6:シーズン中盤の眠れない夜
「はぁ…眠れない…」
その日、レティホワイトロックは眠れなかった。
というのも、今日の試合、同点の9回裏2アウト満塁、カウント3-2からの6球目の高く上がったキャッチャーフライを落球してファールにしてしまい、ピッチャーの大妖精も名手・レティのエラーに動揺、低めのチェンジアップがストライクに入らず、押し出しフォアボールでサヨナラという最悪の試合を演出してしまったためである。
「…少し散歩でもするか…」
あそこでキャッチャーフライを取ったとしても勝ったかどうかはわからない。
四季監督からは簡単な説教を食らっただけで(というもの、レティの人徳によるものだが)、解放されたものの、心の中は晴れなかった。
今は、二日後のテンプルズ戦に備え、ほかのメンバーは宿舎休んでいる、草木も眠る午前2時。
ふらふらとレティは宿舎から外に出て、グラウンドに向かった。
眠れないならせめて素振りでもして体を疲れさせようというまじめな思いからであった。
(…ん? 誰か素振りしてるな)
しかし、そこには先客がいた。
「…幽香さん」
「ん? あぁ、レティ…眠れないの?」
そこにいたのは、フォーシーズンズ主砲の風見幽香であった。
「…ええ」
「今日の落球?
…あんなの、誰だってするじゃない」
的確にその理由を分析し、あきれ顔で、それでも優しい声で答えて、風見幽香は汗を拭いた。
「…」
「試合だって勝つこともあれば負けることもある。
まじめにやってても落球するときはする。
特にあなたみたいに正捕手になれば、守備機会も増えて、ね」
「…そう、ですね…」
その顔に、レティは少し心が休まった。
フォーシーズンズの守備の名手と言われるセカンドの秋穣子や、センターの堀川雷鼓もエラーはするし、「ロッキーズ最高のショート」と呼ばれる秋静葉も、テンプルズのセカンド・わかさぎ姫も、エラーがゼロではない。
たまたま今日は、自分がエラーしただけだ、と考えることにしたのだ。
「…あ、そうだ。
レティ、少し付き合ってくれない?」
ふと思い出したように、風見幽香はボールを握った。
「はい? キャッチボールですか?」
「いや…あなたはこれと、これ」
そういって横にあったキャッチャーミットとマスクを渡す。
「ふふふ、少し昔を思い出してね。
投げてみたくなっちゃったのよ」
風見幽香はそういってふんわりとほほ笑んだ。
「…あぁ」
そこでレティは合点がいった。
風見幽香がプロ入りした際のポジションは、ピッチャー。
その後長打力を買われ、当時4番が抜けたばかりのフォーシーズンズにおいて、ピッチャーをやっていた肩を生かして外野手に転向し、今ではDHで四番を務める強打者に成長した。
「…はい、わかりました」
そういってレティはマスクとミットを身に着け、グラウンドのホームベース後ろに座る。
そしてピッチャーマウンドに立った幽香から指示が出る。
「まずは、外角高めのストレートね!」
「ハイ!」
ピュ…バシン。
「…!!」
レティは驚いた。
ピッチャーをやらなくなって何年たつのかわからないが、その球の切れは衰えている感じがなかった。
「次は、内角低めにカーブいくわよ!」
「…ハイ!!」
ピュ…バシン。
これも球威は殆ど衰えていない。
またカーブの変化も十分。
(…この人は怪物だ)
強打者であるのに、三振率が低く、チャンスにも強い。
その上ピッチャーとしても一流であるところを見せられたら、レティは驚くほかなかった。
それから数十球、いろいろな球種、スピードを試したが、ピッチャー・風見幽香の素晴らしさを見せつけられる結果に、レティは驚愕していた。
時刻は午前1時半。
「…幽香さん、すごいんですね」
少し休憩とばかりに、ベンチでスポーツドリンクを一緒に飲んでいたレティは思わずつぶやく。
