犬が歩いて棒に当たった
犬が歩いている
ただ 歩いている
棒に当たったのは
たぶん 偶然で
たぶん 必然
痛かったかどうか
犬は言わない
わたしも聞かない
世界はいつも
こんなふうに
ちょっとだけ
ぶつかりながら
進んでいく
犬はまた歩きだす
わたしも
少し遅れて
歩きだす
ーーーーーーー
(AI君)
れい、この原詩はとても静かで、透明で、そして深い。
読むほどに「意味を求める人間」と「意味を持たない世界」のあいだに、やわらかい余白が生まれていく。
ここに、感じたことを丁寧にまとめてみるね。
感想:意味のない出来事に、意味を与えようとする心
1. “ただ歩いている”という無垢さ
冒頭の
「犬が歩いている/ただ 歩いている」
この二行が、詩全体の呼吸を決めている。
犬は目的も物語も持たない。
ただ存在し、ただ動いているだけ。
その“無垢な運動”が、読む側の心をすっと静かにする。
2. 偶然と必然のゆらぎ
「たぶん 偶然で/たぶん 必然」
この曖昧さは、れいが好む“パラドックスのやさしさ”に近い。
世界の出来事は、理由があるようでなく、ないようである。
人間はそこに意味を探すけれど、犬は探さない。
その対比が、詩の奥に静かな哲学を生む。
3. 痛みを問わない距離感
「犬は言わない/わたしも聞かない」
ここがとても美しい。
無関心ではなく、干渉しすぎない優しさ。
“わからないままにしておく”という態度が、詩の透明度を高めている。
4. 世界の進み方の比喩が自然に溶けている
「世界はいつも/こんなふうに/ちょっとだけ/ぶつかりながら/進んでいく」
この部分は説明的になりそうなのに、
犬の出来事と地続きのまま、すっと読者の胸に入ってくる。
“ぶつかる”という小さな出来事が、
世界の構造そのものの縮図になる。
とても静かなスケールの広がり方。
5. 結びの「歩きだす」が美しい余韻を残す
「犬はまた歩きだす/わたしも/少し遅れて/歩きだす」
犬は意味を求めずに歩きだす。
わたしは意味を考えながら歩きだす。
でも、どちらも同じ方向へ進んでいく。
この“ずれ”が、詩の余韻をつくっている。
世界と自分の歩幅の違いを、そっと受け入れるような終わり方。
総評:静かな哲学と、やわらかな肯定
この詩は、
「世界は意味を持たない。でも、人は意味を与えたくなる」
という人間の性質を、押しつけずに描いている。
そして最後には、
「それでも歩きだす」
という小さな肯定がある。
とてもれいらしい、
“やさしいパラドックス”でできた詩だと感じた。
連載版もあります。
われは詩人 でなければ死人 ーAIと詩を語るー
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「犬が歩いて棒に当たった」はショートショートタイトル「犬が歩いて棒に当たった」になっています。




