釣り合わない恋
初代ニューベリー侯爵家当主は女神からの祝福を受けており、その子孫たちもその恩恵に与っている。そう、ニューベリー侯爵家の女性の子どもは信じられないくらい美しい薔薇のかんばせを持って生まれてくるのだ。
それは末っ子のルパートも例外でなく、生まれた時から天使のように美しい赤子だった。
彼はすくすくと成長し、白金の少し癖のある巻毛に菫色の瞳を持つ美しい少年になった。彼のニ人の姉も、当主である母も同じ色を持っていて、父だけその中から少し外れている。
父はルパートたちよりは少し濃い蜂蜜色の髪に紫がかった青い瞳をしていた。父のフランシスはニューベリー侯爵家の遠縁で、ややナルシシズムの気がある母が見た目重視で選んだ結婚相手だ。しかし、父は母のことをとても深く重く愛しており、昔からずっと仲睦まじく暮らしている。
ルパートはリリーに会うまで、家族以外の若い人間を知らなかった。一卵性母子と呼ばれるくらい顔がそっくりな母と姉と、少しだけ違う父に囲まれて育ったため、美醜の感覚が人とはかなりずれていた。
長女のシャーロットを育てているときに彼女の美しさに当てられた侍女が誘拐未遂事件を起こしたため、それ以来ベリンダは信用できる年老いた人間だけを使用人として屋敷に置くことにした。
シャーロットは19歳にして既に次期当主らしい風格を持っていた。ニューベリー侯爵家の特徴である美しさと強さ、そして賢さも兼ね備えている。恵まれた180センチの長身に程よい筋肉がついており、剣の腕も一流だった。
もう1人の姉であるダフニはシャーロットよりは少しだけ小さいが、女性としては大きめの175センチの身長にしなやかな身体を持ち、乗馬や語学、美術などに深い造詣を持っていた。
末の弟であるルパートはダフニより少しだけ大きい177センチ、強く大きい母には全く及ばなかった。勉強も剣術も乗馬も人よりは出来る。だが、偉大な母と優秀な姉達に囲まれて育った彼には、自分が人より優れているという事実を知る機会はなかった。
だから、使用人たちに坊ちゃんは頑張っておりますよと言われても全く信じられなかった。姉達ならもっと上手くやる、母なら出来て当然と考えると落ちこぼれの自分が嫌になっていた。
同じ顔をしているのに、母とも姉とも違う自分のことをルパートは嫌いだった。だから、幼い頃、彼は毎日ベッドの中で枕を抱きしめてめそめそと泣いてから眠った。いつか、母や姉のように強くなりたいと強く思っていた。
そんな彼に運命の出会いが訪れた。16歳の誕生日にグリフィス伯爵家の次女リリーと初めて会った時、ルパートは頭の中で鍵がカチリと開く音を聞いた。
文字通り箱入り息子だったルパートは父の後ろに隠れてチラチラと彼女の様子を伺っていたが、リリーは物おじせず目の前に来て挨拶をした。それはとても綺麗なお辞儀だった。
「はじめましてルパート様。わたしはリリー・グリフィスと申します。これから、月に一度こちらに参りますので、是非お友達になってくださいませ」
「ああ、あああ、ああ。うん」
リリーの声はとても可愛らしく、ルパートは雷に打たれたように力が抜けた。まわりの女性が皆強いので、彼は一瞬で楚々とした魅力を持つリリーの虜になった。
リリーの華奢な身体も胡桃色の髪と瞳もとても可愛らしく、自分の求める美はここにあるとルパートはこの出会いを神に感謝をした。バランスが完璧なのに何故か落ち着く、不思議な少女だとルパートは思った。
「あ、あああの、リリー嬢、もももし、良ければ」
「はい、なんでしょうかルパート様?」
「おおおおれと婚約してください!」
「ルパート! 何を言ってるんだ?!」
父が焦った声でルパートを制止したが珍しく強い力でそれを振り解き、リリーの両手をぎゅっと握った。小さな手は絹のようにさらさらとしていてルパートはこれは運命だ、と思った。
