迎春祭・三
レオが向かったのは広場の一角。色とりどりの飲み物を扱う屋台が立ち並び、その中でもひときわ活気に満ちた店がレオの実家だった。次々と客が飲み物を買い求め、屋台の周囲は絶え間なく賑わっている。
「親父、儲かってるか?」
レオが笑い声混じりに声をかけると、屋台の奥から現れたのはふくよかな中年男性。レオによく似た顔立ちで、日に焼けた肌と立派な顎髭が特徴的だ。どっしりとした体格に似合わぬ手際の良さで品物を整理している。
「おう、レオか。友達を連れてきたのか」
ダリオは屋台の奥から顔を出し、レオの背後にいるノアたちをじっくりと観察した。その目は穏やかな笑みを浮かべつつも、どこか鋭さを秘めている。日に焼けた肌と顎髭が、彼の働き者ぶりを物語っていた。
「どうも。こいつの親父のダリオだ。こんな奴だが、よろしく頼む」
軽く頭を下げるダリオの態度に、ノアたちは一瞬戸惑いながらも会釈を返した。一方、レオは慌てたように手を振る。
「親父、友達の前で余計なこと言うなよ!」
レオは肩をすくめつつ、屋台の空いたスペースに荷物を置く。
「荷物、ここに置いてってもいいか?」
「ああ、構わん。にしても、今日は暑くなりそうだな。この人の数を見る限り、売り上げは期待できそうだ」
ダリオは顎髭をさすりながら、賑わう広場を見渡す。すでに行列を作る人々が、冷たい飲み物を求めて屋台に足を運んでいた。
エミールたちが空いているテーブルに腰を下ろすと、ダリオがすっと冷たいジュースを運んできた。透明なグラスに注がれた液体は氷の音を響かせながら、見るからに涼しげだ。
「ほら、飲んでみな。今日はサービスだ」
ダリオがにこりと笑いながらテーブルにグラスを置く。エミールたちが礼を言いながら硬貨を取り出そうとするが、ダリオが手で制した。
「いいさ、うちのバカ息子が世話になってるらしいからな。そのお礼だ」
「親父、だからそういうのやめろってば!」
レオは顔を赤くしながら抗議するが、ダリオは気にする様子もなく、笑い声混じりに肩をすくめた。
「まぁまぁ、そう言うな。それより試してみろ、お前が言ってた通り、作ってみたんだ」
レオがひと口飲み、しばらく味わってから感想を言う。
「まぁ、美味いけどさ、オルビス商会のほうが流石に質がいいな」
その評価に、ダリオが苦笑しながらレオの頭を軽く叩いた。
「大商会とうちを比べるな、味では負けてるが、うちの方が安い。これだけ暑けりゃ売れるさ」
父親の揺るがない自信に、レオもどこか嬉しそうに笑みを浮かべた。
その時、屋台の裏手から軽やかな声が響いた。
「父ちゃん、食材仕入れてきたよー! ……って、お兄ちゃん、帰ってきたの?」
現れたのはレオの妹、リリアだった。彼女は兄とは違い、柔らかい雰囲気をまとった美しい少女だった。レオと同じ淡い髪色を揺らしながら、手に持った荷物をテーブルに置く。
「お兄ちゃんの友達だよね? 初めまして、リリアです」
彼女はノアたちを見てから、丁寧にお辞儀をした。その所作は品があり、エミールが少し驚いた顔をする。
「うちのバカ兄貴がお世話になってます」
「お前までそう言うなって! なんだ、事前に合わせたのか!?」
レオが抗議すると、リリアは冷静な表情でレオに目を向けた。
「でもどうせまた、大きなイビキをかいて友達に迷惑かけたんでしょ?」
「うっ、それは、まぁ……」
「それだけじゃなくて、どうせ服を脱ぎ散らかして掃除もしないんでしょ? 家にいた時から直らなかったし、寮ではもっとひどいはず」
「そ、それは……反論できない……」
リリアの的確すぎる指摘に、レオは口を開いたまま固まり、目を逸らした。昔からレオは、妹との口喧嘩に一度も勝てた試しがない。
エミールたちが笑っているのを察して、レオが耳を赤くする。
小さく縮まろうとするレオを見て、カイが感慨深げに言う。
「お前と違って、リリアはちゃんとしてるな」
「へへ、ありがとうお姉ちゃん」
「……僕は男だ」
「え、うそ、ごめんなさい」
目を丸くして謝るリリアに、カイが遠い目をする。もう何度も間違えられて、彼は半ば諦めかけていた。
