
彼女はその家の長女で、現在の侍女長だ。僕はそんな彼女が苦手だった。
「起きないと殴りますよ」
…なぜなら、このように暴力的だからだ。
基本的には身分は対等ではあるものの、雇う側と雇われる側の差はあるため
殴るなんて許されるものではない。そんな事をやれば即解雇だ。
しかし、それを彼女は平然とやってのけた。
最初は僕が十歳の時に。それ以降は、ことあるごとに殴ってきた。
彼女は僕と年が二つしか違わないのに僕よりもずっと大人びていて、
そして力があった。異常なまでに。
具体例を挙げると、十歳の時に襲いかかってきた強盗を一撃で昏倒させたり、
十七歳の時にやくざ相手に一人で大人三十人を倒したりした。
彼女の武勇伝を数えだすときりがない。
雇い主とはいえ、人一倍非力である僕を殴る為には十分過ぎるだろう。
「もう、放っておいて。早く出て行って」
でも今は起きる気はしない。さっさと二度寝したいし起きていたくもない。
一人でいたいのだ。話したくもない。そして布団をかぶり直した。
顔までかぶっているため分からないが、彼女はもぞもぞと何かしていた。
ベッドに軽い振動が起きる。本能的に嫌な予感がした。
自らの勘に従って布団から覗いてみると、彼女は寝ている僕をまたぎ
腰の横に膝をつき、大きく腕を振りかぶっていた。
「さーん、にーい…」
「うわあぁっ、か、勘弁して!」
もはやトラウマになった光景を見せつけられ慌てて起き上がろうとした。
しかし彼女は僕を足で器用に押さえつけて動けなくしていた。
後ずさりもできず、かといって起き上がる事もできず。
「ちょ、冬野さん!起きる!起きますから!」
ただただ彼女の拳の威力に恐怖し、叫ぶしかできなかった。
しかし彼女はそれを聞き入れずカウントを続けた。
「いーち、ぜろぉ。はっ!」
「いや本当にやめ、ぐあぁっ」
バチーンとグーパンチのくせに平手打ち以上の音を立てて僕を殴った。
怪我をした事は不思議となかったが、その分他の人に殴られるよりも
何倍も痛かった。酷いときは一週間以上痛みが続いた。
今回はモロに頬に当たったため頭の中で脳が揺れていた。
意識が朦朧とし、気絶しそうになったがかろうじて踏みとどまった。
「さあ、早く起きてください」
「ったあ…。別に良いだろ、寝ていたって。今日は休日なんだし」
久々に理不尽に殴られて不満を覚えつつ反論してみる。
もっとも、怖くて強くは言えないが。
「いいえ、起きなければなりません。絶対に」
「なんでさ。仕事は全部終わっているぞ?」
二十三歳ではあるものの世襲制で既に社長となった為、
デスクワークだけでなく取引の会談も許可申請など、たくさんの仕事を
こなさなくてはならない。しかし、すべて昨日のうちに終わらせてあるし、
たとえ今仕事ができてもそれは副社長の担当になる。
だから仕事はなかったはずだ。
「いいえ。そちらではありません」
「じゃあなんで起きないといけないのさ」
話の展開が見えないことに多少訝しみながら会話を進める。
彼女、結論から話すタイプなのに今日はどうしたんだろうか。
よっぽど話し辛い事なのだろうか。
「…あなたは、浅井様という“夢”から目覚めなければなりません」
「…」
予感が的中した。しかしそれ以上に凄く驚いた。
彼女は、基本的にこういった人の内面に関する話には過剰なくらいに
避けて首を突っ込まないようにしているのだ。
悪口はもちろんの事、恋バナでさえ嫌がっていた。
しかし、彼女は僕の今の核心に触れてきた。
という事はそんなにも今の僕に問題があったのだろうか。
「克信様。しっかりと聞いてください」
「…はい」
先ほどとは違い、一瞬真剣な面持ちになる。何かを我慢するような表情だった。
しかし、キッとこちらを向くとすぐに怒ったような顔持ちとなる。
「浅井水沙様は、確かに素晴らしい女性でした。
優しくおっとりとした性格で、胸も豊かで、少し小柄で可愛くて、
同性の私から見ても惚れてしまいそうになるほどでした。
そんな彼女にヘタレで落ち着いた性格で、周りに私しか親しい女性のいない
あなたが惚れるのは当たり前でした。
その父親譲りの面構えと穏やかな性格のおかげか、浅井様もあなたに惚れて
いました。そして、あなた達は付き合い始めました」
「…」
「お互いに愛し合っているのはよく分かっているつもりです。
けんかもありましたが、ものの三十秒であなたが耐えられなくなって
仲直りするくらいですから、お互いに依存していたのも分かっているつもりです。
ですから…、あなたが、あの事故で浅井様を亡くしてしまい、
ご自分を責めているのも分かります。
