21 潜入
『難民たちはこれから、帝国各地に散って行く。ここでのわたくしの慈悲をしっかり見せつけておけば、後に有利に働くでしょう。』
マリー・クレールにとっては、難民を門の外で待たせるか内で待たせるかに大した違いはない。
羊飼いたちの懇願に、館に戻りかけていたマリー・クレールは、深いため息と共に気持ちを切り替えると、はかなげな笑顔で振り返った。
「あなた達の気持ちも尤もと思います。隊長。今夜から、検問所の扉は夜間も開放する事にしましょう。」
そして、難民たちに優しく微笑みかけた。
「わたくしが至りませんでした。あなた方は大変な思いをしてここまでたどり着いたと言うのに、更に我慢を強いていたのですね。今日から、入国は自由です。ですが、わたくしも、ベイリン帝国皇女としての責任があります。検問所横の広場から出ない事。これだけは守って下さい。明日、審査を終えたものには証明書を渡します。それがあれば、ベイリン帝国国内の移動には困らないでしょう。」
「隊長、手間をかけさせますが、今後、たどり着いた者達はそこに集めて下さい。」
マリー・クレールは、それだけを告げると、難民たちの感謝の言葉に軽く手を振って、部屋に戻った。
今日も、収穫が無かった、と徒労感を胸に、マリー・クレールは入浴の支度を急がせた。
「こいつらはおらの財産だ。これ以上、一匹たりとも失う訳にはいかねぇだ。」
一方、検問所では、事の起こりとなった羊飼いがまだごねていた。
後に並んでいた難民たちは、審査が明日、と言うので、簡単な魔素汚染の検査のみで、安全な門内に次々と入って行く。役人も騎士も当然無能では無いので、詳しく調べなければならない馬車や大きな荷物は、門の中に入れる事は許さなかった。この羊飼いだけが、羊たちも中に入れてくれ、とごねているのだ。
気持ちはわからなくもない。外に置いておいた一晩の間の荷物の保証は無いのだ。
「あんたも諦めが悪い男だなあ。こんな時間に着いたんだ、仕方が無いだろう。昨日までなら、外で野営だ。安全な門の中に入る事が出来るだけ、ありがたい事だと言うのに、手配して下さったマリー・クレール皇女殿下の情けを無駄にすると言うのなら、お前はその家畜と共に外におれ!」
ギラリと光る槍の穂先で追い出されそうになって、漸く、羊飼いは、荷馬車から離れた。
その夜。
検問所の中では赤赤と松明が焚かれ、交替で騎士達が夜警に立っていた。メエメエとうるさく鳴いていた羊たちも漸く眠りについたようで、周囲には、警戒する騎士達の鎧の音だけが響いている。集められた難民たちも疲労から、泥の様に眠っていた。
そんな中、一人の若者がのそりと起き上がり、「すんません、しょんべんは外の方がいいんだか?」と言いながら、門を出る。
騎士は検問所の近くに用を足されてはたまらない、と昨日まで難民たちが使っていた一画を指さす。
人の動きに、臆病な羊たちが目を覚まし、また、メエメエと声があがり、イライラとした騎士の横をへこへこと頭を下げながら、若者は戻ってきた。
その後も何人か用を足しに起き出す者がおり、夜警の騎士達は、マリー・クレールの優しさにも困ったものだと、恨みに思いながら、明日からのトイレ対策を役人に丸投げする事に決めたのだった。
翌朝、難民たちは、検閲を受け、証明書片手に、ベイリン帝国に入国した。
騒ぎの元になった羊飼いも大人しく、羊たちを連れて、移動する。羊たちも安全と感じるのか、昨日程、騒ぎはしなかった。心なしか、馬車の中も余裕が感じられる。
「こいつらを売って、その金で、あちこち回って情報を集めましょう。」
検問所が見えなくなると、言葉も態度も改めて、羊飼いが言う。
それに小さく頷いた少年は、身なりこそ遊牧民のそれだったが、紛れもなく、インゲルハイム王国第二王子アレクサンドルだった。
羊の中に紛れて荷馬車に潜み、夜中に、用を足しに出てきた若者と入れ替わる。
上手く行く事は、あらかじめわかっていたが、それでも、入れ替わった姿で騎士の横を過ぎる時は緊張に体が強張った。
だが。
今や、インゲルハイム王国の正当な王位継承者はアレクサンドル、只一人。
失われた国と国民の為に、彼は、生き延びなければならない。
顔の右半分を縦に走る刀傷。夜の空の色に変化した右の瞳はその中央に深紅のライン。
シャルルマーニュに奪われたはずの、右目の異能・未来視、は、再び、アレクサンドルの目に宿っている。
彼がそれに気が付いたのは、兄ラインハルトの変性からの崩壊を目にした後だ。自分もいつ兄の様に変性し、崩壊してしまうのか、その恐怖で凍り付いたアレクサンドルを現実に引き戻したのは、タウ族からもらい受けた馬だった。
呆然とするアレクサンドルの襟首を咥え、自分の背に放り上げる。そして物凄い勢いで、駆け始めた。それは、信じられない速さで、彼が力尽きて倒れた時、アレクサンドルは、その速さの秘密を知った。
馬の脚は6本になっていた。
何故、数時間前に譲り受けた馬が、変性しながらも、アレクサンドルを守るように魔素の充満した土地から離れるように駆けたのか。
それは、アレクサンドルには分からない。
けれど、馬に必死で跨りながら、アレクサンドルが視たものは、ベイリン帝国騎士団に引き立てられていくパッカルド王家の人々の項垂れた姿だった。
祖母の母国であるランティス大陸南部のパッカルド王国に逃れる考えが頭をよぎった瞬間の事だ。
それが、数日前に視えた、ヒューの姿に重なる。
未来視?
