18 この奇跡を悲劇にはしない
その夜、大地が震えた。
立っている事が叶わず、膝をついたラインハルトに、引きずられるように歩いていたアレクサンドルも倒れる。
大量の魔素が消費され、巨大な魔法が行使されていた。魔の谷の真上に、天を覆う魔法陣が浮かんでいる。
「何だあれは!」
直ぐ近くに聞こえた叫び声に顔を上げると、暴れる馬を上手く宥める男たちがいた。
「遊牧の民か。」
ラインハルトの呼びかけに、リーダーらしき男が馬をおりる。
「そうだ。俺はタウ族族長のケーン。あなたは、貴族か?貴族がこんな所で何をしている。」
「襲撃に巻き込まれ、逃げてきた。君の馬を売ってくれないか?弟が怪我をして、一刻も早く医者に診せたい。」
馬が財産である騎馬民族に馬を売れ、と持ち掛けるのは、かなり吹っ掛けられても仕方がない。けれど、ラインハルトは、背後の燃え盛る魔の谷からひしひしと迫る恐怖になりふり構ってはいられなかった。
ケーンと名乗った青年は、ラインハルトたちの来た方角を見て、表情を厳しくする。
「襲撃、と言ったな。誰が、誰を襲った?」
ラインハルトは、シャルルマーニュが襲わせたのが、タウ族のキャンプと知っている。
「襲ったのはベイリン帝国の騎士で、襲われたのは君たちのような遊牧民の様だった。私達はたまたま、近くを通りかかって巻き込まれたインゲルハイム王国の子爵家の者だ。」
流れるように嘘をつく。
半ば意識朦朧としながら、アレクサンドルは、兄に抗議するように縋りついているその手に力を込めた。
「長!それって。」
同行者たちの殺意が膨れ上がる。
ぎりっと音がするほど奥歯を噛み締め、ケーンは一度降りた馬に跨る。
「ターロ、お前、キロンの後に乗れ。ターロの馬をやる。弟を早く医者に診せてやれ。」
そう言うとケーンは振り返りもせず、まっすぐ、炎を吹き上げる魔の谷に向かった。
「ほら。気をつけてな。俺たちの馬は、賢いから、危険な所には近づかない。急ぎたい気持ちはわかるけど、無理はするなよ、にーちゃん。」
相手が貴族であっても、ターロと呼ばれた青年は軽口を叩きながら、自分の馬を降りて、さっさと仲間の馬に乗り替える。
そして、対価も受け取らずに走り去った。
ラインハルトは正直、この結末が信られなかった。
遭遇したのがタウ族と知れた時に、ラインハルトは無事に切り抜けられるとは、思っていなかった。最悪、殺される可能性も考えていた。
それが、何の対価も無く、馬を譲り渡し、しかも、その馬には食料まで括り付けられていた。
「意外とお人よしなのだね。」
そんな言葉が思わず漏れた。
「兄上、僕たちはあの人達の一族を攻撃したのですよ。それなのに、そんな言い方って」
「アレクサンドル、私達はインゲルハイム王国の王位継承権者だ。自分の命を一番に優先する義務がある。それに、彼らは、国を持たない流れ者だ。彼らの安全をインゲルハイム王国が負う必要は無い。」
それは為政者としてのラインハルト王太子の言葉だったが、アレクサンドルには、全く理解できない。
「ですが!あのキャラバンの中には女性もいました。お腹に赤ん坊がいた。ヒューが、」
その時の事を思い出すと、今でも、胸が張り裂けそうだ。
「あの惨劇が、僕のせいだ、と。僕を助けなきゃ良かった、と」
「何を言っている?手を下したのはベイリン帝国騎士で、命じたのはシャルルマーニュ皇子だ。責任は彼らにある。」
「アレクサンドル、お前はもう少し、上手く立ち回らねばならない。今のお前には、王族の覚悟か足りない。私達王族の価値が、遊牧民と同じはずが無いだろう。私達は、何があっても、何を犠牲にしても、生き延びて、国を守らなくてはいけないのだ。」
厳しくそう告げるラインハルト王太子。
「マリー・クレールは、私に魅了の魔法をかけた。しかも、初対面で、だ。ベイリン帝国はインゲルハイム王国を併合するつもりだった。私は、そんな状況で、彼女に先手を取られないように、立ち回る必要があった。私の代で王国を滅ぼす訳にはいかないからだ。
今、私の手の中には、ベイリン帝国に対し、優位に交渉出来る札がある。だが、それもこれも生きて帰らなければ、何の役にも立たないのだよ。」
馬に二人乗りとなり、ラインハルトは王国南部の国境を目指す。
「馬をくれた彼らが、仲間の安否を一番に気にする性格で良かったね。お陰で隣国との交渉が優位に進められる。」
王太子たるラインハルトにとって王国民で無い人間は、どうでも良い部類に入っているようだ。
それが王族として正しい事なのだと自らに言い聞かせながら、アレクサンドルはそれを否定する気持ちを抑えるのだった。
ケーンは駆けた。必死で明日合流予定のタウ族のキャラバンを目指した。