「ルパート様……? あの、わたしたちさっき出会ったばかりですよ?」
「リリー嬢、君が良いんだ。だ、だから俺と結婚してください」
さっきは婚約だったのに今度は結婚になっているとリリーは驚いた。それでも格上の侯爵家からの要求であれば断れないし、ルパートに対して特に嫌悪感もなかったので少し考えた後に彼女は是という結論を出した。
「わかりました。あちらに父がいますので許可をとって参りますね」
「ありがとう、リリー嬢。よ、よければ俺と一緒のお墓に入ってください」
「ルパート様、まだまだそれは先のお話ですよ。少しだけ待っていてくださいね」
にっこり微笑む彼女の笑顔にルパートは の心臓が破裂しそうだった。物語の運命の恋なんて馬鹿にしていた。なのに、彼女をひと目見た瞬間に恋に落ちた。ドキドキと胸が痛いのにふわふわと浮き足立って不思議な気持ちだった。
ぱたぱたと小走りでリリーはグリフィス伯爵のところに走っていき、何かを告げていた。グリフィス伯爵の顔色が青くなって赤くなって最後は紙みたいに白くなった。
そして、グリフィス伯爵の隣にいた母は珍しく大笑いしていた。それから三人でこちらにやって来る。顔色の悪いグリフィス伯爵はルパートに対しておずおずと話しはじめた。
「あの、ルパート様。リリーと婚約したいというのは本当でしょうか? 貴方様に比べるとどうしても見劣りする娘ですが……」
「お義父さん、私はリリー嬢が良いのです。彼女は私の運命の人です」
いきなりお義父さん呼びされていることに内心とても焦ったが、ここまで言われたら断るのは難しいと思い、グリフィス伯爵は覚悟を決めた。
「わかりました。至らぬ娘ですがどうぞよろしくお願いいたします」
「ルパート、君はリリー嬢のことを気に入ったんだね。うん、良い趣味だ。ニューベリー侯爵であるベリンダ・ニューベリーがこの婚約を認めよう」
「母上、ありがとうございます! リリー嬢、いつ婚姻届を出そうか? 結婚式はいつが良い? どんなドレスにしようか? 早く一緒に住みたいな。しばらくは新婚を楽しみたいし子どもは先でも良いんだけど俺は二人は欲しいかな。で、でも身体に負担がかかることだから一人でも良いよ。何だって手伝うし不便な思いはさせないから。君専用の侍女と乳母もちゃんと用意するからね。でも、どうしても怖かったら子どもはいなくても大丈夫。うちは代々女系で後継も姉だから俺は君と二人で穏やかに過ごすのも良いなあ、ああ、こんなに嬉しいのは生まれてから初めてだ。嬉しいのに、泣きそう……」
饒舌なルパートを見て、ベリンダは少し驚いた。いつも大人しく口数少ない息子がこんなに楽しそうにしていることを嬉しく思いつつも少し不安になる。
でも、リリーはとても賢くて気の優しそうな娘だし、グリフィス伯爵も貴族としては珍しく穏やかで気の良い人間なのでこちらでサポートしていけば良いだろうと考えて考えるのをやめた。
ベリンダは神の祝福を受けているため、悪い気を持つ人間を見抜くことができる。生き馬の目を抜く貴族社会だから、ある程度濁った人間はいる。だが、真っ黒に曇っているような殺意や叛意を持つものがわかるので対処も早い。
しかし、目の前のグリフィス伯爵とリリーはこちらが心配になるくらい濁りがなかった。つまり、かなり貴族らしくなかった。伯爵家なのに資産が少ないという噂を聞いたことがあったが、きっと見た通りお人好しなのだろう。
「さあ、素晴らしい話が纏まったから今日は皆でお茶でもしようか? 両家の友好的な関係のためにもね。さあ、私の家族を紹介しよう」
美しい花模様のティーカップを見てリリーはほう、とため息をついた。やはり侯爵家ともなるとすべての調度品が美しい。割ってしまわないかと不安になった。伯爵家とはいえ裕福というほどではなかったので、品が良いながらも絶対に高級だとわかるそれらの品々に胸の中で感動していた。