エミールが落ち込むカイの背をポンポン叩きながら、苦笑を浮かべる。
「そこは兄弟一緒なんだね」
ノアは素知らぬ顔で差し入れを食べていた。海の食材が多くて、ノアは新鮮な気分だった。
それでもリリアは笑顔を崩さず、周囲の雰囲気を和らげていた。
「そうだ、リリア。トーマスたちはどこ行った? 街にはいなかったぞ?」
レオが周囲を見回しながら尋ねる。
「あいつなら友達と海に行ったわよ。祭りの目玉になるようなものを釣ってくるとか言って、やたら張り切ってた」
「へぇ、そうなのか。まぁ、オレは今日は店を手伝わなくていいから、たっぷり遊べるんだぜ!」
レオが胸を張って宣言すると、リリアは苦笑しながら肩をすくめた。
「いいなぁ……私も遊びたいよ」
その一言に、ダリオがちらりとリリアを見やり、顎髭を軽く撫でながら考え込む素振りを見せる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「リリア、今日は遊びに行ってもいいぞ。昼過ぎには母さんが休憩に入るから、その時に店番を代わってくれれば問題ない」
「えっ、本当にいいの?」
リリアの目がぱっと輝く。ダリオは軽く頷きながら、どっしりとした声で言い切った。
「ああ、たまには気分転換してこい。お前も子どもなんだからな」
「やったー! 父ちゃん大好き!」
リリアは満面の笑顔で父親に抱きつく。その愛らしい仕草に周囲の空気が少し柔らかくなる。
しかし、そんな和やかな雰囲気をぶち壊すように、レオが不満げに口を挟んだ。
「えー! オレの時と対応が違うじゃん! これ絶対差別だぞ!」
ダリオはその言葉に低い声でクックッと笑いを漏らし、レオをじっと見つめた。
「お前が昔、祭りの準備を手伝うって言っておいて、初っ端からサボってどこかに行ったのを忘れたとは言わせねぇぞ。あの時、俺がどれだけ大変だったか……」
「ぐっ……それは……」
レオは反論しようとするが、心当たりがありすぎて言葉が詰まる。昔の記憶が頭に浮かび、渋々目を逸らした。
「それに比べて、リリアはちゃんとやるべきことをやってるからな。信用の差だ、諦めろ」
「ちょ、親父、昔の話を今引っ張り出すなよ! もう時効だろ、時効!」
「時効なんかあるものか。お前の怠け癖はあの日から、いや、生まれた時から続いてるんだからな」
ダリオが肩を揺らして笑うと、レオは悔しさのあまり唇を尖らせてそっぽを向いた。その様子があまりにも子どもっぽくて、リリアまで小さく吹き出す。
その光景を微笑ましく見守っていたエミールは、ふと隣で黙っているカイに気づき、首をかしげた。
「どうしたの? カイ君」
「……なんでもない。ただ少しぼーっとしてただけだ」
カイは淡々と答えたが、その声色にはほんのわずかな曇りが含まれていた。表情は平静を装っているものの、どこか儚げな雰囲気をまとっている。
それは寂しさとも、羨ましさともつかない曖昧な感情で、一瞬だけ瞳に浮かんだそれを、隣のエミールだけが察知した。
声をかけようとしたその時、静かに食べていたノアが突如顔を上げる。
「食べ終わった」
「うおっ、ノア君、いつの間に!」
エミールが驚いて振り返ると、いつの間にか差し出された差し入れをきれいさっぱり食べ終えていたノアが、淡々と皿を置いていた。
その何事もなかったかのようなノアの態度に、一瞬場の空気が弛緩する。気づけばカイの表情もいつものように戻っていて、さっきの儚げな雰囲気は跡形もなかった。
まるでさっきのことは最初からなかったかのように、いつものカイがそこにいた。
「お祭り、いつ行くの?」
ノアがレオをじっと見上げていた。その期待に満ちた視線は、まるで餌を待つ猫のようだ。レオはその仕草に、少し笑いをこらえる。
その様子を見ていたダリオが、手をひらひらと振りながら追い払うように言った。
「ほら、さっさと友達と遊びに行け。あんまり長居するなよ、商売の邪魔だ」
「分かったよ! 遊んでくるからな! ちゃんと稼いどけよ、親父!」
「言われなくてもな」




