第80話:「ありがとう」
王様はベッドの上に座っていた。上体は起こしていたが、丸まった背は、背後のクッションに持たれている。
この部屋に入る直前に、ジュリエット様から、陛下の容体は体の半分以上が動かず、しゃべることもままならない状態と聞いていた。
私たちが入ってきても、こちらに無反応な姿からも、その病態がよく分かる。
王妃様はそんな夫である王様に寄り添って生きている。その為、滅多に表に出なくなっていた。
確かに、たまに夜会でお見掛けするものの、殿下や妃殿下に任せ、引いていらっしゃることが多い。
部屋に入る前に私はジュリエット様に「ここで見ること、聞くことは、他言無用でお願い」と言われていた。
実際に見てしまうと、そういう理由かと納得する。
私は奥に控え、進み出たジュリエット様が王妃様に挨拶する。
王様は、妃殿下が抱える赤ん坊に気づき、じっと見つめていた。
(ああ、今日はご義両親に赤ん坊の顔を見せるために来たのね)
ジュリエット様が振り向き、私を手招きする。
近づくと、王様が眠るベッドの上に、赤子をジュリエット様が転がした。赤子が手足をぱたぱたさせころんと横になると、ベッドに座る王様をじっと見た。
うちの子は人見知りをする時期なので、抱っこしたままにしてもらった。王様をじっと見て、様子を伺っている。
好々爺のように王様は潤んだ目を向けてくださる。
王妃様がベッドの赤子を抱き上げると、王様のそばに寄せた。王様が辛うじて動く片腕を動かし、赤子に手をかざすと、赤子はその指を掴んだ。
王様の瞳はより一層潤み、今にも涙がこぼれそうであった。
「時々、二人をここに連れて来て遊ばせたいと思っているのよ」
ジュリエット様は、そうぽつりとつぶやいた。
それからたびたび赤子を連れて訪ねるようになった。王様と王妃様は赤子を歓迎し、二人を楽しげに見つめる。
まるで赤子と触れ合うことが、王様の気力が回復する一助になっているかのようであった。
出産から約一年後。
二人の赤ん坊も大きくなり、はいはいしたり、歩いたりと動きが激しくなっていった。
追いかけることも増えるし、目を離せないことも増えた。
こんなにも小さな子を育てるのが大変なのかと思い知る。
なりふり構わず、子どもが寝れば私も寝て、子どもが起きれば、私も起きる生活をしていた。
子ども中心の生活にへとへとだ。
そんな忙殺される日常のなかであっても世情は動く。
今日は夜会が開かれる日だ。
私とジュリエット様は、産後初めて参加することにしていた。
二人が慣れている侍女に子どもを見ていてもらい、ちょっとだけ華やいだ空気を吸いに行くだけの気分転換である。
もちろん、私も護衛騎士ではなく、フレディの伴侶としてドレスを着て参加する。
ドレスに着替えていると、子ども二人、なにをしているんだろうとベビーベッドからじっと見て、目を離さない。
着替え終えるまで、瞬きもしていないのではないかと思うほどだった。
殿下とフレディが一緒に私たちを迎えに来た。
殿下と妃殿下は、挨拶もあるため、急いで部屋を出ていく
ただの参加者である私とフレディは二人を見送り、向き合った。
「ドレスを着るのも久しぶりよ。体形が変わっていなくて良かったわ」
「良く似合っているよ。それは、俺が最初にあげたドレスだね」
「新しく新調する余裕もないし、あるものと思ったら、これしかなかったの。まだ夜会では着ていないから、丁度いい使い回しよ」
「いいんじゃない。何度も、着てくれるのも嬉しいものだよ」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
子どもたちが、ベビーベッドから、私たちを変なものを見るような顔で見ている。
ばいばい、行ってきます。そう、思って手を振って、部屋を出た。
つられて小さな手を振る姿は可愛かった。
私とフレディは会場の隅に立った。
殿下と妃殿下は、正面で全体に向け挨拶する。
挨拶が終われば、楽団が曲を奏で、中央部で人が踊りだす。
「踊ろうか?」
「うん。そう言えば、初めてよね」
「そうだね」