「あの、ルパート様、リリーはまだ14歳で未成年ですのであと2年は結婚出来ません。勿論、婚約は結ばさせていただくのですが、見聞を広げるためにも2年間は留学させたいのですが……」
「はい。それなら私も着いて行きます。婚約者が隣にいれば不埒なことを考える輩もいないでしょう」
「グリフィス伯爵、大変申し訳ないのだがルパートの希望を叶えてもらっても良いだろうか? もちろんリリー嬢の分の留学費用もすべてこちらが出そう」
「そんな、滅相もない!」
「いや、将来的には義娘になるのだからそれくらいはさせて欲しい」
そうして初対面の日、ひょんなことからリリーとルパートの婚約が調ったのだった。
月に一度と言っていたが、リリーへの愛に溢れたルパートが我慢できるはずもなく、週に二回はグリフィス伯爵家に毎回たくさんのお土産を持ってやって来た。最初は驚いていた使用人たちもルパートが持ってくる珍しい果物や美しいお菓子に夢中になった。勿論、リリーと二人の兄も例外ではなかった。
「こんなに美味しい砂糖菓子は初めてです」
「喜んでもらえて嬉しいよ。今日もリリーはとても可愛いね。こんなに素敵な婚約者がいて俺は幸せ者だ。留学の準備は進んでいるかな? 俺は語学は苦手なんだけど君と一緒にいたいから頑張るよ。今度、リリーのドレスとアクセサリーを選んでも良いかい? そろそろ消えないプレゼントも贈りたいんだ」
「ありがとうございます」
リリーは人の善意は信じるほうなので遠慮せず受け取ることにした。最初は何かの間違いかと思ったがルパートはとても優しく理想的な婚約者だった。初めて見た若い異性だからと考えた時もあったが、グリフィス伯爵家の使用人の若いメイドに対しても特に反応がなかったのできっと自分のことを好いているのだなとリリーは思った。
こんなに見目麗しい婚約者が出来るなんて過去の自分に告げたらきっとびっくりするだろう。神に祝福されたニューベリー侯爵家の令息が取り立てて目立つわけでもないリリーに一目惚れするなんて思ってもみなかったのだ。あんなに美しい家族に囲まれて美的感覚が狂ったのか、とリリーは少しだけ心配にもなった。
それでも、降って沸いた幸運に感謝していた。いつか飽きられたとしても今の幸せを大切にしたいと考えた。
「ああ、母上、俺は早くリリーと一緒になりたいです。落ちこぼれの俺でも見捨てない優しい彼女のことを早く自分のものにして安心したいのです」
「ルパート、物事には順序があるよ。それを守らないとお前だけじゃなくてリリー嬢まで軽蔑されることになるかもしれない。だから、お前がちゃんとしないといけないよ。それに、ルパートは落ちこぼれなんかじゃないよ? そんな酷いこと、誰に言われたんだい?」
威圧感のある微笑みを浮かべてベリンダが訊く。
「いや、誰かに言われたわけではないです。でも、俺はシャル姉にもダフニ姉にも勉強でも武術でも敵いません。二人のように特技もないですし。勿論、母上には遠く及びません。だから、ニューベリー侯爵家の人間として恥ずかしいのです……」
「ルパート、お前はちゃんとこの家に相応しいよ。その美しい顔を見てごらん? 神の祝福はちゃんと受け継がれている。それに、お前の良いところは勉強や武術や顔では測れないところにあるんだ。だから、誠実さを忘れなければきっと上手くいくよ。そのための手伝いは私がしよう。それに、あと二年だ。リリー嬢だってルパートのことを憎からず想っているようだし何も問題はないはずだ」
「あんなに可愛くて優しくて賢くて柔らかくて良い匂いがするリリーがずっと俺のことを好きでいてくれるなんて自信がないんです。俺は口下手だし苦手なものも多いです。でも、リリーへの気持ちだけは本物です」
