四季廻
私には年子の姉、春がいる。
父、母、姉、私というありきたりな家族構成、平均的な水準の生活。
しかし、一つ自慢があった。私以外に限るが。
姉、春がとても美人で性格も良く頭脳明晰、誰からも好かれる少女であるということだ。
幼い頃から比べられてきた私にはたまったもんじゃない。
「自慢のお姉ちゃんね」
と周囲に言われても、私は?としか思えなかった。
誰の目にもいつも先に目が行くのが姉であった。
私は当たり障りのない言葉しか掛けられたことしかない。
両親にですらあまり相手にされてこなかった。
何も期待せずに静かに過ごしていたら手の掛からないいい子ね、と言われた。
そうせざるを得ないのは誰のせいだったのか。
不平不満はたくさんあった。
狭い田舎で通う学校も限られているので春とは幼稚園から高校まで一緒だった。
入学式ではあの春の妹はどんな子だと騒がれて勝手に失望される。
うんざりだった。
なにもかも。
「秋穂、どこ行くの?」
春が聞いてくる。
「コンビニに肉まん買いに」
「じゃあ、私の分も買ってきてよ」
私は春を一瞥してすぐにスニーカーに目を戻した。
「やだ」
「じゃあ、私も行く」
それはもっと嫌だ。
そんなことは言えないまま二人でコンビニまでの道程を歩く。
春が他愛無い話をして私は頷くことも出来ずにただ春と並んで歩くのが嫌だった。
成長するにつれて私は次第に誰とも過ごさなくなり一人で行動するのが当たり前になっていった。
春は大勢の友人に囲まれていつも真ん中で笑っていた。
それがずっと続くと思っていた。
出来のいい姉と物静かな妹。
それが私達姉妹だった。
「ただいま」
もうじき春が来るというのにまだ肌寒い。
体を擦りながら自宅へ帰りリビングへ向かうと、母がスマホを片手に呆然としていた。
「どうしたの、お母さん」
私の言葉に母が振り向いた。
「秋穂、秋穂。春が、春が」
「どうしたの、お母さん」
もう一度尋ねる。
壊れたように春がと呟く母は少し怖かった。
「春が、通り魔に襲われて、今、病院だって」
それからは早かった。
私は呆然とする母からスマホを奪い、病院名を看護師さんから聞き出すと父に連絡してタクシーで病院まで向かった。
小さい子のように震えて縮こまる母を抱き締めて背中をさする。
「大丈夫。大丈夫だよ、お母さん。だって春だもん。きっと笑って迎えてくれるよ」
なんてことを言いながらも私の心臓はずっと鳴り響いていた。
春。春。お姉ちゃん。
病院に着いて受付から案内されたところは集中治療室だった。
春は、たくさんの管に繋がれて身動きすらしない。
「春」
母は泣いてずっとガラスから離れなかった。
やがて父が来て、同じように春を見守っていた。
やがて医者が来て、今夜が峠だと言われた。
特別に許可されて病院に寝泊まりを許された。
翌日、いつの間にか少し私が寝ている間に春が死んだと聞かされた。
母と父はずっと起きて見守っていたらしい。
「お姉ちゃんが死ぬ時に寝こけているなんて!あんたは!」
母からは鬼のような形相で怒られた。
父も何も言わないが、責めているような態度だ。
春を刺した通り魔は、その日に逮捕された。
「誰でもよかった」
そんなありきたりな理由で春は殺された。
葬式は粛々と行われてたくさんの弔問客が春の死を悼みに来てくれた。
私は両親の隣でそれを眺めて、春は本当に愛されていたんだなと思った。
私が死んだらどうなんだろう。
友人と呼べる友人もいない。
両親とはあの時から一線が出来た。
私は、誰かから必要とされているんだろうか?
春、どう思う?
今まで春に話し掛けることなんてなかったのに、初めて春と比べて春に聞いてみた。
もちろん返事はない。
春が来て、桜が散り始める頃我が家で変化が起きた。
両親が宗教に入教した。
縋るものが欲しかったんだろう。
そこで愕然とした。
私は、私という存在はあの二人の中でなかったことになるの?
「お母さん」
呼んでもなんとかって神様の像に話し掛けている。
その横には春の遺影がある。
ねえ、話すなら春に話し掛けてよ。
もう少し、ほんのもう少し我儘を言うなら私に話し掛けてよ。
でも、神様に話し掛けても私に話し掛けても春が帰ってくる筈ないのに。
どんどん月日が流れるごとに家の中が暗くなっていく。
我が家は春がいて成り立っていたんだなぁ。
私は高校を卒業してから家を出たくて就職することにした。
小さい会社と小さいアパート。
それでも満足していた。
けれど、そこでも春を知っている人がいて、腫れ物を扱うように接する人がいた。
そうされることが逆につらい。しんどい。
普通の生活をして忘れて過ごしたいのに、どこでも春の片鱗がある。
そもそも春って名前が悪い。
春になると思い出す。
綺麗な花々と共に。
せっかく家を出たのに鬱蒼とした気分なのは良くない。
なにか趣味でも持とうかな。
私は自分の好きなものを探した。
自分の好きなもの、となるとこれが結構難しい。
私、何が好きだったっけ?
