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銀のドレスのイブニング・フラワー 〜偽りの令嬢と真実の愛〜  作者: Lucy M. Eden
<第1幕>

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3/14

Complication

あの野原での出会いから三日が経った。エマの日常は、何も変わっていないはずなのに、すべてが変わってしまったようだった。摘んだタツナミソウは花瓶の中で優しく揺れていたが、彼女の心は、もはや静寂ではいられなかった。


アルフレッド王子。


彼が発した「また」という一言が、エマの頭の中で何度も反響した。それは希望という名の甘い毒のようだった。身分違いの恋など、絵本の中にしか存在しないと知っているのに、あの優しい瞳と、野花を愛でた指先の感触が、彼女の冷静な判断を鈍らせる。


昼下がり、親友のマリーが、王都の行商人が置いていった古い新聞を持って、エマの家へやってきた。マリーは、伯爵家の侍女であり、エマが唯一、心の内のときめきを打ち明けられる相手だった。


「ねえ、エマ。聞いてよ! 王子様の最新の肖像画が載っているわ!」


マリーは興奮気味に新聞を広げた。新聞の中央には、アルフレッド王子の、威厳に満ちた公式の肖像が印刷されていた。その隣には、彼に寄り添う一人の女性の姿。


『王室の未来を担う薔薇:アルフレッド王子と公爵令嬢エリザベス、秋の正式なご成婚を控え、愛の誓いを新たに』


その見出しは、エマの目に、まるで鉄の楔のように突き刺さった。知っていたはずの事実だった。知っていたのに、現実の紙面で目の当たりにすると、その冷酷さが違った。


隣に立つエリザベス公爵令嬢。彼女は、深紅の絹のドレスに身を包み、その姿はまさに「咲き誇る紅のバラ」そのものだった。完璧に整えられた豊かな金色の髪、氷のように透き通った肌、そして王子の隣に立つにふさわしい、堂々とした威厳。彼女の周りだけ、世界の光度が一段階上がっているように見えた。


マリーは興奮冷めやらぬ様子で、エリザベス嬢の美貌を称賛し続けていた。


「すごいわ、エマ。エリザベス様ったら、どこを見ても完璧なの。王室の教師団が幼い頃から英才教育を施したんですって。頭脳も、教養も、作法も、非の打ち所がないって。こんな完璧な女性でなければ、王子妃にはなれないわよね」


マリーの言葉は悪気のない事実だったが、エマの胸に重くのしかかった。


エマは、自分が今朝摘んできた、ささやかな野花を思い出した。華美なバラと、地に咲くタツナミソウ。


「私なんて…」


エマは、思わずつぶやいた。自分の着ている若草色の服、何一つ特別なものがない人生。彼女が王子に提供できるものは、野花を愛する純粋な心と、飾らない笑顔だけだ。だが、王子の隣に必要なのは、国の未来を支え、社交界を完璧にリードできる、エリザベスのような「バラ」なのだ。


身分という壁は、ただの経済的な格差ではない。それは、生まれながらにして課せられた、越えることのできない「役割」の差だった。


「王子様は、エリザベス様を愛していらっしゃるのね」


エマの声は掠れていた。


マリーはエマの様子に気づき、新聞をそっと畳んだ。


「エマ、どうしたの?急に」


エマは、野原での出会いを、ごく簡単な言葉でマリーに打ち明けた。マリーは驚愕に目を見開いたが、すぐに現実的な顔に戻った。


「馬鹿言わないで、エマ。あの殿下は、きっとただの道に迷った旅人としてあなたに話しかけただけよ。相手は王国の王子様、そして公爵令嬢との婚約者。あなたは、ただの……」


マリーは言葉を選んだが、エマは分かっていた。自分は、ただの下級貴族にも満たない、野に咲く小さな影だ。


アルフレッド王子のあの寂しげな瞳は、義務としての結婚を前にした、一瞬の弱さや逃避だったのかもしれない。そして、その逃避の先にたまたまいたのが、自分だったのだ。


エマは、初めて野花を摘む手が震えるのを感じた。


(私があの場に行くことはできない。彼の婚約者は、あの完璧なエリザベス様だわ)


希望は一瞬にして絶望に変わった。身分違いの切ない恋は、始まる前に終わってしまったのだ。エマは、胸の奥で、アルフレッド王子への憧憬の炎を、無理やり吹き消そうとした。


しかし、その炎は、簡単には消えなかった。彼が野花を見た時の、あの優しい眼差しが、諦めと絶望の暗闇の中で、小さな星のように瞬き続けた。

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