迎春祭・二
アタリカの街は普段とはまるで別物だった。通りには春の訪れを祝う色鮮やかな花が飾られ、陽光に反射して輝くリボンや旗が軽やかに揺れている。商店街の店先には特別な装飾が施され、普段の何倍も活気に満ちていた。どこからともなく漂う甘い香りが街中に広がり、まるで訪れる人々を歓迎するかのようだった。
屋台もすでに準備を整え、人々が料理を仕込んだり装飾品を並べたりして忙しそうに動き回っている。屋台から立ち上る香ばしい匂いが空腹感を刺激し、朝早い時間にもかかわらず訪問者たちの足を止めさせていた。
片隅では楽団が楽器の調律をしている。微かに響く音の断片やリズムが、祭りが始まる高揚感を煽り、周囲の人々を引き寄せている。彼らの手際よく進む準備を見つめながら、広場のあちこちで笑い声や歓声が弾け、街全体が祭りの熱気に包まれていた。
「来た来た! これぞ祭りって感じだな!」
レオの声が通りに響く。彼の瞳は輝き、期待に胸を躍らせている。
「すごい人の数だね……ぼくの村じゃこんな賑やかな祭りは考えられないよ」
「アタリカの人々は祭り好きだとは聞いていたが、これほどとは……で、レオ、お前がこんな早くから連れ出したのは何か理由があるんだろ?」
「待て待て、まずは、迎春祭に必要なものを揃えなきゃな!」
そう言うや否や、レオは広場の一角に並ぶ屋台の一つに向かって駆け出した。その店では色とりどりの花々が並び、店主の女性が手際よく花束を整えていた。
「イサ姐! やってるか?」
「あら、レオ、今日は友達を連れてきたの?」
「ああ、迎春祭用の花を買いに来たんだ。イサ姐のとこの花は質がいいからな!」
「まったく、口がうまいんだから。ちょっと待っててね、今並べてる最中だから」
「オレも手伝うぜ」
棚に花を並べるのを手伝い始めたレオに触発され、全員手伝いを始めた。エミールは並べられた花に感心しながら、さまざまな種類の花束を慎重に配置していく。一方、ノアは無言で淡々と花を並べる。
「これ、全部春の花なんですか?」
カイが興味を持ったように花束に目を向けると、イサが笑顔で答える。
「そうよ。迎春祭では、春の花を身につけたり飾ったりして祝うのが習わしなの。男性は花飾りや花留めを、女性は花冠を身につけるのが一般的ね……お嬢さんもひとつどう?」
「……僕は男です」
「あら、やだー。私ったら見間違えるなんて」
イサが少し気まずそうに笑って誤魔化していると、レオがその場を見計らったように花冠を手に取り、さっとカイの頭に乗せる。
「いいじゃねぇか、似合うと思うぜ」
「……」
カイの目がさらに冷たくなるが、実際よく似合っていた。花冠をつけた彼の姿は華やかで、美しい雰囲気を漂わせ、見ていたイサが一瞬言葉を失うほどだった。
「そんな目で睨むなって! オレだってつけるからさ!」
笑いながら、レオが自分の頭にも小さな花冠を乗せる。大柄の男が可愛らしい花冠をつける滑稽な姿に、エミールが思わず吹き出した。
「はは、いいね、せっかくだしぼくも付けよう」
エミールが自分の頭に花冠をつけると、ノアも目をパチクリしながら同じように花冠を手に取る。
「……」
三人が花冠をつけた姿を見ていたカイは、溜め息をつきながらも、ふと口元に微笑みを浮かべた。
「全員バカだな……でもいいさ。今日くらい、僕も一緒にバカをやってやる」
四人のやりとりを見守っていたイサが、頬に手を当ててふっと微笑む。
「若いわね、あんたたち」
その言葉に反応して、レオが振り返る。
「イサ姐だってまだまだ若いじゃないか! それで、この花冠はいくらだ?」
「その口のうまさに免じて、今回は無料でいいわ」
「そんなん悪いって!」
レオが慌ててポケットから硬貨を取り出そうとすると、イサが軽く手を振り、苦笑を浮かべながら制した。
「気にしないで。このくらいならお礼みたいなものよ。普段から店を手伝ってくれるじゃない。どうしてもって言うなら、これからも贔屓してくれれば十分よ」
「わかった! これからも絶対来る!」
レオは満面の笑みでそう言うと、仲間たちに声をかけて次の場所へと歩き出す。その姿は無邪気で、春の日差しの中、花冠を揺らしながら街の賑わいの中へ溶け込んでいった。
イサは彼らの背中を見送りながら、どこか懐かしげな表情を浮かべる。その目には、彼女自身の若かった頃の記憶が一瞬よぎったようにも見えた。
「……若いっていいわね」
彼らの楽しげな笑い声が遠ざかる中、花の香りに包まれた空気が静かに広場を満たしていく。イサは目を細め、春の風が髪を揺らすのを感じながら、小さく息をついた。
祭りはまだ始まったばかりだ。
祭りが本格的に始まるまでの間、レオはノアたちを引き連れて街を歩き回り、次々と屋台を訪れていた。彼は訪れるたびに笑顔で談笑し、手際よく手伝いを始める。
屋台の人々はみんなレオの知り合いのようで、軽快なやりとりが絶えない。そのおかげで話が長引くことも多く、彼の気さくな態度に応えるように、何かしらの差し入れを渡す店主たちも多かった。
荷物を両手に抱えながら、カイが呆れたようにぼそりとつぶやく。
「お前、店を手伝わないで遊ぶって言ってたよな? これじゃほぼ全ての屋台で手伝い回ってるだけじゃないか」
その指摘に、レオは手元の紙にペンを走らせながら笑顔で答える。紙には、この日のために用意した予定表が細かく書き込まれていた。
「いいじゃねぇか。こうやって祭りを楽しむのもアリだろ?」
「……まぁ、悪くはないけどな」
カイが肩を落とすと、レオは得意げに話を続ける。
「アタリカの街ってのは、大きな家族みたいなもんなんだよ。こうしてみんなで助け合いながら祭りを盛り上げるのが、オレたちのやり方なんだ。それに――」
レオはふっと笑いながら、予定表を掲げる。
「ほら、オレはちゃんと計画的に動いてるんだぜ?」
「……本当か? それに荷物、もういっぱいだぞ。回るどころか、邪魔になるレベルだ」
カイが指摘すると、レオは肩をすくめながら笑い飛ばす。
「それも祭りの醍醐味だろ? それに、手伝えばこうやって色々もらえるしな」
「……そっちが本音じゃないか?」
カイは呆れたようにため息をつく。一方でエミールは苦笑しつつ、フォローするように言った。
「でも、レオ君の言うことも分かるよ。僕の村でも助け合いながら生活してたし、誰かと一緒に作業するのは確かに楽しいよね」
「だろ? 分かってるじゃねぇか」
レオが嬉しそうに言いながら、両手を腰に当てて胸を張る。
「それに、荷物だってちゃんと考えがある。次はオレの家族がやってる屋台に行くぞ」