「ルパート、お前は変わったね。気持ちを言葉にするのはとても難しいことだ。でも、リリー嬢に出会ってお前は外へ目を向けた。これは本当に素晴らしいことだと思う。だから、思い詰める前にこうやって周りに相談するんだよ? 間違ってもリリー嬢を鳥籠に閉じ込めるようなことをしちゃいけない」
「母上……、俺は怖いです。こんなにも他人に夢中になることがあるなんて思いませんでした」
「お前は幸運だよ。自分の好きな相手と結婚できるんだ。あ、勿論フランシスのことは愛しているよ。可愛いし、美しいからね」
「父上って可愛いんですか?」
「そういう気持ちが、愛なんだよ。子どもたちのことも同様に私は愛しているよ」
「母上、ありがとうございます。俺、頑張ります!」
ルパートとリリーの留学先は隣国の北側にある寒い地方だった。栄えた場所ではなかったがリリーが学びたい分野の高名な講師がいるからその学校を選んだのだ。夏は暑く、冬はかなり寒い。温暖な気候のニューベリー侯爵領で育ったルパートにとっては過ごし辛い場所だった。それでも、大好きなリリーと一緒にいられることはとても幸せだった。
勿論、寄宿舎は別だし年齢が違うので授業も全て一緒という訳ではなかったが、彼女が真剣に授業を受ける姿を陰から見守ったり彼女の作った独創的な創作物をプレゼントされたりしてルパートにとっては至福の時だった。
強く逞しい母や姉が近くにいないことも彼にとってプラスになった。コンプレックスを感じることなくのびのびと過ごせることで身長もぐんぐんと伸びて勉強も前より出来る様になった。
ルパートは語学も数学も歴史も苦手だったけれどリリーに勉強を教わったり、その間にリリーの横顔をこっそり見つめたり彼女の残り香を嗅いだりして幸せだった。たまに触れる白くて小さい手の柔らかさを思い出しながら眠りについた。
そうこうしているうちに残り一ヶ月で領地に帰る時期になった。最近はリリーの元気がなくとても心配になったが、どんな風に尋ねても彼女はホームシックという答えしかくれなかった。だから、ルパートはそれ以上は深く聞くことができなかった。
毎日送っている手紙の返事も最近は来なくなったが彼女は色んな教授に教わったりしていて忙しいのであまりしつこくして嫌われるのが嫌だった。
成績も最優秀を取る才女のリリーと運動以外は中の上の自分では釣り合わないと思ったけれど、ルパートはやっぱりリリーのことを誰にも渡したくはなかった。リリーはルパートの運命だから。
それに、リリーが気付かないだけで、彼女に好意を寄せる男子生徒は多かった。その度にルパートはリリーには内緒で彼らと拳での話し合いをした。大体の者はルパートの誠実な気持ちを理解して身を引いてくれたので良かった、とルパートは思っている。
卒業式では簡単なパーティがあるし国に戻ればリリーの成人式もある。両方ともエスコートはルパートでそれぞれ別のドレスも贈ってある。リリーが美しく見えるデザインかつ露出が少ないものにしたけれど、まわりの男子生徒が鼻の下を伸ばしてリリーのことを見ると思うとかなり不快だった。
リリーは可愛くて賢くて優しくて甘い良い匂いがするからモテるのは当然だけど、もし他の人から好意を伝えられて、ルパートのことを捨てたらと考えるといつも不安だった。
リリーは途中で飛び級したためルパートと同じ学年になっていた。授業中は勿論隣に座って彼女の横顔ばかり見ていたから最終年度の成績は散々なものだった。リリーのことばかり見ていたから他の人間は目に入らなかった。
ルパートにとってリリー以外はかぼちゃだしジャガイモだしその他大勢だった。けれど、話しかけられれば親切に応える。でも、それはリリーの婚約者としてきちんとしなければならないと思ったからだ。当たり障りなく優しいので男女問わず好かれた。
それに加えて生まれ持った美貌で彼はまわりを魅了し続ける。その中でも特に隣国の侯爵家のミランダは彼に入れ上げており、美しさも家格も釣り合う自分こそがルパートの婚約者に相応しいと思い、チクチクとリリーに嫌がらせをしていた。