いえ、かつて兄を事故で亡くした私としては、分かっているつもりです」
…果たして彼女は、僕をどこまで分かっているんだろうか。
ひょっとしてすべて分かっているんじゃないだろうか。
そう思えるくらいにいままでに無い親近感を感じる事ができた。
だからこそ、僕は彼女に聞きたかった。
「…冬野さん」
「はい、なんでしょう」
「冬野さん、あなたは僕よりも冷静で、力もあり、とても賢い。
そして、僕の苦しみも分かっている。そんなあなたに質問。
いったい、僕はどうしたら良いんだろうか。
何のために、何を頑張れば良いんだろうか」
彼女の為にも生きる、というのは何をすれば良いのか分からない。
かといって趣味や仕事に走る気にもならない。
自分でも、何をすれば良いのか完全に見失っていた。
そんな僕に、彼女はいつもの冷たい顔に戻ってこう告げた。
「頑張る理由が必要ですか?…なら、こんなのはどうです」
そう言った後、おもむろに僕の顔を掴んで、少しだけ自分の方に寄せた。
そして目を伏せて顔を近づけ、自身の唇を僕の唇に重ねた。
「!?ん、んむっ」
一瞬何が起きたか理解できなかった。
理解し驚いた後も、彼女は僕を離してくれなかった。
永遠とも思える時間が続き、ようやく彼女は離してくれた。
「…ふぅ、克信様。キスぐらいまともにできないのですか?」
「は、え、いや、なにやってんの!?」
「いえ、ですから、あなたに頑張る理由を与えようと」
相変わらず、何を考えているのか理解できない。
まあ天才と馬鹿は紙一重とも言うし、奇人とも紙一重だろうからなあ。
凡人には到底理解できない思考回路を持っているんだろうな。
…じゃなくて!
「だから、なんでキスしたの!」
「私が、浅井様の代わりになろうと言うのです。
女にこんなこと言わせないでください」
「…はい?」
そういった後、彼女は少しだけ目線をずらした。
彼女の顔をよく見ると、頬に朱がさしていた。
そして、僕の顔が赤くなっていくのも感じ取れた。
「私は、浅井様ではありません。
性格も荒く、激しいですし、胸も所詮人並みで大きくありません。
長身で可愛げもありません。
ですが、あなたの役に立てるという点では勝っています。
彼女はもう、亡き人なのですから。
ですから、どうですか?」
「…それって、僕に惚れたって事?」
素直な疑問をぶつけてみると、彼女は呆れたようにジト目をこちらに向けた。
「最低ですね。わざわざそれを聞き返しますか。
調子に乗るのもいい加減にしてください」
「え、あ、すいませんでした」
野暮、って奴だったのかな。水沙にもそう言われた事がある。
いやでも、よく分かんないな。女心って。
「…はあ、そうですよ。惚れましたとも」
諦めたように彼女は呟いた。頬にさす朱の色が強くなる。
…だいぶ投げやりな声だったけれど。
「もういいです。好きです。好きでした。
浅井様と付き合われる前から好きでした。
正直、今がチャンスだと思ってしまいました。
こんな私は嫌ですか?」
少しだけ泣きそうに顔を歪めながらも必死に気持ちを伝えてくれている。
そんな彼女の口からでてくる衝撃の事実。
こんなに僕を好いてくれていたなんて思ってもみなかった。
でも、こんな状態でも一つだけ分かっている事がある。
「いや、大歓迎。水沙には申し訳ないけどね。
でも、要は過去にとらわれるなってことでしょ。
水沙もそれは望んでないだろうしね。
それなら僕は、今できる事…冬野さんを幸せにする事にするよ」
そういうと、彼女はバッと顔を上げた。
彼女には珍しく、感情を表に出して笑顔をみせてくれた。
その笑顔が、一瞬水沙の笑顔を重なってドキッとさせられた。
「じゃあ、よろしくね」
「こちらこそ」
お互いに手を差し出して握りあった。
彼女の手は、温かくて、柔らかくて…。
幸せというのを痛感させられた。
水沙、ごめんな。幸せにしてあげられなくて。
今は自分にできる事を最大限にやってみるよ。
浮気だと思ってくれていい。罵って、罵倒してくれて良い。
でも僕、笹井克信は浅井水沙を心から愛していた事…。
それだけはわすれないでね。
「おはようございました。“夢”はもう覚めましたか?もうお昼ですよ」
「うん、もう覚めたさ。ありがとうな、冬野」
もう歩みを止めないと心に刻み込みながら。彼女に心からの感謝を捧げながら。
新しい一日を過ごす為に起き上がった。
早すぎるネタ切れに苦しみながらもペースをギリギリ守っています。
少しは作者としてのレベルアップができたでしょうか?
人を魅せる小説にはまだまだ至れないようです。
閲覧ありがとうございました。