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under rain  作者: 亮太 ryota
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第三話 「愛食む獣」 chapter 1

 真夜中の繁華街の外れ。シャッターを下ろし静まり返る店舗の前で一人の男が荒ぶる。無遠慮に拳を叩き付ける不快な音が、時間が止まったような裏通りの商店街に響き渡る。


「中西ぃ! いるんだろ? さっさと出てこい!」

 相手の都合も考えず叫ぶ男は、激情に任せて怒鳴り散らしていた。迷惑極まりない彼の行為に錆と痛みの進んだシャッターは耳障りに軋んでいる。


 鍵を差し込みシャッターが引き上げられると、眠そうな目を瞬く還暦の男が顔を出す。見慣れた迷惑客を仕方なく明かりの点いていない古めかしい商店へ迎え入れると、誰もいない裏通りの商店街を見回して出来るだけ静かにシャッターを下ろした。


「……松川さん、こんな時間に何の用ですか? 支払い期限は、まだ先の筈では」

 気の弱そうな表情で中西勉は男に事情を尋ねる。色素の抜けた白髪は短く切り揃えられ、皺と弛みが長く生きた人生を物語っている。

「死にかけのジジイが粋がってんじゃねぇよ。普通なら誰も金なんて貸さねぇ所を、俺が特別に! 貸してやってんだ。早目早目に返すのが筋だろうがよ」

 金融屋として成り上がった松川大輔は、若干三十代にして裏社会の隙間産業で悪どい商売をしていた。交わした契約を棚上げして、相手の痛い所を突っ付く彼には別の懸念があった。


 弱肉強食の世の中でも、金の貸し借りは生業として成立する。電子マネーの普及で紙幣や硬貨が骨董品になった現代において、それまでの社会通念より心のハードルが大幅に下がってしまったのだ。

 様々なデバイスに財布としての機能が搭載されて、手には取れない多額の電子マネーが飛び交う社会が多くの債務者を地獄に落とす。時代が進み技術が花開いても、悩める人間を須らく救う事は出来ない。

 

 かつて中西は気立のいい妻と素直に言う事を聞く娘、そしてその夫と目に入れても痛くない孫に囲まれて過ごしてきた。仕事にも恵まれて何不自由もない幸福な人生を歩んで、愛に溢れた最期を迎えるつもりでいたのだ。

 人生の転落は前触れなく突発的である。娘夫婦はある日、家族で買い物を楽しんでいる所を暴漢に襲われて惨殺された。薬物中毒者の発狂に巻き込まれたと聞かされた中西夫婦は悲しみに暮れる。日に日に衰弱していく妻を必死に支えた中西だったが、心に刻まれた虚無感は拭い切れず妻もまた病に倒れた。

 年老いても依然衰えない体力に任せて商売を続けていた中西も、幸福に満ちていた家族を失って引退を決める。多少の蓄えもあった彼は残された生涯を霞を食うように生き、愛する家族の元へ還る日を待ち望んでいた。

 次第に欲は枯れて、時の流れのままに無心で過ごす。そんな揺らぎのない生活に再びの転機が訪れる。

 

 身形の悪い生傷に包まれた少女が街の片隅にいた。他人と関わる事に疲れて人生の終止符を待つばかりであった中西は、不思議と目を惹くその少女に思わず声を掛けていた。

 身寄りもなく今にも消えてしまいそうな少女を、中西は野良猫でも拾うように世話を焼く事にした。隠居老人と孤独な少女は何とも不思議な共同生活を始める。

 しかし、話はそう上手くは回らない。豊富な蓄えは活気を取り戻しつつある生活で瞬く間に底をつく。中西は我が身一つであれば簡単に投げ出せる程此岸に執着はなかったが、少女を置き去りにする事だけは気掛かりであった。

 働こうにも上手くいかず、途方に暮れた所を松川の巧みな言葉で騙された。何処までも哀れで悲劇的な中西はせめてその少女だけは守らなければならないと心を奮い立たせる。


「ーー明日には必ずお金を払います。ですから、どうか、今日はお帰り下さい。……この通りです」

 中西は憤りを覚えつつも、自身以外に危害が及ぶ事を恐れて平謝りする。家族を失って他人に対する思いやりは消え失せた、そんな厭世家を気取っていた彼も少女の為ならばプライドも捨てられた。


「仕方ねぇ……忘れんなよ? 貸した金は何処まででも追い詰めて回収する。まともな死に方、出来ると思うな」

 松川は中西の胸倉を掴み、顔と顔が触れ合う寸前まで近付けて宣言する。弱肉強食の世界は騙された方が悪い。正義も悪もそこには介在しない。


 騒がしい嵐が過ぎ去ると、暗い商店の中は途端に静けさに包まれる。裏通りの非常灯のか細い光が見送る小西を憐憫に照らす。


「おじいちゃん、大丈夫?」

 商店の奥、住居スペースに繋がる二階への階段から覗き込んで様子を伺う声が聞こえてくる。

「……大丈夫さ。ユイ、起こして悪いね。さっさと寝よう」

 中西は朗らかに微笑み返す。あどけない顔に苦悶を滲ませた少女は優しく肩を貸すと、中西と一緒に連れ立って階段を上がった。


 ユイと呼ばれた少女に中西は、ある種の友情めいた気持ちを抱いていた。詳しい事情までは介入していないが娘よりも年下であろう少女に対して、儘ならない人生へのシンパシーを感じていたのだ。

 どのような事情があるにせよ、家族を失ったからこそ二人は巡り合った。少なくとも中西には未来への希望すら、彼女に見い出していたのかもしれない。耄碌した還暦爺の戯言と思われてもどうでもよかった。


 愛に決まった形がないように、複雑怪奇な人間関係は時として意外な組み合わせを生み出す。傷を負い居場所を失くしたユイに、残り少ない親愛の情を注ぎ込む事が中西の最期の仕事である。

 世界は何事もなかったように夜が更けて、裏通りの商店街は静かに眠りに就いた。

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