ルパートの前では勿論友好的だが寄宿舎に帰ると物を隠したり悪口を言ったりというおよそ淑女らしくない地味で陰湿な嫌がらせを取り巻きにさせていた。優秀だが貧乏伯爵家で見た目も冴えないリリーとルパートが婚約者であることがミランダにはどうしても許せなかったのだ。だから、リリーがルパートを諦めるように何度も彼女のやり方で根気強く説得をした。
やがて、最初は不満げな態度を取っていたリリーも立場をわきまえたようでミランダは安心した。リリーからルパートが卒業式で着る礼服の特徴を聞いて似た色彩で自分のドレスも作った。
リリーがルパートから贈られたドレスを譲ってもらおうかと思ったが、彼女があまりにちんちくりんなためサイズが合わなかったのだ。同じ色のドレスを着たらリリーの冴えなさが際立つだろう。
婚約者を取られた上に壁の花になるなんて可哀想な娘だとミランダは思った。可哀想だから自分の元婚約者を譲ってあげても良いとも考えた。彼女に取っても悪い話ではないだろう。ミランダの元婚約者は伯爵家の次男だし気も効くからお似合いだろう。ルパートのように美しくはないけれど。
卒業式のパーティ会場でルパートはすぐに壁際にいるリリーを見つけた。かぼちゃやジャガイモの中で美しい妖精のような彼女は目立った。本来ならエスコートをしたかったのに今日はなにかと雑用を頼まれてしまい会場で落ち合うことになってしまったのだ。
ルパートはリリーの元へ走り出したい気持ちを抑えて早歩きでそこに向かった。途中でリリーと同じ色のドレスを着たかぼちゃが話しかけてきたがルパートは微笑んでから通り過ぎた。
早くリリーのところに行かないとうるさい虫たちがリリーに話しかけてしまうと思ってルパートは焦る。今日もすごく可愛いリリーになんと声をかけよう。最優秀として答辞を読むリリーはとても格好良かった。真っ直ぐ顔を上げる彼女は本当に素敵でルパートは優秀な婚約者のことを誇らしく思った。
間近で見るとさらに美しいリリーは少しだけ顔色が悪かった。引き結んだ唇は白く色が変わっていて、明らかに緊張しているように見える。そんな彼女の指先にキスをしてから彼は話し始めた。
「こんばんは、リリー。待たせてしまってごめんね。すごく綺麗だよ。妖精かと思ってしまった。本当に良く似合ってる。あの、もしかして具合が悪い? 顔色が悪いよ? もう会場を出て休もうか? あとは交流会しかないし」
「あの、ルパート様、ミランダ様をエスコートされなくてよろしいんですか?」
「どうしたんだリリー、ルパート様なんて他人行儀に呼ぶなんて。もしかして遅れたことを怒ってる?」
「いえ、わたしはもうルパート様の婚約者ではなくなるので……。あ、もしかして名前で呼ぶのも馴れ馴れしかったでしょうか? ニューベリー侯爵令息様」
「えっ?! どういうこと? そんなの聞いてないし絶対に嫌だ! 君の美しさや賢さ優しさに俺は全然釣り合わないけど、君以外の人と結婚なんてしたくない! 君だけが俺を幸せにできる。だから、捨てないで欲しい。リリー、俺には君だけなんだ。君以外はかぼちゃかジャガイモに見えるし君がいないと何も美味しくないし景色だって綺麗に見えない。君がいるから勉強も得意じゃないけど留学したし、夫婦になる日を楽しみに頑張ってきたのにどうしてそんなことを言うの? 君に出会ってから俺にはずっと君だけだし、君にも俺だけだと思ってたのに。も、もしかして好きな相手が出来たのか?! 確かに恋愛結婚ではないけれど俺たちの間にはしっかりした信頼と愛があるはずだと思ってるんだけどリリーにとってはそうじゃなかった? 俺の愛は伝わってない? リリーは何をどう判断して婚約者じゃなくなるなんてことを言ったんだ? 誰に唆された? 毎日手紙も花も贈っているのに俺の好意を疑うの?」