いつも春とは別のものをと思って春が選びそうにもないものを選んでいて、私が好きなものがわからない。
ふと、目にしたゆるキャラ。
これは、私が高校時代にゲーセンで一目惚れして苦戦して手に入れたぬいぐるみ。
そっか、私、こういうのがすきなんだ。
タグを見るとキャラクター名が記載されていて検索すると同じようなゆるいキャラクターがたくさん描かれていた。
その表情にふっと頬が緩む。
気付いたら数点購入していた。
届くのまだかな。
ベッドにぼすりと蹲りながらお迎えする日を楽しみにした。
こんなにうきうきした気持ちになるのは幼少期以来かもしれない。
ううん。このぬいぐるみを手にした時もとても嬉しかった。
この子達のことを話したいな。
SNSに興味はなかったけれど、テレビの特集でもぬい活というのが流行っているらしい。
登録だけでもしてみるか。
スマホで操作して、アイコンはこのぬいぐるみ。
このシリーズが好きな社会人とだけの簡素なプロフィール。
フォローはこのキャラクターの制作会社とキャラクターのアカウントのみにした。
なんと、このキャラクター達には個性がありアカウントまで独自に持っているのである。
その日の夜はキャラクターの呟きを読みながら寝落ちした。
春が死んでから見ている悪夢は見なかった。
SNSの扱いにも慣れた頃、季節の巡りにも関心を持つようになった。
なにせ企業の広告が上手いのだ。
日本にはこんなに行事があるのかと驚きながら少しずつ迎えたぬいぐるみと共に写真を載せていった。
単なる自己満足。でも楽しい!
少しずつ、フォローしてくださる方が増えて私も恐る恐るフォローを返した。
同じものが好きな人と繋がるというのは未知の体験で私は右往左往しながら交流を楽しんだ。
そんな日々を過ごして一年の最後の日。
大晦日にスーパーのポップに心惹かれて久々に年越し蕎麦を買った。
春が死んで以来食べていない。
三人前買って、足は久し振りの実家へと向かっていった。
父は仕事、母は私の来訪に驚いていたけれど特に何を言うでもなく仏間で過ごしている。
「お母さん」
相変わらず春の仏壇に宗教の像も置いてある。
何をそんなにありがたいのかずっと拝んでいる。
なんとなく、切なくなりながら父の帰りを待った。
父が帰宅すると、母と同じように驚いていた。
私は台所に立つと奮闘した。
蕎麦を茹でるのくらいなら私にも出来る。どんなもんだい。
……天麩羅は惣菜だけど。
二人は仏間にいる。
静かに話し掛けた。
「お父さん、お母さん。年越し蕎麦作ったから食べよう」
二人が振り向いた。
顔を見合わせると、ゆっくりとリビングまでやってきて各自の席に着いた。
春の席には埃が被っていた。
台所に立つ時、少し片付けたけれど二人ともお惣菜かお弁当ばかりだったな。
そんなことを思いながら手を合わせた。
「いただきます」
私が言うと、二人とも小さく言ってお蕎麦を食べ始めた。
誰も何も言わずに淡々と食べ進めていると、ふと母が私に微笑んだ。
「ありがとうねぇ、秋穂」
秋穂。
数年振りに呼ばれた私の名前。
なんだか感極まって感情がコントロール出来なくなり、私は声を上げて泣いてしまった。
おろおろと宥める両親に、かつての日々が思い出されて余計に涙が出てきた。
春がいなくても、春がいた生活は出来るかもしれない。
ううん。春はもういない。
分かっていた。
春に縋っていたのは私もだ。
憎くて大切な姉。
家族が亡くなって悲しまないほど私は強くも薄情でもなかった。
単なる人間だ。
両親とはそれから少しずつ関係が改善された…気がする。
相変わらず宗教には入っているし、私の話なんて聞いてくれないし、でも名前を呼んでくれるようになった。
春には敵わないけど、私は私で生きていくしかないんだ。
そう吹っ切れたら少し楽になった。
時折、SNSで人気の場所に出掛けてみた。
以前はこんなもの、なんて思っていたけれどなるほど、流行るだけはある。
それからは出向いた先の写真を小さなぬいぐるみと撮るようになりSNSに載せるようになった。
たまにくる通知が誰かと繋がれた気がする。
私も春も知らない人。でも確かに繋がって話せる人。
ぬい活、というのと旅行と食べることが趣味になった。
両親を誘ってバスツアーに参加したりした。
なにかを見掛けると、両親が少し寂しそうにして言うんだ。
「春が好きそうねぇ」
と、両親の中で春は生きている。
それでいいんだ。
私も笑って「そうだね」と言える。
それくらいが私達にはちょうどいいのかもしれない。
春がそれぞれの中で生きているから、そう思える。
冬が来て、雪が溶けて春を告げるようになった。
道には花々が咲き誇り、上を向けば桜が咲いている。
「おかえり」
舞う桜の花弁に告げた。