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under rain  作者: 亮太 ryota
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第二話 「祭囃子」 chapter 6

 翌日。霧烟る雨空を病院の非常階段から眺めながら、黒猫は燻らせた煙草の煙を吐き出す。処方された痛み止めで普段と変わらず動けるようになった黒猫は、宅配サービスを駆使して入院生活で手に入らない煙草とアルコールを注文した。


 黒猫が愛飲する煙草はニコチンやタールが有害指定されているオールドタイプの物で、世間一般から見れば時代の流れに取り残された粗悪品である。

 科学の進歩により無害で気分だけでも嗜む事が出来る類似品が多く開発されており、一部のマニアックな人間に支持され続ける貴重な煙草は値が張る上に流通量も少ない。

 何でも揃うと謳う大手宅配サービスにすら取り揃えのないその煙草を愛好する彼は、数少ないオールドタイプの煙草を見つけて衝動的に購入してしまった。銘柄が変われば吸い心地が違う事に他ならず、口に合わない嗜好品をないよりはましだと自身に言い聞かせて気を紛らわせた。

 喉を潤す缶ビールは彼にとって特にこだわりはなかった。好きな酒はあっても酔いが回れば、極論アルコールであるだけで満足してしまえる。芋焼酎は最高の状態を用意出来る環境が一番大事なのだ。

 朝の短い逃亡劇は昼食を運ばれるまで続き、様子を見に来た青柳は黒猫の些細な変化に気付きながらも咎める事はなかった。寧ろほんの少しの間、禁煙禁酒を貫いた努力を誉めなければ彼とは付き合えない。


「ーー骨に異常は見られないし、痛みが長引くようなら痛み止めを処方すれば大丈夫でしょう。これ以上入院生活が続くと暴れ出しそうだし、明日には退院しても問題ないと思います」

 味の薄い病院食をせっつかれながら食べ終えた黒猫に待ちに待った退院の許可が下りる。ストレスでおかしくなりそうだった彼へ俄に光明が差した。


「いいですね? 明日、退院ですから。今日は大人しくしてて下さい。散歩は程々にね」

 肩を軽く叩いて青柳は診察を締め括る。ボーダーラインを暗に示した発言に、黒猫は目を逸らして返事とした。

 主治医の発言を拡大解釈した黒猫は気分転換に病室を出る。食後の一服は欠かせない、それが例え口に合わない銘柄の煙草であっても。


 この病院は黒猫の属する会社ビルから通りを三つ程挟んだ区画にあり、三階建の細々とした医療施設である。青柳を始めとする複数の闇医者が協力して運営しており、規模こそ小さいが医師としての確かな実力で地域住民からの信頼も厚いと噂されている。

 そもそも何故闇医者と呼ばれるのかは、社会情勢による所が殆どで現行政府が医師と認めていないだけである。この病院に掛かる多くの人間にとって有難い存在も、ある基準によって犯罪者同然の扱いをされてしまうのだ。

 人目を憚らず黒猫は病院の正面入り口から抜け出すと、芝生の広場で雨の中傘も差さずに遊ぶ子供がいた。天真爛漫に駆け回る姿は子犬のようで、一人でいるのにとても楽しそうで満足感を感じさせる笑顔だった。

 自身にもそんな頃合いがあったのか、記憶を失っている彼には想像も付かない。人間誰しもが生まれた頃は純粋無垢で、精神と肉体が成熟していくと共に相応の形に落ち着く。 

 記憶喪失のまま生きる黒猫にも時として感傷に似た思いを抱く事がある。記憶を失くす前の自分自身が一体何者であったのかを、一度も考えなかった訳ではない。

 何処で何を、どのようにして生きてきたのか。それがバグのように思考を遮る瞬間が機械のような生活の中にも確かにあった。

 しかしどれ程の時間をその事に費やしても何も生まれる事はなく、酷く怠惰で無意味な事柄に脳のリソースを食われてしまうだけである。


「入院してまで、しかもこんな雨の日でも煙草って吸いたいものなの?」

 無意識に子供を目で追っていた黒猫に、傘を畳んで水を切りながら白猫が疑問を投げる。呆れ半分な眼差しは、軽蔑すら滲ませているように見受けられる。

「俺の勝手やろ……何や、お前も診察か?」

 立ち止まって見下す白猫へおざなりに返して、わざわざ病院に来た彼女の目的を確認する。

「……お見舞い、後は仕事の件もあるし。一応、遠からず、私が原因みたい所もあるし」

 人形のような表情が小さく歪み語尾に掛けて声量が減っていく白猫。携えていた紙袋をぞんざいに黒猫に押し付けると、少し距離を空けてベンチに座る。

「お前、まだラリってんのか?」

 白猫をよく知っている訳でもない黒猫にも、その態度がおかしく思えてデリカシーの欠片もない発言が溢れる。


「……斉藤さんにはあらまし伝えてある、とりあえず依頼は完了。次の仕事だけど、あんたが回復するのを待って簡単な物からやってくつもり」

 初遭遇時の空気感で白猫は淡々と情報共有を終えて、黒猫に倣うように未だ一人遊びに夢中な子供を眺めた。


「明日には退院や、仕事の方はお前に任せるわ」

 簡単な仕事とは何か黒猫は多少引っ掛かりを感じたが、何を言おうと結局は教育係である白猫の裁量に従う他ない。


 依然止む気配すら見せず視界すら不明瞭になりつつある霧雨は、今後の二人を物語っているようでもある。山田組との確執は逃れようもなく、待ち受ける結末は先日までよりも血みどろのものになるだろう。

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