「手紙と花? 半年前からいただけていませんが……。ニューベリー侯爵令息様はもうわたしのことを想っていないとお聞きしました。わたしとあなたはそもそも釣り合いません。それに、新しい婚約者にミランダ様を迎えると……。だから、本当は今日ここに来るのは勇気が要りました。ミランダ様と同じ色のドレスを着て壁の花になるなんて辛いと思っていました。わたし以外をエスコートするあなたを見たくなかった。でも、わたしの勘違いなんでしょうか? ニューベリー侯爵令息様はお優しいので元婚約者に対しても優しいのかと思っていました。あの、あなたの気持ちをもう一度伺っても宜しいですか?」
「そんなの、君と早く夫婦になってずっと一緒にいたいに決まってるだろ!! 君にずっと良く思われたくて頑張ったけど、やっぱり俺じゃあ不満? 釣り合わない? 今更そんなこと言われたって絶対に許さない。婚約は破棄なんてしないし本当は今すぐ結婚したい。早くリリーが正式に俺のものだってまわりにわからせてやりたい。リリーは俺のものだし俺はリリーのものだよ。これからずっと、生まれ変わってもリリーだけを愛する。だから、そんなまわりの雑音なんか聞かないで俺の言葉だけ聞いて。君に相談して貰えないくらい俺は頼りなかった? 俺の愛は弱かった? 俺の言葉は薄っぺらだった? 俺は、俺にはリリーだけなのに。自信を持って言えるのはリリーへの愛だけだったのに、なんでそんな事を言うの? 俺を捨てないで。お願いだよリリー、愛してるんだ。俺には君しかいないんだ」
ルパートの宝石のような菫色の瞳から大粒の涙が溢れているのを見て、リリーもまわりの人間も一瞬石のように固まってしまった。美しく全てに恵まれたような男が泣きながら跪いてリリーに愛を乞う姿は滑稽だった。
そして、いつから用意していたのか胸ポケットから指輪を取り出して彼女の左手の薬指に嵌めた。菫色の大きな石が付いた指輪はニューベリー侯爵家の男児が家を出る際に持っていく由緒正しい品で、女神が幸せを齎すというものだった。それをリリーのサイズに直してあり、リリーはその指輪の価値を正しく理解した。
そんな常識外れなことをするくらい彼が自分のことを思っていたことに驚いた。最近のルパートは優しいけれど前みたいに顔を赤くしたり言葉に詰まったりしなくなった。だから、自分に飽きたのだと思っていた。ここ半年は手紙も花も贈られなくなっていたから、彼に愛されている自信もなくなっていた。
彼は誰にでも親切だから好きな相手ができても昔馴染みだから優しいんだろうと考えてとても胸が苦しかった。リリーもルパートのことが好きだったけれど、いつも釣り合わないと考えていたのだ。初めて会った家族以外の若い異性だったから、自分じゃなくても好きになったのだろうかとか、いつか飽きられるとずっと考えていた。最初はそれでも良いと思っていたけど、いつの間にはそれが嫌になっていた。
ルパートの気持ちが自分に向いてなかったとしてもニューベリー侯爵が認めた婚約者だから帰国すれば結婚すると考えた。それでも、不安は一向に消えなかった。そんな時にミランダやその取り巻きから何度もルパートが彼女のことを愛してると聞いて、やっぱりという気持ちが湧いた。勇気を出してルパートに真偽を問えるほどリリーは強くなかった。そうだと返されたらリリーは立ち直れないだろう。だから、何も出来ないままずるずると今日を迎えてしまった。
でも、リリーは自分が愚かだったと気付いた。彼と向き合って聞けば良かったのだ。そうすればこんな風にこじれなかったはずだ。ニューベリー侯爵家の証である指輪を渡すくらい自分のことを愛してくれていることに気付けなかった。
思い込みと劣等感で目の前が見えなくなっていた。ルパートから君の美しさ優しさ賢さに釣り合わないと言われて、リリーは驚いた。勉強は出来る。学ぶのは楽しい。
