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under rain  作者: 亮太 ryota
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第一話 「地下に降る血の雨」 chapter 3

 仕事を終えて少年は斉藤愛美を手配された無人タクシーへと放り込んだ。料金は依頼人から随分と余裕を持たせて注ぎ込まれている。解放感を胸に彼はその場を後にする。

 自動運転で何処へでも行く事が可能になった事で、人々の行動範囲は大きく広がる。斉藤が少年の目を盗むようにやくざ者に捕まっていた他の女達も車内へ引き入れて、タクシーは目的地へと走り出した。

 少年は何も彼女が誰かを助ける事を全否定したつもりではなかったが、終わった仕事に干渉する気も更々なくその足を夜の街へ向けた。


 眩しい程の月明かりは何時の間にか闇夜の影を濃く塗り重ね、堪え切れなくなった空は小雨を疎に降り落とす。

 暗い空は夜を彩る街明かりに照らされていった。どれ程の命が潰え果てようと、流れ行く群衆はそれを知る由もない。高く聳える建物に囲われる通りには欲望と野心に溢れて、何ら変わらない日常を謳歌する。

 酒に女に誘惑は尽きず、路地を深く進めば裏社会より生まれる闇深い商品すらも容易に手に入る。金さえあれば、大抵の物がその町では取引されるのだ。


 少年は人混みが途切れた通りを歩き、ネオンが無遠慮に照らす飲食店街へと進む。飲み屋は星の数程あれど、良心的で居心地の良い店となると途端に選択肢は絞られてくる。

 好みは千差万別と言えども少年にとって馴染み深くなるような店はこの街に一つしかなかった。仕事の鬱憤を酒で晴らすべく、その足取りは真っ直ぐ目的地へ到達した。


 バー・君影草は飲食店街の奥地に居を構える少年行きつけの店である。仕事を終えた後の彼は大凡この店でささくれ立つ心を再起動してリフレッシュする。

 重い木製のドアを開くと和やかな歓談の声と小洒落たジャズ音楽が溢れて、カウンター越しに人懐こい笑顔を浮かべた男がその顔をより一層明るくした。


「いらっしゃい、黒猫さん」

 目の前のカウンター席へ誘いながら、男はいつも変わらない少年を歓迎した。年齢を感じさせない若々しさを醸し出すこの店のマスターを見ていると、弱肉強食の世界において異端とさえ言える程に朗らかな人当たりで毒気を抜かれていくように思える。


 少年はある日を境に突如としてその自由を縛る名を与えられた。薬品の匂いと無機質な白い病室で目覚めた彼に残された記憶は、少し前に土砂降りの雨の中で野垂れ死ぬその瞬間に不意に世界を遮る様に傘を差し出した男の顔だけであった。

 何者であるかも分からず彷徨う身寄りのない子供が、裏社会の荒波に抗い生き抜く為と半ば強制される形でやくざ者としての道に引き込まれていく。

 意識も戻らない内に施された手当の返済が最初のきっかけである。良心の呵責は特になかった。記憶喪失故かはたまた他の要因がそうさせるのか、黒猫は殺人マシンとして瞬く間に適合する。

 何も知らないという事は何でも知れる事と同じなのだ。戦う為の技術と人間社会を流離う知恵を、そんな目紛しい日々の中を実力だけで証明してきた。


「マスター、いつもの頼むわ」

 席に腰を据えると黒猫は決まり文句を呟いて、難航した仕事疲れを溜め息に込めて吐き出す。


 記憶のリセットから早くも五年が過ぎた。悪辣な周囲の人間から学習する事で、黒猫は純粋無垢なやくざ者として成長する。

 ロックグラスに注がれた焼酎を口に含む彼が年齢に相応しくない事も、その背に掛かる物騒な武器も同様にイレギュラーな存在である。あくまで身体的特徴などから概算された仮定であれど、大人に見紛う事なく十五歳の子供でしかない。

 それでもその容姿に宿る一種の可愛げは日々やさぐれていくばかりで、精神だけは加速度的に大人びてしまう。流れる季節が追い立てるように小さな少年は社会の闇に蝕まれて歪に化成した。


「ご無沙汰でしたね。仕事は順調ですか?」

 マスターは子供を見守るような目で黒猫に問い掛ける。

「ぼちぼちやな」

 他愛のない日常会話が黒猫にとっては新鮮で、他人同士詮索は無粋とは言え、絶妙な距離感を相手は的確に心得ている。

 黒猫がどんな仕事をしているのかさえマスターは知らない。時代遅れな路地裏のバーの店主に、裏社会の事情へと深入りさせるつもりは黒猫にはなかった。

 世を生きるその他大勢にとって黒猫はあまりに不吉で益体もない。マスターのような善意の象徴に関わるべきではなかったが、一種の縄張り染みた安心感が居心地をよくさせる。


 空間を軋らせるような音を立てて、ロックグラスの氷が溶け出す。緩やかに熱を帯びていく体内が思考を迷走させた。

 ふと黒猫の耳に着信を知らせるアナウンスが流れる。ポケットに押し込まれた携帯端末が指向性を持って彼にそれを知らせる。


「ボス、仕事は片付いた。明日にでも会社に顔出す」

 応答すると電波越しですら相手の顔が思い浮かぶ雰囲気が感じ取れた。それを無視して黒猫は報告を簡潔に述べる。仕事を忘れて酒に溺れたい時に限って、待ち伏せていたように邪魔をしてくるその存在に彼は辟易していた。

「黒猫、またやらかしてくれやがったな」

 彼の上司にして所属する組織の社長が、怒気を露わに言葉を紡ぐ。黒猫をやくざ者に仕立てた張本人が彼を飼い馴らせていないのである。

 黒猫は心当たりを感じつつも詫びる事はない。大方相手が思う所のやらかしを自覚していても、改善する必要性を感じないからである。

 再三言われてきた協調性と計画性の無さ、その上過激過ぎるやり方を問題視されている。しかしそれらを踏まえたとしても黒猫にその居場所を、そんな生き方を与えたのは紛れもなく彼である。


「山田組の連中は狡猾で執念深い。そんな奴らの一派に手を出した以上、タダじゃ済まない。明日を楽しみにしてやがれ」

 憎たらしげに告げた相手が返答を待たずに通話を切った。一方的に言いたい事を伝えて、満足すると向こうの都合で話が終わる。いつもと変わらない不愉快なやり取りは今に始まった事ではなかった。


 煙草に火を点けて、募る不満と共に煙を吐き出した。一時のリフレッシュタイムを台無しにされ、程良く体を回すアルコールが醒めていた。


「おかわりいきますか?」

 不機嫌に中空を睨み付けていた黒猫に気付いたマスターが笑い掛ける。無言で残った中身を煽ると、待ち構える彼へロックグラスを差し出した。


 君影草の長い夜は更に更けていく。酒に溺れて意識は泥濘へ、その思考回路はバグを起こしたように黒猫は時間さえ忘れて飲み続ける。窓の外では雨足が加速して、アスファルトに叩きつけられる飛沫が激しく舞っていた。

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