14 参戦
「大丈夫?アレク?」
顔の右側を切られ、変性した右の眼球はその機能を失った。焼けつくような傷の痛みにのたうち回りたくとも、地面に拘束され、身動きが取れない。シャルルマーニュとマリー・クレールの裏切りも、この平原についてから次々と明かされる真実の山に埋もれ、もう、アレクサンドルの心は限界を超えていた。感情が擦り切れる。目の前で繰り広げられているのは舞台の一シーン。無意識にそう切り替えた事で、辛うじてアレクサンドルの精神はこの世に留まっている。
いつの間にか隣には兄ラインハルトがいた。アレクサンドルを地面から引き上げ、素早く顔の切り傷に応急処置を施す。
「静かに。この場から離れるよ。」
虚ろな表情で自分を見上げる弟は、蒼白で、表情が抜け落ちている。「兄上?」
変性で得た未来視の能力を失い、次々と現れる衝撃の事実に壊れかけているそれを、ラインハルトは幼い頃の様に頭を撫で、そっと抱き上げた。
「そう、そう。昔、お前はそうやって私を頼って甘えてくれたね。嬉しいよ。また、こうして正しい兄弟の形に戻ることが出来て。」
ラインハルトは結界魔法を自分の周囲に展開している。マリー・クレールから、言葉巧みに借り受けた物だ。自分の魅了に罹っていると思い込んでいた彼女は、ラインハルトの前では時々気を抜いてミスを犯す。
まさか、魔の谷を領地に持つ国の王太子が、魔素耐性を持たないなど、本気で思っていたのだろうか?
魔の森を有するベイリン帝国の領土は広大だ。意図的に魔の森に侵入しなければ、高濃度の魔素に触れる事は無い。それは、魔の山や魔の湖を有する国にも言える。けれど、このインゲルハイム王国は国境が魔の谷だ。そこから湧き上がる魔素は風に乗って、国中に拡がっている。時折、強い風に煽られて魔素濃度の濃い風が吹くこともある。
南部に置かれた王都では、その影響は比較的少ないが、生まれた時からその環境に馴染んでいるインゲルハイム王国民と違い、初めてこの国を訪れ、体調を崩す者が多いのは、実はその為だ。
特に第一子として生まれたラインハルトは、アレクサンドルが生まれるまで、両親と離れ、高濃度の魔素風が吹く離宮で育てられた。王太子の予備が生まれるまで期間が開いたために、これまでより長期に渡り魔素に晒されたため、ラインハルトの魔素耐性は、王族の誰よりも高い。
一般に、急激に高濃度の魔素に触れた場合、変性が起こる、と言われている。けれど、インゲルハイム王国民の様に、低濃度の魔素に長時間晒される場合、変性は起こらず、魔素耐性となって、魔力に抵抗性を持つだけでなく、身体能力が向上する場合が多い。この国が小国であるにもかかわらず、高い武力を誇る理由の一つでもある。
蜘蛛の魔物アリアドネとその仲間が、マリー・クレールたちベイリン帝国と揉めている間に、この場を立ち去る。
どちらが勝利するかは分からない。
ラインハルトの出番は、それが片付いてからだ。
戦いの勝者によっては、彼の役割も変わって来る。だから、この成り行きだけは見届けなければならない。せめて、安全、と思えるところまで退避し、弟だけは守らなければ。
自分に何かあった時には、この国を継ぐのは彼しかいないのだから。
消火活動が行われない平原を燃やす炎はその勢いを衰えさせる事は無く、夜空を赤々と照らす。
それに向かって、必死に馬を走らせる数騎。そして、別の方向から物凄い速度で飛んでくる飛翔体が一つ。
この夜の動乱はまだ、収まる気配を見せない。
魔の谷からゆらゆらと立ち昇る魔素が、この動乱に更なる混乱をもたらすまで、あと少し。
「こんな物で、こんな物で、わたくしを縛るなど、許さない。誰か、さっさとこの化け物を殺しなさい!」
「おやおや、姉上。あんなに恋焦がれたアリアドネシルクの素ですのに、殺してしまうのですか?」
激高するマリー・クレールに対して、地面に転がされていても、全く動じないシャルルマーニュには姉をからかう余裕があった。
