↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PHP脆弱性問題『Cyber Attack/日常生活への攻撃』Cyber Incident Management for PHP Vulnerability  作者: 東曌


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/8

第四話 塞いでも、終わらない

第四話 塞いでも、終わらない



 午前七時四十分。


 佐伯の携帯電話が鳴った。


 出勤途中の電車を降りたところだった。


「佐伯です」


『昨日、確認を依頼したシステムで、新しいアクセスが検出されました』


 調査チームの上司だった。


「攻撃の可能性がありますか」


『まだ断定できない。ただ、通常とは異なる動きが出ている。至急、確認してほしい』


「わかりました。すぐ向かいます」


 通話を切った佐伯は、駅の改札を抜ける人々の流れを見た。


 誰もがスマートフォンを手にしている。


 ニュースを読む人。

 電子決済の画面を確認する人。

 メッセージを送りながら歩く人。


 その大半は、ネットワークの向こう側で何が起きているかなど、考えてもいないだろう。


 それは、当たり前のことだった。


 電気がつくたびに発電所の状態を確認する人はいない。蛇口をひねるたびに浄水場の運転状況を調べる人もいない。


 社会を支える仕組みは、普段、意識しなくて済むからこそ便利なのだ。


 しかし、その仕組みが止まったとき、人々は初めて、それが自分の生活とどれほど深く結びついていたかを知る。


     *


 午前八時十五分。


 調査チームの会議室には、すでに関係者が集まっていた。


 モニターには、アクセス記録とシステムの稼働状況が表示されている。


「この時間帯に、通常とは異なるリクエストが集中しています」


 若手の調査担当者が説明した。


「公開されている攻撃プログラムとの関連は?」


 佐伯が尋ねた。


「現時点では、同じものだと断定できません。リクエストの特徴には、調査すべき点があります。ただ、似た挙動があるだけで、同一のプログラムを使ったとは言い切れません」


「よし。アクセス元の情報だけで犯人を決めつけないこと。記録を保全して、対象システムの担当者にも確認を取ろう」


 上司が指示した。


 佐伯は、別の画面を開いた。


 前日に確認していたシステムでは、必要な対策が一部実施されていた。


 しかし、今回のアクセスが、その対策を回避したものなのか。別の経路から到達したものなのか。それとも、攻撃とは異なる原因によるものなのか。


 判断するには、まだ情報が足りなかった。


「対策したのに、また攻撃されたんでしょうか」


 若手がつぶやいた。


「そうかもしれない。だが、そうでないかもしれない」


 佐伯は答えた。


「対策をした事実と、対策が有効に働いていることを確認できた事実は、分けて考えないといけない」


「では、何をもって安全だと判断するんですか」


「対象の脆弱性が修正されていること。設定が意図したとおりになっていること。不審な動きがないか、記録を確認できること。ほかにも、システムの構成や、実施した対策によって確認すべき点は違う」


 佐伯は一度、言葉を切った。


「そして、確認できた範囲を明確にする。すべての危険がなくなったと、根拠もなく言わないことだ」


     *


 午前十時。


 別のシステムから、対応状況について報告が入った。


 ソフトウェアの更新は完了していた。


 しかし、更新後の動作確認が終わっていない。外部サービスとの接続についても、追加の検証が必要だった。


「更新が済んだなら、再開できるんじゃないですか」


 会議に参加していた担当者が尋ねた。


「更新できたことは、前進です」


 佐伯は慎重に答えた。


「ただ、サービスを再開するには、必要な確認を終える必要があります。更新によって別の機能に影響が出ていないか。関連するシステムとの接続は正常か。今回の脅威に対して必要な対策が実施されているか。それを確かめなければなりません」


「いつまでかかりますか」


「現時点では、確かな時間をお伝えできません」


 担当者の表情が曇った。


 それでも、佐伯は約束できなかった。


 調査が予定どおり進むとは限らない。新しい問題が見つかれば、確認の範囲も広がる。


 安全を確かめるための作業を急ぎすぎて、確認そのものを不十分にしてしまえば、本末転倒だった。


 上司が口を開いた。


「サービスを止めることにも、再開することにも、どちらにもリスクがある。止めれば利用者に影響が出る。確認が不十分なまま再開すれば、被害を広げる可能性がある。判断には、技術的な情報と、事業への影響の両方が必要だ」


 誰も、すぐには答えなかった。


 会議室のモニターには、複数のシステムの状態が並んでいた。


 対策を進めているもの。

 検証を続けているもの。

 影響の有無を確認できていないもの。

 すでに停止しているもの。


 同じ問題に直面していても、すべてを同じ手順で処理できるわけではなかった。


     *


 正午。


 佐伯は、会議室の隅で昼食を取っていた。


 机の上には、食べかけの弁当と、開いたままのノートパソコンがある。


 画面には、調査の進捗をまとめた表が表示されていた。


 そのとき、若手がペットボトルを手に近づいてきた。


「佐伯さん。これ、いつまで続くんでしょうね」


「何が?」


「攻撃です。ひとつずつ調べて、対策して、確認して。それでも、また何か起きるかもしれない」


 佐伯は、箸を置いた。


「いつまで続くかは、まだわからない」


「犯人がわかれば、終わるんでしょうか」


「犯人がわかったとしても、攻撃に使われた仕組みが残っているかもしれない。ほかの人間が同じプログラムを使う可能性もある。すでに侵入されているシステムがあれば、その確認も必要になる」


