第四話 塞いでも、終わらない
第四話 塞いでも、終わらない
午前七時四十分。
佐伯の携帯電話が鳴った。
出勤途中の電車を降りたところだった。
「佐伯です」
『昨日、確認を依頼したシステムで、新しいアクセスが検出されました』
調査チームの上司だった。
「攻撃の可能性がありますか」
『まだ断定できない。ただ、通常とは異なる動きが出ている。至急、確認してほしい』
「わかりました。すぐ向かいます」
通話を切った佐伯は、駅の改札を抜ける人々の流れを見た。
誰もがスマートフォンを手にしている。
ニュースを読む人。
電子決済の画面を確認する人。
メッセージを送りながら歩く人。
その大半は、ネットワークの向こう側で何が起きているかなど、考えてもいないだろう。
それは、当たり前のことだった。
電気がつくたびに発電所の状態を確認する人はいない。蛇口をひねるたびに浄水場の運転状況を調べる人もいない。
社会を支える仕組みは、普段、意識しなくて済むからこそ便利なのだ。
しかし、その仕組みが止まったとき、人々は初めて、それが自分の生活とどれほど深く結びついていたかを知る。
*
午前八時十五分。
調査チームの会議室には、すでに関係者が集まっていた。
モニターには、アクセス記録とシステムの稼働状況が表示されている。
「この時間帯に、通常とは異なるリクエストが集中しています」
若手の調査担当者が説明した。
「公開されている攻撃プログラムとの関連は?」
佐伯が尋ねた。
「現時点では、同じものだと断定できません。リクエストの特徴には、調査すべき点があります。ただ、似た挙動があるだけで、同一のプログラムを使ったとは言い切れません」
「よし。アクセス元の情報だけで犯人を決めつけないこと。記録を保全して、対象システムの担当者にも確認を取ろう」
上司が指示した。
佐伯は、別の画面を開いた。
前日に確認していたシステムでは、必要な対策が一部実施されていた。
しかし、今回のアクセスが、その対策を回避したものなのか。別の経路から到達したものなのか。それとも、攻撃とは異なる原因によるものなのか。
判断するには、まだ情報が足りなかった。
「対策したのに、また攻撃されたんでしょうか」
若手がつぶやいた。
「そうかもしれない。だが、そうでないかもしれない」
佐伯は答えた。
「対策をした事実と、対策が有効に働いていることを確認できた事実は、分けて考えないといけない」
「では、何をもって安全だと判断するんですか」
「対象の脆弱性が修正されていること。設定が意図したとおりになっていること。不審な動きがないか、記録を確認できること。ほかにも、システムの構成や、実施した対策によって確認すべき点は違う」
佐伯は一度、言葉を切った。
「そして、確認できた範囲を明確にする。すべての危険がなくなったと、根拠もなく言わないことだ」
*
午前十時。
別のシステムから、対応状況について報告が入った。
ソフトウェアの更新は完了していた。
しかし、更新後の動作確認が終わっていない。外部サービスとの接続についても、追加の検証が必要だった。
「更新が済んだなら、再開できるんじゃないですか」
会議に参加していた担当者が尋ねた。
「更新できたことは、前進です」
佐伯は慎重に答えた。
「ただ、サービスを再開するには、必要な確認を終える必要があります。更新によって別の機能に影響が出ていないか。関連するシステムとの接続は正常か。今回の脅威に対して必要な対策が実施されているか。それを確かめなければなりません」
「いつまでかかりますか」
「現時点では、確かな時間をお伝えできません」
担当者の表情が曇った。
それでも、佐伯は約束できなかった。
調査が予定どおり進むとは限らない。新しい問題が見つかれば、確認の範囲も広がる。
安全を確かめるための作業を急ぎすぎて、確認そのものを不十分にしてしまえば、本末転倒だった。
上司が口を開いた。
「サービスを止めることにも、再開することにも、どちらにもリスクがある。止めれば利用者に影響が出る。確認が不十分なまま再開すれば、被害を広げる可能性がある。判断には、技術的な情報と、事業への影響の両方が必要だ」
誰も、すぐには答えなかった。
会議室のモニターには、複数のシステムの状態が並んでいた。
対策を進めているもの。
検証を続けているもの。
影響の有無を確認できていないもの。
すでに停止しているもの。
同じ問題に直面していても、すべてを同じ手順で処理できるわけではなかった。
*
正午。
佐伯は、会議室の隅で昼食を取っていた。
机の上には、食べかけの弁当と、開いたままのノートパソコンがある。
画面には、調査の進捗をまとめた表が表示されていた。
そのとき、若手がペットボトルを手に近づいてきた。
「佐伯さん。これ、いつまで続くんでしょうね」
「何が?」
「攻撃です。ひとつずつ調べて、対策して、確認して。それでも、また何か起きるかもしれない」
佐伯は、箸を置いた。
「いつまで続くかは、まだわからない」
「犯人がわかれば、終わるんでしょうか」