そこに待つのが地獄だとしても、この目で確認しなければ、それは、頭の中に描かれた想像でしかない。そんなものをこれから後生大事に抱えて生きるぐらいなら、自分も地獄に飛び込んだ方がマシだ。
期待などしない。
行く先は、赤々と燃え上がり、ここにまで、肉の焼ける匂いが漂ってくる。1体2体ではない。何十と言う人間の焼ける匂いだ。
この緩衝地帯の草原で、一番の実力部族、と知られていても、その地位を確立するまでには、随分血なまぐさい争いもしてきた。
いつかは、自分たちも、どこかの部族に負けて大地に還る事になるかも、なんて、目が覚めるたびに考えている。
だから、胡散臭いあの貴族の言葉をそのまま聞き流した。
あいつらが襲撃者本人だとしても、あれだけボロボロになっていたのなら、自分の仲間たちはさぞ勇敢に戦ったのだろう。一振りで首を刎ねても良かったが、一緒にいた少年にヒューが重なった。
恐らく、失われてしまったであろう、我が子の将来を、無意識に顔面を血に染めた少年に託し、ケーンはラインハルトたちを見逃したのだった。
「長!あれを。」
キロンの双子の兄イロンが指差す先に、彼の飼っている鷹がクルクルと上空を回っていた。
本来なら、眠っている時間にも拘わらず、主人の命令をよく聞いて、探し物を見つけ出したようだ。消す者の無い炎は我が物顔に草原に拡がって、これだけ周囲が明るければ、夜目が利かないとは言え、彼には十分だ。
そこは族長のテント跡だった。燃え尽きてはいても、他のテントとの間隔や、位置取りなど、部族の中でも、護られるべき者の配置は、決まっている。
周囲に、遺体は無かった。
少なくとも、奇襲をかけられ、なす術もなくやられた訳では無いのだろう。
セイは、身重の体でエルダー様や奥方様を守って移動したに違いない。そう信じた。
戦いの痕跡を辿ると、次々と同胞の遺体に出くわした。
「すまん、後で必ず迎えに来る。」
弔っている余裕はなく、そう声だけかけて、走る。
「何だ、あれ?」
更に先には、何かを囲んだまま息絶えた、何人もの鎧を着た騎士達が倒れていた。何か鋭い物で切断された切り口は、見事と言うしかない。
中央には土で作られた丸いドームがあり、その外側は蜘蛛の巣で包まれていた。
コンコン、コンコン、と巣の中央で子蜘蛛が脚を鳴らす。
「ケーン?」
それに反応するようにドームの中から、微かな声がした。
「セイ!」
生きていた!
ケーンを始め、タウ族の精鋭たちは色めき立った。
「ケーン、早くここから離れな、もう魔素が十分濃くなってるんだろう?エルダー様や奥方様に守られていてもわかるよ。」
つつっとケーンの鼻から血が流れていた。キロンたちも、ギリギリと歯を噛み締めて、叫び出したい衝動を抑えている。
「魔の谷が燃えたんだ。そのせいで、溜まっていた魔素が噴き出してる。エルダー様たちは何とかするつもりらしいけど、上手くいくかは分からない。ヒューをヴァン様が連れて逃がしたからね。」
「奥方様から頼まれたんだ。ここから脱出出来たら、ヒューを探し出して保護して欲しいって。奥方様はご自分の命を使うつもりなんだ。どうせもう、長くないから、って。このドームに奥方様の巣作り用の糸を使って下さってる。あたしが子供を産むまで、護って下さるって。
でも、わかるんだよ。
この魔素濃度は高すぎる。だって、あたし、もう、人間じゃない。
ケーン、あたしね、卵を産んだんだ。
きっと、その中にはあたしとあんたの子供だったものがいる。
魔素のせいで変性しちゃったんだ。
ごめんね、ずっと、楽しみにしてくれてたのに。」
「そうか、無事に産まれたのか。良かった。」
ケーンの口から漏れたのは、非難ではなく安堵の言葉。
「ケーン?あんた、怒らないの?」
「どうして怒るんだ?俺とお前の子供、俺たちのタウ族の次期族長だ。」
「だって」
「人間じゃないから何だって言うんだ?」
そう言うと、ケーンは力強く、土のドームに蹴りを入れた。
強固な筈のそれは、パラパラと崩れる。
「奥方様は、ちゃんとわかってたんだよ。無事に産まれたから、安全になったから、この巣は外からの力で壊すことが出来る。
人外となった俺たちには、魔素なんて、関係ないだろう?」
人間の胎児程の大きさの卵を大事に抱えた鳥の羽、足も鳥のそれに変化していても、そこからあらわれたのは、ケーンの最愛、セイ、だった。
そして、セイの目の前にいるのは、間違いなく最愛の夫タウ族の長ケーンではあったけれど、その腰から下は、彼の愛馬と一体化していた。
ターロとキイロも人馬一体の人外と化し、イロンは鷹の羽と嘴、脚をもつ姿に変性していた。
ドームの外は、魔素が荒れ狂っていた。




