第二話 「祭囃子」 chapter 4
「気に入ったぜ黒猫、ガキとは思えない強さだ。この人数相手に、ここまで長く戦った奴は初めて見る」
満面の笑みで真鍋は満足気に喝采を送る。手下の命に何ら感慨も見せず、壊れた人形のように拍手を止めなかった。舞台を眺める観客のような彼は、黒猫だけを見ていた。
「ーー祭だ何だって、男ってそういうの好きだけど、私には分からない。馬鹿が馬鹿みたいに騒いで、勝手に盛り上がられてもって感じるだけ」
目立たず景色に溶け込んでいた白猫は真鍋の横に立つと、黒猫から預かっていたコルト・シングルを突き付けて感想を述べた。示し合わせた訳ではなかったが、最高のタイミングで動いた彼女に黒猫は少しだけ関心さえしていた。
情緒も余韻もなく発射された銃弾は真鍋の側頭部を貫通する。熱く燃え上がった狂乱の祭も終わってみれば、寂しさを際立たせて寂寥感を倍増させる。
夜空を見上げて物思いに耽る黒猫は、長く煩わしい戦いの終わりに喉がアルコールを渇望していた。血と汚れに塗れた体はバッテリーが切れたように動かない。
「化物みたいに強いのね、あんた。よくやったわ、褒めてあげる」
作戦と言うには拙いやり方で勝利を掴んだ白猫。全ては祭に浮かされて半ば暴走した真鍋の自滅にも似た行動で決められた。自らの命すら天秤に乗せない人間に、他人の命を奪う資格はない。
山田組構成員の多くを葬り去った黒猫であるが、それでも全てを壊滅させた訳ではない。新たな脅威は何時何処で待ち伏せているのか分からないが、真鍋と相川の繋がりを断つ事は出来た。
斉藤に今後待ち受ける精神的ダメージは計り知れないにしても、今回の依頼は達成された。残される禍根の元凶は彼女自身で乗り越えなければならない。
白猫の連絡で組織の管理下にある病院へ送致された黒猫と二人は、やるべき事を一旦棚上げにしてその心身を休ませる事になった。
病院へ向かう車中で精魂尽き果てた黒猫は完全にスリープ状態になり、次に目が覚めた時には懐かしさと煩わしさを覚える景色の中で横たわっていた。
消毒液が鼻を付くうら寂しい病室に一人、顔に貼られたガーゼと肩口に施されたテーピングが血みどろの記憶をフラッシュバックさせる。
黒猫は病院が嫌いであった。記憶のリスタート地点であるこの病院に、何処となく忌避感を覚える。この空間から漂う弱々しさのような物を敏感に感じ取ってしまうからかもしれない。
肩から背中に掛けての痛みを堪えて、黒猫はベッドから起き上がった。窓から覗く空は薄曇りで、時間感覚の乱れた今の彼には朝なのか昼なのか分からなかった。
「ーーやっとお目覚めかい? 黒猫君。随分久し振りだね」
病室を出ようと体を引き摺り扉に手を掛けた黒猫を偶然訪れた白衣の男が食い止める。白髪混じりの黒髪を七三に分けた柔和な顔の男が黒猫の体を支えようと手を添えた。
「……おぅ、久々やな。じゃあ家帰るわ、もう大丈夫やから」
黒猫は軋む体を誤魔化して白衣の男を押し退ける。特段この男に何かをされた訳ではないが、苦手意識が脊髄に染み付いているように拒否反応を起こす。
「いやいや、肩の打撲は放置しない方が君の為だ。定期検診をサボってた事は許してあげるから、もう暫く経過観察させて欲しい。焦る事はないさ、君は一日寝てたんだしゆっくり療養すべきだと思う」
白衣の男は黒猫の我儘など聞かず、ついでに溜まっていた愚痴までぶつけつつも黒猫を諭した。
青柳和文と言うこの白衣の男は、銀猫の組織が提携している病院の医師で記憶を取り戻した当初は黒猫の面倒を見ていた。組織に所属している為通り名として青龍の名を与えられるが、やくざ者としてではなく医師としての活動が主なので殆ど無意味になっている。
一般人からやくざ者までどんな人間でも幅広く看護する彼は、黒猫達とは違い何ら悪事を働いていないにも関わらず政府からは闇医者扱いである。銀猫との業務提携が相互利益に繋がる唯一の残された道であった。
銀猫と同じく多くの苦難を乗り越えて今尚医師として数多の人々を救う彼も、黒猫にはかなり手を焼いていた。
黒猫が殺し屋として活動を始めた頃は怪我が多く、その度にこの病院で治療を受けていた。最近こそ滅多に入院する事もなくなっていたが、その原動力には病院嫌いが少なからず関わっている。
「また今度でええから。せや、一回煙草吸いに行かせてや」
一歩も引かない黒猫は悪足掻きを止めない。これまでもその場凌ぎの言い訳を並べ立てては病室を抜け出していた。重症で寝ていると思われたある日も、もぬけの殻になったベッドが待ち受けている程に。
「ベッドに拘束されたいなら、そうしてくれてもいいよ?」
最後通告を受けた黒猫は抵抗する事を諦めた。笑顔の奥にある頑固さが透けて見えて、痛む体は完全に負けを認めてしまった。
「医者としても一大人としても言わせてもらうけど、煙草は体に良くないよ。止めろとまでは言わないけど入院中は我慢してね。勿論お酒もね」
更に釘を刺す青柳はベッドまで黒猫を導いて、大人しくしているようにと微笑み掛けた。有無を言わせぬ物言いだが、それが彼に響く事はあり得ない。
居心地の悪さに落ち着かない黒猫は青柳が病室を出た後も何とかして抜け出せないか思考を巡らせる。意識の覚醒から時間が経って、後回しにしていた斉藤の事が頭を過ぎった。
相川の事は黒猫よりも白猫に伝えさせた方がいい。他人に興味を持たない人間の口よりは、親身に相談に乗りそうな白猫の方が適任である。胸糞の悪い話を中和する事は不可能にしても、彼女であれば依頼を終えた先にすら手を差し出しているかもしれない。
扉をノックする音が聞こえて視線を向けると、遠慮がちに中を覗く斉藤と目があった。