「犯人がわかったとしても、攻撃に使われた仕組みが残っているかもしれない。ほかの人間が同じプログラムを使う可能性もある。すでに侵入されているシステムがあれば、その確認も必要になる」
「じゃあ、犯人を捕まえても……」
「それだけで、すべての問題が解決するわけじゃない」
若手は黙った。
佐伯は、画面に視線を戻した。
公開されたプログラムが削除されたとしても、それを保存した人間の手元から消えるとは限らない。
修正プログラムが提供されたとしても、すべての管理者がすぐに適用できるとは限らない。
対策が実施されたとしても、別の脆弱性や、別の経路が見つかる可能性はある。
ひとつの入口を塞ぐことと、建物全体の安全を確認することは違う。
しかも、建物がいくつもあり、それぞれ管理者が違うのなら、確認作業はさらに複雑になる。
「だから、ひとつずつやるしかない」
佐伯は言った。
「確認できたことを積み上げていく。それしかないんだ」
*
午後二時二十分。
調査チームの端末に、新たな通知が表示された。
別の組織が運営するウェブサービスで、不審なアクセスが確認されたという。
そのサービスが、今回の攻撃と関係しているかどうかは、まだわからない。
だが、関係者は記録の保全と影響の確認を始めていた。
「またですか……」
若手が画面を見つめた。
上司は、すぐに指示を出した。
「これまでの調査と混同しないように。別の事象として記録する。共通点が見つかれば、その時点で関連を検討しよう」
「はい」
「佐伯、こちらの確認を頼む」
「わかりました」
佐伯は、新しい調査資料を開いた。
先ほどまで調べていたシステムも、まだ結論は出ていない。
そこに、新しい調査対象が加わった。
調査の対象が増えるたび、確認すべき情報も増えていく。技術者の人数も、使える時間も、無限ではない。
それでも、記録を確認しなければならない。
何が起きたのか。
どこまで影響が及んでいるのか。
どの対策が必要なのか。
わからないことを、わからないままにしておくわけにはいかなかった。
*
午後四時。
停止中のサービスを運営する企業から、利用者向けのお知らせについて相談が届いた。
画面に表示される文章は、短いものだった。
『現在、システムの安全性を確認するため、サービスを停止しております。復旧時期は未定です』
「これでいいんでしょうか」
相談を受けた担当者が尋ねた。
「事実と違うことを書くわけにはいきません」
佐伯は答えた。
「復旧時期がわからないなら、わからないと伝える必要があります。ただ、利用者が次に何をすればいいのか、代わりの手段があるのか。案内できることがあれば、それも伝えたほうがいいと思います」
「でも、いつまで停止するかわからないのに、何度も同じ案内を出すことになります」
「新しい情報がなくても、状況が変わっていないことを知らせる意味はあります。利用者は、何も案内がなければ、忘れられているのか、対応が止まっているのか、それすらわかりませんから」
担当者は、うなずいた。
復旧の約束はできない。
しかし、説明する責任までなくなるわけではなかった。
*
午後六時。
佐伯は、調査結果をまとめていた。
対策が進んだシステムはある。
影響範囲が少しずつ明らかになったものもある。
だが、まだ判断できない事象が残っていた。新たなアクセスの調査も続いている。
今日一日で、何も進まなかったわけではない。
それでも、事件が終息に向かっていると報告できる段階にはなかった。
上司が、佐伯の机の横で足を止めた。
「今日の状況は?」
「確認できたことは増えています。ただ、全体の安全性を判断するには、まだ情報が足りません」
「復旧のめどは?」
「立てられません」
上司は、短く息を吐いた。
「わかった。確認できた事実と、未確認の事項を分けて報告しよう」
佐伯は、画面に目を戻した。
対策を実施する。
結果を確認する。
新しい事象を調べる。
必要に応じて、対策を見直す。
その繰り返しだった。
そして、その繰り返しが続く間にも、利用者の生活は待ってくれない。
*
午後八時。
仕事帰りの会社員が、スマートフォンでポイントサービスを開いた。
画面には、昨日と同じ表示が出ていた。
『ただいまメンテナンス中です』
会社員は、しばらく画面を見つめた。
昼休みに使うつもりだったクーポンも、まだ表示できない。
明日は使えるだろうか。
今度こそ復旧するだろうか。
答えはなかった。
会社員は、スマートフォンをポケットにしまった。
その頃、佐伯の端末には、新しいアクセス記録が届いていた。
攻撃によるものなのか、別の原因なのか。
まだ、わからない。
佐伯は、記録を保存し、調査対象として登録した。
ひとつの対策が終わっても、すべてが終わるわけではない。
ひとつのシステムを調べ終えても、別のシステムが待っている。
そして、攻撃が続いている可能性がある限り、復旧を急ぐだけでは済まされなかった。
塞いでも、終わらない。
その現実が、少しずつ、調査チーム全員の実感になり始めていた。