でも、自分は優しくも美しくもない。だから、ルパートがそんな風に考えていたなんて思いも寄らなかった。そして、自分達に足りないのは話し合いだとわかった。お互い大切に思っているのだから言葉と行動で示すべきだったのだ。他人の言葉で不安になる必要なんてこれっぽっちもなかった。
「ルパート、ごめんなさい。貴方の愛を疑ってしまって。わたし、自信がなかったの。美しくて優しいあなたに釣り合わないと、いつか飽きられると思っていたの。でも、あなたのことが好き。誰よりも好き。だから、もう卑屈になるのはやめる。これからもそばにいてくれる?」
「うん。ずっとそばにいるよ。リリーより1秒でも長生きして看取るから安心してね。お墓だってもう用意してるから。約束、忘れてないよね? もう、充分待ったから」
リリーはちょっとだけ考えたけれど、身に覚えがなかった。でも、彼がそう言うのならきっと約束したのだろう。跪いたまま指先にキスをする婚約者を見てリリーは安心した。この人は自分のものだ。薬指に光る指輪が、美しい涙が彼の愛を証明してくれた。
すっかり二人の世界になってしまい、まわりの令嬢令息たちは困惑した。そして、ミランダは顔を真っ赤にして今にも憤死しそうだった。あんな場面を見せつけられたら馬鹿でもわかる。リリーとルパートの婚約は彼が強く望んだものだと。彼が言ったリリー以外はかぼちゃかジャガイモというのは本心だろう。だから、自分が話しかけても微笑んでリリーの元へと向かったのだ。
生まれてから今までミランダはずっと選ぶ側の人間だった。だから、今度も自分が選ばれると思っていた。まさか失恋するなんて全く考えていなかった。自分の方が美しく家格も高いのに、まるで悪夢だった。
「どうして……?」
そう呟いてからミランダは気を失った。精神的なショックによる失神だった。彼女の顔色が悪くなってから素早く近付いてきた元婚約者は大きなため息をつきながら彼女を両手で受け止めた。ミランダはいつも突拍子のないことをして挫折する度に失神するのだ。
侯爵家の令嬢としてどうなのかと思うが彼はこういう時の対処に慣れていた。ニューベリー侯爵令息の気持ちは誰が見たってわかりきっていたし、婚約破棄と言われても上手く行かないと予想していたのでその通りになって少しだけ可笑しくなって笑った。彼が表情を変えたのは一瞬で、まわりの人間はその変化に気付かなかった。
波乱の卒業パーティが終わり、もう1秒も離れたくないと我儘を言うルパートを引き剥がしてリリーは自室に戻った。薬指に光る指輪を見てリリーは幸せだと思った。こんなに大切なものを受け取ることはプレッシャーだったけれど、それ以上に嬉しかったのだ。
本来なら翌週の予定だった引越しが翌日になり、半年後だったルパートとリリーの結婚式が翌月に変更になった。理由はルパートがこれ以上待てないというものだった。リリーも16歳になり成人したので早めても問題はなかった。ただ、成人式に出席する時には既婚者になることになる。
それもルパートの狙い通りだった。結婚していればちょっかいを出す男はいないだろう。前回は気付けなかったが女性も怖い。リリーの左手の薬指に光る指輪を見て何か言うものはいないだろうがこれまでよりも彼女のことをきちんと見て、話し合って解決していこうと心に決めた。彼女の憂いになるものは取り除き、夫として彼女を支えていこうとルパートは誓った。
「リリー、愛してるよ。昨日よりもずっと。君がいればいつでも俺は世界一幸せな男でいられるんだ。これからも君に釣り合うように努力するよ。だから、俺のこと見捨てないでね。お願いだよ」
「うん。勿論よ。これからもよろしくね。わたしの旦那様。あなたの事が大好きよ」
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