一人目の妊娠まで忙しく、こういう華やいだ場とは疎遠であったことを思い出す。私も仕事をし、彼もまた試験に仕事にと忙しかった。
子どものいない、短い恋人のような期間を思い出しながら、フロアの中央部で躍らせてもらう。
音楽とフレディ。
それしか私の世界には映らない。
子どもがいることも、忘れさせてくれる一時に、少ない二人きりの思い出を重ねるように一曲だけ躍った。
その後も数曲流れるが、私たちは中央のフロアから離れ、壁を背に寄り添って立つ。
貴族同士の歓談風景が広がる場は穏やかであり、その雰囲気にそうたゆっくりとした曲が流れている。
会場の端に、マシューもいた。彼もまた妻を連れて来ている。
フレディと一緒に道ですれ違った時はお腹が大きかった妻も、普通の体つきに戻っている。産まれた子は、大きくなっているわね。
こういう場に妻を連れてくるマシューもまた、それなりに良い夫であるのだろう。仲が良さそうで良かった。
妃殿下と話すのは、宰相である侯爵とその娘婿。
殿下は人にかこまれていて、よく見えない。
反対の壁には、例の公爵家のご令嬢が誰かと一緒に立っている。彼女も、良い伴侶を得たのかもしれない。一年という謹慎期間はとうに過ぎているのだ。
誰もが、それぞれの幸せを感じる時のなかで生きている。その姿が垣間見え、心の底から暖かいものがこみあげてきた。
(幸せそうでなによりだわ)
誰もが幸せのなかで生きていて、不幸な人なんていない。そんな錯覚に溺れる。
幸せになると、世界に不幸な人なんていない気がしてしまう。
現実はきっと違う。どこかの誰かは、きっと歯を食いしばって、悲しみをこらえて生きている。理不尽に嘆き、暴力に耐えているかもしれない。
そんなことを忘れ、不幸がなんなのか、分からなくなるぐらい幸せだ。願わくば、誰もがそんな思いに行きついてくれればいいと祈りたくなる。
健全な多幸感に包まれる。
今日の夜会に参加して、本当に良かった。
隣にいるフレディの腕を抱いた。
頬を彼の二の腕にすり寄せる。
今日の夜会に参加しないかと提案してくれた夫に感謝の気持ちが溢れた。
今だけは、家族とか、子どもがいるとか、そんなことを忘れて、私とあなただけがここにいる。
「ありがとう」
大きな気持ちを込めて、私はフレディに囁いた。
「なにが?」
「今日、ここに連れて来てくれたこと」
「また、いつでも来れるよ」
「私の傍にいてくれること」
「うん。
俺は、ルーシーの隣にずっといるよ」
「そういうの、全部含めて。ありがとう」
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一応、いつになるかわからないし、書かなくてもいいし、書かないかもしれないんですけど、出てきた女の子全員で話を作れる仕様になっています。子爵令嬢、侯爵令嬢、公爵令嬢、王太子妃、公(皇)女、全員。パール女史は男性だから、フレディの昔話書くときに出てきます。その時は男性です。本名はパリストンです。本当は過去書く時に明かそうと思っていたけど、他の女子と扱いが違うので男性だと途中で明かしました。
次に書くのは、子爵令嬢サイド。ルーシーは気づいていなけど、初っ端から三角関係です。
ただ、顛末(約25万字)、村人(約50~100万字)などなど書いてからになるので、執筆投稿が何年後になるやらわかりません(苦笑)
現在、来年の2月上旬まで小説の予約投稿は済んでおり、その間、数作完結します。
引き続き、読んでもらえる小説があれば嬉しいです。
今は『公爵令嬢に婚約破棄を言い渡す~顛末』の長編版執筆中で、約20話ほど書きました。(全100~120話予定)これを合わせると、現在予約投稿待ち話数は120話ほどあります。年末までに、予約投稿待ち話数150話ぐらいできたらいいなあと思っています。
昨日から短めのコミカルな連載を始めました。
『拾った泥んこわんこの王子様、(肉球で)おっぱい触った責任をとる! と、宣言されても困ります!!』
https://ncode.syosetu.com/n3361hw/
どうぞよろしくお願いします。