第74話:月夜の談話
「初めまして、マシュー・バロウズ殿」
「どなたか存じませんが、こちらは夜会会場ではありません。参加者であらせられるなら、お引き返しください」
真正面をむき、先へ踏み出すなら、不審者として捕まえるぞと全身でマシューは物語る。
警戒されてしまったな。
俺はいっそう笑顔を深める。
「私は、殿下の秘書官をしておりますフレデリック・フォーテスキューと申します」
「殿下の、秘書官……、では、今日の夜会の参加者、ですね」
「そうです」
マシューの警戒がわずかに解かれる。やはり、参加者としてここにいて正解だった。
単刀直入、前置きなしで、虚を突く一言を放つ。
「この度、私はルーシー・グレイス嬢と婚約結婚することになりました」
「ルーシーと……、では、もしや、あの時……」
マシューの顔色が変わる。道ですれ違ったことを思い出したのかもしれない。
隙ができた彼の真横にすっと近寄り、体の正面を庭に向けて、呟いた。
「月明かりが庭に落ちて、綺麗ですね。光がまるで妖精のように踊っている」
「えっ、ああ……はい……」
落ち着かないマシューも俺につられて、庭をむく。
並び庭を眺める格好になり、俺は腕を組んだ。あまり、大きな声で話したくないのだ。
「あなたの実兄、ハリス・バロウズ殿には、宰相への取次などで大変お世話になりました」
「あっ、いえ……」
ルーシーだけでなく、兄の名も出て、内心驚いていることだろう。そんな雰囲気を感じつつ、俺は話を続けた。
「失敬、現在はハリス・バロウズ・モーダントですね。
次期宰相に任命される侯爵の長女に婿入りされて、名を変えられている」
「……、よくご存じで」
「長男が婿入りすることになり、急きょあなたがバロウズ家を継ぐことになった。
これが、あなたがルーシーと別れることを選んだ理由の一つですよね」
ちらりとマシューに視線を投げる。
複雑な心情があるのか、彼は眉を潜めていた。
「本来バロウズ家を継ぐ長男が、モーダント侯爵家の長女に見いだされ、婿入りすることになった。子爵家から侯爵家への婿入りなど、あまり聞いたことがない。
周囲の噂を最小限にするために、秘密裏に婚約はすすめられたのでしょう」
「よく調べられましたね」
「侯爵家とは仕事柄、関わりも深いもので」
「おっしゃる通りです。
秘密裏にすすめられる兄の縁談により、俺は急きょ家を継ぐことになりました。ルーシーもグレイス家の跡取りです。互いに家を捨てることができない立場になってしまいました」
「そうでしょうか。
ルーシーだけでなく、マシュー殿も真面目な方とお見受けします。家としても互いに申し分なく、一旦家格の低いマシュー殿が婿入りしても、子どもが二人以上産まれれば、双方の後継ぎにできますよね。グレイス家の方々なら柔軟に対応してくれる可能性が高いと思われます」
「……」
「マシュー殿。あなたには、また別の理由があったのではないでしょうか」
言うだけ言い切り、横にいる男の様子を伺いつつ、沈黙した。
隣のマシューが首に手を当てて、地面を見る。
「ルーシーは……、なにか言ってましたか」
「なにも。俺と会った時は、それなりに時間が経過していたので、気持ちの整理はできていたようです」
「そうですか、良かった」
「あなたは、ルーシーのことを嫌って、ふっているわけではなかった」
「……」
「婚約までしてますので、彼女のことはそれなりに理解しているつもりです。その私からしても、驚くほど幼いところがありまして。ふられた過去があるというのが、たまに嘘ではないかと思ってしまうのですよ」
「……」
「あなたは、ルーシーをとても大切にされていたのですね」
小首をかしげてマシューを見ると、彼はうつむいたまま両目を力任せに閉じていた。目じりと眉間に皺が濃く寄っている。
「彼女は、伯爵家の、あのグレイス家の、跡取りです。私たちは黙って交際しておりましたし、もし私と別れることになった場合、彼女に不利益が無いようにと……」
「お気遣い、ありがとうございます」
マシューの語尾が小さくなり、俺は軽い礼で話を切った。
並んだまま、正面を見据える。
彼女と触れ合うなかで、俺は一つの結論を出していた。
マシュー・バロウズはルーシー・グレイスを彼なりに大事にしていたと。
それこそ、手を繋いだ子どもが庭を転げまわるようなつきあいだったと想像している。互いの家に明かしていない時期だったからこそ、マシューは慎重にふるまい、関係において遠慮していたのかもしれない。ルーシーと別れる半年以上前には、家の事情もあり、彼女と距離をとるようにしていただろうし。
彼が彼女を振った時に、逃げるように去ったのも、おそらく、詮索されないためだったのではないだろうか。
深堀する気まではない俺は話を変えた。
「奥様はお元気ですか。以前、すれ違った時は、お腹が大きくいらっしゃった」
「ええ、元気です。無事に一月前に生まれました」
「おめでとうございます。マシュー殿もお幸せそうでなによりです」
マシューがぽつぽつと話し始めた。
「今の妻は、幼い頃から知っておりまして、俺はずっと妹のように思っていました。
兄の婿入りの話が出た時はまだルーシーの存在を明かしていなかったんです。両親は『うちに子どもが二人いて良かった』と言い、俺は兄に代わって跡取りになりました。
ルーシーにどう伝えようと迷うなかで、俺の婚約者として、今の妻を、両親が薦めてきました。
明かしてはいないとはいえ、ルーシーもいましたし、なにより、当時は今の妻を妹のようにしか思っていなかったため、どうしようか迷いました。
そんな俺を妻が長年慕っていたと俺は初めてしりました。
俺はずっと彼女を妹のように思っていましたが、彼女はちがったのです。俺は知らなかった。
ルーシーと妻の板挟みになるなかで、ルーシーが王太子妃付の近衛騎士になることが決まりました。
嬉しそうな彼女を見て、この女性なら俺がいなくなっても大丈夫だと確信できました。
今の妻の方が必死で。この女性には俺がいないとだめなんだ、俺が唯一無二だと思えた時、俺の気持ちは決まりました。
ルーシーが嫌いだったのではなく、色々な事情と、俺の……、僅かな心変わりがあったんです」
話を切り上げ、俺は会場へと引き返す。
マシューの話を聞きながら、俺はアナスタシアを思い出していた。
彼女は俺の幼馴染で、一時は仲が良かった。彼女の他愛無いわがままを聞いてあげたり、訪ねるたびに土産をたくさん持参したのは、城から出られない彼女のためにできる数少ないことだった。
単純に喜ぶ彼女を見て、俺が嬉しかったのかもしれない。
ある時から、あれしてこれして、これ嫌だと、激しくわがままになった。つきあい切れなくなり、疎遠になる。
(あれは俺を引き離すため、俺に嫌われるための行為だったんだよな)
彼女は立場上、嫁ぐジュリエットのことも踏まえて、未来選択し、行動を選んだのだ。
自分だけが幸せになる道よりも、誰もが幸せになる道を彼女なりに選んでいたのだろう。
どことなく、俺はマシューに自分を重ねてしまう。
彼の姿は、アナスタシアを選んだ場合の自分のようにも見える。愚かな錯覚だ。感傷に浸りすぎている。
(とにもかくにも、過去はどうあれ、彼らもまたそれなりに幸せで良かった)
ルーシーに告げた台詞が自分へと跳ね戻ってきた。
『俺は、あっちが幸せそうで良かったと思うよ。これで、ルーシーが引け目を感じることはなにもない。心置きなく、幸せになれるね』