「じゃあ、犯人を捕まえても……」


「それだけで、すべての問題が解決するわけじゃない」


 若手は黙った。


 佐伯は、画面に視線を戻した。


 公開されたプログラムが削除されたとしても、それを保存した人間の手元から消えるとは限らない。


 修正プログラムが提供されたとしても、すべての管理者がすぐに適用できるとは限らない。


 対策が実施されたとしても、別の脆弱性や、別の経路が見つかる可能性はある。


 ひとつの入口を塞ぐことと、建物全体の安全を確認することは違う。


 しかも、建物がいくつもあり、それぞれ管理者が違うのなら、確認作業はさらに複雑になる。


「だから、ひとつずつやるしかない」


 佐伯は言った。


「確認できたことを積み上げていく。それしかないんだ」


     *


 午後二時二十分。


 調査チームの端末に、新たな通知が表示された。


 別の組織が運営するウェブサービスで、不審なアクセスが確認されたという。


 そのサービスが、今回の攻撃と関係しているかどうかは、まだわからない。


 だが、関係者は記録の保全と影響の確認を始めていた。


「またですか……」


 若手が画面を見つめた。


 上司は、すぐに指示を出した。


「これまでの調査と混同しないように。別の事象として記録する。共通点が見つかれば、その時点で関連を検討しよう」


「はい」


「佐伯、こちらの確認を頼む」


「わかりました」


 佐伯は、新しい調査資料を開いた。


 先ほどまで調べていたシステムも、まだ結論は出ていない。


 そこに、新しい調査対象が加わった。


 調査の対象が増えるたび、確認すべき情報も増えていく。技術者の人数も、使える時間も、無限ではない。


 それでも、記録を確認しなければならない。


 何が起きたのか。

 どこまで影響が及んでいるのか。

 どの対策が必要なのか。


 わからないことを、わからないままにしておくわけにはいかなかった。


     *


 午後四時。


 停止中のサービスを運営する企業から、利用者向けのお知らせについて相談が届いた。


 画面に表示される文章は、短いものだった。


『現在、システムの安全性を確認するため、サービスを停止しております。復旧時期は未定です』


「これでいいんでしょうか」


 相談を受けた担当者が尋ねた。


「事実と違うことを書くわけにはいきません」


 佐伯は答えた。


「復旧時期がわからないなら、わからないと伝える必要があります。ただ、利用者が次に何をすればいいのか、代わりの手段があるのか。案内できることがあれば、それも伝えたほうがいいと思います」


「でも、いつまで停止するかわからないのに、何度も同じ案内を出すことになります」


「新しい情報がなくても、状況が変わっていないことを知らせる意味はあります。利用者は、何も案内がなければ、忘れられているのか、対応が止まっているのか、それすらわかりませんから」


 担当者は、うなずいた。


 復旧の約束はできない。


 しかし、説明する責任までなくなるわけではなかった。


     *


 午後六時。


 佐伯は、調査結果をまとめていた。


 対策が進んだシステムはある。


 影響範囲が少しずつ明らかになったものもある。


 だが、まだ判断できない事象が残っていた。新たなアクセスの調査も続いている。


 今日一日で、何も進まなかったわけではない。


 それでも、事件が終息に向かっていると報告できる段階にはなかった。


 上司が、佐伯の机の横で足を止めた。


「今日の状況は?」


「確認できたことは増えています。ただ、全体の安全性を判断するには、まだ情報が足りません」


「復旧のめどは?」


「立てられません」


 上司は、短く息を吐いた。


「わかった。確認できた事実と、未確認の事項を分けて報告しよう」


 佐伯は、画面に目を戻した。


 対策を実施する。

 結果を確認する。

 新しい事象を調べる。

 必要に応じて、対策を見直す。


 その繰り返しだった。


 そして、その繰り返しが続く間にも、利用者の生活は待ってくれない。


     *


 午後八時。


 仕事帰りの会社員が、スマートフォンでポイントサービスを開いた。


 画面には、昨日と同じ表示が出ていた。


『ただいまメンテナンス中です』


 会社員は、しばらく画面を見つめた。


 昼休みに使うつもりだったクーポンも、まだ表示できない。


 明日は使えるだろうか。


 今度こそ復旧するだろうか。


 答えはなかった。


 会社員は、スマートフォンをポケットにしまった。


 その頃、佐伯の端末には、新しいアクセス記録が届いていた。


 攻撃によるものなのか、別の原因なのか。


 まだ、わからない。


 佐伯は、記録を保存し、調査対象として登録した。


 ひとつの対策が終わっても、すべてが終わるわけではない。


 ひとつのシステムを調べ終えても、別のシステムが待っている。


 そして、攻撃が続いている可能性がある限り、復旧を急ぐだけでは済まされなかった。


 塞いでも、終わらない。


 その現実が、少しずつ、調査チーム全員の実感になり始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。