「もう、アリアドネシルクを出せないと言うのなら、そんなのただの化け物よ!」
「やれやれ、どうして言われた事をそのまま信じるのです?そんなもの、嘘かもしれないでは無いですか?」
「嘘?」
「アリアドネシルクの価値は計り知れない。それを作る事が出来るのが、自分だけとして、その価値を知っていれば安売りはしない。そうでしょう?」
殺してしまってから、実は。と言うのでは取り返しがつかない。
そう、シャルルマーニュは言う。
「この状況で随分と冷静ですね。」
エルエルが一歩シャルルマーニュに近づいた。「君は危険だ。」
「創世神話のエルダーエルフにそう言われるとは光栄ですね。」
嬉しそうに笑うシャルルマーニュ。
その笑顔をみたエルエルは決断する。「アリア、制裁は後で。この場から直ぐ離れましょう。」
振り返って、ヒューを抱き上げようとしたエルエルの胸から、鋭い何かが突然、伸びた。
「おやぁ、いきなり屈むから目標がくるってしまったでは無いですか。やれやれ、困ったなあ。死なないよね、これ。」
はらりとアリアの蜘蛛の糸を払い落として、シャルルマーニュが立ち上がる。その手に、握る槍がエルエルの胸を貫いている。
「かはっ。」
血を吐いて、エルエルが膝をついた。
「それは、私の糸!?」
驚愕に目を見開くアリア。
シャルルマーニュが握っていた槍は今や、形を変え、鞭のようになっている。
「正解。」
ひゅん、と鞭が唸って、ヒューがそれに捕らわれる。ぱっと、エレキスライムの体が核ごと二つに分かれた。バリバリと電気の枝を伸ばし、スライムが崩れ落ちる。
「僕の異能は、物質の解析・追跡、そして再構築。アリアドネシルクは、アレクサンドルの持つ包帯で、既に解析済み。ならば、タイプは違えど同じ個体から作られた糸の解析・再構築など簡単な事。」
「ふむ、直接触れなければ、ゴブリンクイーンの護法と言うのも役立たずですね。さて、君たちの大切なお姫様?王子様?は僕の手の中です。降参、しますか?」
シャルルマーニュは、にっこりと笑った。
ヒューの幸せは、家族と共にあった。
一番の仲良しのリンクは、もう二度と目を開けないかもしれない。
頼りになるエルエルは、血塗れになって膝をついている。
優しいアリアが、怒りのあまり目を真っ赤にしている。動かない足を無理に動かそうとして、ギシギシと音を立てている。
エレキが砕かれてもライムたちは、まだヒューを守ろうと周囲の栄養を摂り込む為に触手を伸ばしている。
巻き込んでしまったタウ族の皆、ごめんなさい。セイ姉ちゃん、赤ちゃん、あんなに生まれてくるのを楽しみにしていたのに。ケーン兄ちゃんはこれを知ったらどうなっちゃうんだろう。
皆、皆、僕のせいだ。
だけど、何にも出来ない。ちっぽけなただの人間の僕なんか、護る価値なんて無いのに。
「アリア、エルエル、逃げて!僕の事なんて放って、逃げてっ!」
「まあまあ、そんなこと言わず。僕はね、君にも興味があるんですよ。アリアドネに、エルダーエルフ、ゴブリンクイーン?そんな人外たちと一緒に暮らしている君は何者ですか?見た目は人間の様ですけど?ドワーフ?獣人?性別は?あぁ、未知を知る、と言うのは何と楽しい事でしょう。」
シャルルマーニュは、アリアの糸で形作った鞭の柄で、ヒューの顔を持ち上げる。その左右色違いの瞳がヒューの未来を覗こうと間近に迫る。
「さあ、早くしないとそこのエルダーエルフは手遅れになりますよ。」
「いい気になるなよ、人間風情が!」
そんな罵倒と共に、空から何かが降って来た。びちゃりとしたゲル状のそれは、シャルルマーニュごとヒューを飲み込んだ。
「エルエル!大丈夫か?アリアっ!リンク!?」
漆黒の羽を大きく広げ、地上に降り立ったヴァンの目は血の色をし、その爪は鋭く伸び、その牙は鋭く尖っていた。
「ヴァンパイア!?」