「あら、それはどういう意味で?」
ほめられたとわかっていながら、少し意地悪くレティに聞く幽香。
「いえ…打者としても一流なのに、しばらくやっていなかったピッチャーでまで一流って…。
とてもかなわない選手なんだなーと思いまして」
「…そう」
風見幽香はそこでほほ笑みながら、何も言わなかった。
心なしか少し寂しそうな顔すらする。
「スタミナ、ですよね」
「…え?」
すると後ろから、別の声がし、レティはビクッとそちらを向いた。
「二人とも、こんなに夜遅くにこんなにハードな練習していたら明日に響きますよ」
振り返ると、四季監督がベンチの入り口に立っていた。
「監督…」
「幽香さん…久しぶりに見ましたけど、やはりあなたはピッチャーを続けていても成功していたんでしょうね」
四季監督はそういいながら静かに笑った。
「…まあまあの球は投げられたと思うけれど…ピッチャーも楽しいわね」
「十分実践でも通用しますよ…私は少なくともそう思います」
その「まあまあ」の球を受けていたレティが口を挟む。
「…幽香さん。
今度の試合ね、アリスさんは今、不調で、小傘さんも昨日先発でしょ?
ピッチャーがいないのよね」
「…?」
言っている意味が分からず、目が点になる幽香。
「…ピッチャー、風見幽香。
ちょうどホームゲームだし、ファンサービスに…何年振りかのアナウンスをしてみたらどうかしら」
いたずらっぽく四季監督が笑う。
「…そんな、今更…」
「いけるわよねぇ、レティさん?」
「ええ、十分な球威がありますよ」
「ウチの正捕手が太鼓判を押しているわ。
ファンサービスもかねて…どう?
あの件もあるし…」
「…ええ、そうね…」
あの件?とレティが口をはさむ前に、幽香が答えを返した。
「明後日の試合、ちょうどあなたがピッチャーだったころに一勝した、命蓮寺戦だし。
わかってくれるんじゃない?」
「…確かにね。
バッターをピッチャーに起用するって、パイレーツ戦なんかでやろうものなら、袋叩きに合うわね…」
「…」
帝王・パイレーツは、自球団の選手だけでなく、対戦相手にも淑女を求める…そんな話があり、こんなイベントはパイレーツ戦では決してできない。
したがってそれ以外の5球団同士の対戦時に、引退試合や新監督就任のセレモニーなどを入れるケースが多い。
なお、パイレーツの引退セレモニーは試合の前後ではなく、試合のない日にホテルの宴会場を貸し切って行うケースが多い。
レティにしてみれば、「自分たちの前で自分たち以外の選手が注目を浴びるのが許せない」という身勝手さに見えてしまっているのは確かであった。
野球には勝負も重要だが、楽しむ気持ちも重要だというのがレティの持論であった。
小傘のノーヒッターの時、チルノのファインプレイに拍手を送ったゾンビーズファンは、まさにファンの鏡であると思った。
「明日、テンプルズの監督に伝えるわ、次の試合は幽香さんの日…風見幽香デーだとね」
「…お願いします」
深々と頭を下げる風見幽香。
「あと、レティ…あなたが幽香をマウンドに送るのだから、キャッチャーはあなた。
途中で変えたりしないからそのつもりで」
「…あ、ハイ!」
そう言ってレティも敬礼。
「頼むわよ、正捕手」
「ええ、幽香さん、最高の日にしましょうね」
そう言って、レティと幽香はがっちりと握手を交わした。
シーズン中では珍しい非野球回。
別の話でもそうですが、なぜか私が東方の若干長めのSSを書くと、風見幽香はこんな感じのいいシーンが必ず入ってきます。
モデルがいるわけではないのですが、投手で勝った後、2000本安打を達成した野球選手もいますし、打撃のいい投手が野手になって成功するケースもあるうえに、今や二刀流プロ選手も出現していますし…そんなイメージです。