アレクサンドルがラインハルトの様に変性で崩壊しなかった理由が、過去に変性した結果で、それで得ていた異能が奪われていたからなのかはわからない。
けれど、異能・未来視はたった一人になったアレクサンドルの唯一の武器と言えた。
意図的に見たい未来が見れる訳では無い。けれど、頭痛と吐き気に耐え、必死に未来を視続けて、この道を選んだ。
そして、それは、正解だった。
アレクサンドルは目的の為の第一歩を自分たちを裏切ったベイリン帝国に踏み出した。
「あぁ、アレクは生きてるんだね。」
ある日、鏡を見て、シャルルマーニュは、呟いた。右目の色が元に戻っている。
「?」
彼と共に魔の森に挑み、死亡したはずの騎士の一人が、主の呟きに反応した。
彼ともう一人。
あの日、シャルルマーニュの自殺願望の様な魔の森探検に同行させられた騎士達は全員死亡したと報告されていたが、実際はシャルルマーニュの他にもう二人、生還を果たしている。
魔人誕生の秘密を守るために、彼らは、本来は殺される筈だった。今、生きているのは、シャルルマーニュが、彼らを隠したからだ。
「これは借り物の異能だからね、本当の持ち主が生きていれば、返さないわけにはいかないよ。」
便利だったのになぁ、とそれ程残念そうにでは無く、シャルルマーニュは薄く笑う。
「僕にとってはアレクが生きて、足搔いてくれれば面白い事になると思うんだ。」
「また、お前はそうやってすぐ、面白いか面白くないかで行動する。」
もう一人の生き残りが、左足の義足をカツカツとさせて近づくと、コツン、とシャルルマーニュの頭を小突いた。
ベイリン帝国皇子に対し、殺されても仕方ない程の無礼だが、された方のシャルルマーニュは子供らしく唇を尖らせる。
最初に声をかけた騎士も咎めもせず、「おかげで俺たちはこのざまだ。」と、吊った右腕を持ち上げてみせた。
シャルルマーニュの異能、それは、口にした物が魔素を帯びていれば、その痕跡を辿る事が出来る。皇帝には、そう報告されている。けれど、実際は、口にした物質の解析・追跡、そして再構築。アレクサンドルの未来視の右目を舐め、解析し、自らの右目に再構築していた。そうやって、他者の異能を際限なく取り込むことが出来たなら、シャルルマーニュは無敵だ。けれど、世の中には、そんなにうまい話は無い。彼が自らの体に再構築できるのは一時的に過ぎず、その異能は時間が経つと奪われた元の持ち主の元に帰ってしまうのだ。勿論、持ち主が死んでしまっていれば、その限りでは無いが、他者の異能を使うのは、かなりシャルルマーニュの体に負担をかける。
「ま、未来が分かっちまったら面白くないからな。」
それは、シャルルマーニュ皇子の口から出た言葉であるのに、全く皇子らしくない口調。
「おい、シャル、素が出てる。」
そう、友人の騎士達に窘められ、シャルルマーニュの中の人物は肩を竦めた。
過日、魔の森にて、生き残ったのは騎士三名。うち、一人は右腕が変性した為、怪我を偽装している。一人は右足が変性し左足を失った。そして、最後の一人は、体を失い、その魂は、死したシャルルマーニュの肉体に憑依した。
これは、ベイリン帝国第5皇子シャルルマーニュが抱える最大の秘密であり、彼の計画の根幹をなす真実であった。




