第73話:夜会会場を背にして
「こんな密室に二人きりになろうとするなんて、悪い人ね」
馬車に乗りこむなり、素早く座面に座ったルーシーが、急に抱き着いてきて、言った。
(この体勢で、怒られるの?)
怒られているのか、甘えられているのか、わからないじゃないか。
(甘えているうちにはいるんだろうねえ)
傷をかばって座面に両足を上げて、抱き着いてきたおかげで、彼女の正面は俺の脇にぴったりとフィットしている。
柔らかいけど……、サービスしているつもりのない仕方のない子だ。
「なにが悪い人なのかな」
そう言いながら、彼女の傷に触れないように背から腰に手を回す。嫌がる素振りはない。
もう少し体をこちらに寄せて、頭部に頬を寄せた。
照れ隠しに悪態をついたり。
目をそらしたくせに、眼球だけで俺を上目遣いで覗き見たり。
かと思えば、こうやってスキンシップを求めてくる。
どう出てくるのか、わからない困った子だ。
馬車の振動が辛いと言えば、膝に載せて支えようと思っていたけど、その必要はなさそうだ。傷は順調に癒えているようで、なによりである。
「ケガは良くなっている様で……」
言葉を遮るように、ルーシーの手が俺の両手を包む。
急に彼女が上体をあげ、腰に回していた手が浮いた。
ぶつかるように彼女の唇が俺の唇と重なった。
あたたかな感触に目を剥く。
触れあったのは一瞬。
座面にストンと座り直したルーシーが拗ねた表情を傾いで、俺を睨む。
「ずっと、一緒にいたのに、キスもしてなかったよね」
だからって、ここで、急に、先んじて動かれるのは誤算だよ。
怪我をしている彼女を極力大事にするように努めながら、それこそ、ガラス細工を大事に愛でるように扱っていたというのに。
そんな俺の誠意を蹴り破ってくるとは思わなかったよ。
「困ったように、笑わないでよ」
いや、困るでしょ。
なんて、言うこともできずに。
「ルーシーは、可愛いね」
よしよしと撫でてあげる。
それだけで、彼女は嬉しそうにはにかむのだ。
ポーリーンとさして変わらない反応でも、振り回されているのは俺の方か。
怪我をしている彼女を気遣い、他愛無い会話とともに寄り添って、王国へ向かった。
王国に戻れば、いつもの日常が待っている。
俺は書類仕事に忙殺され、隙間時間に上級文官試験向けの勉強を始めた。
試験の申込日までには結婚したいという希望のみ、ルーシーの家族にも伝えた。
それまでに婚姻の書類を提出できればよく、結婚式自体は準備を要するため、後日になりそうだった。
婚約に合わせた顔合わせの日取りや会場などの打ち合わせは、トリスタンの妻であるキャロラインに一任した。
ルーシーも働いているため、母に対応を頼んだという。
キャロラインとルーシーの母は気が合った。
貴族から時々ちょうだいするグレイス領の茶葉が好きだと話したら、いくつかもらえたようで、喜んでいた。
その話と並行して、ルーシーが母に、ジュリエットが希望する乳母の話から、同居の話までしたらしい。昼時のルーシーからの又聞きなので、詳しくはしらない。
やはり、彼女の両親はすぐの同居は反対したそうだ。譲歩しても、婚約してからでなくてはだめよ、と釘を刺されたそうだ。
その辺は、常識的だ。
俺の実家は、ルーシーの家族との挨拶に、家族全員で行くかどうかもめたらしい。トリスタンの娘二人以外、問題児が多いのだ。じっとしてはいられないだろう。
家族会議の結果、子どもを置いていくことに決めた。あくまで、主役はルーシーと俺ということを尊重してくれたようだ。
祖父母に両親、当主の兄夫婦が挨拶できればいいだろうという結論になった。
オーガスタス夫婦は一番大変な子どものお守り役だ。
(ポーリーンが来たら、とんでもないことになりそうだから、仕方ないよな)
こればかりは納得する。
場所は俺の店に決まった。
こじんまりとしていても、景色も味も逸品。せわしない日程にも融通がきく。
元々、常連客は俺の家族と、つながりの深い商家ぐらいなのだ。子連れではなかなか外で食べるのが気が引ける兄夫婦の御用達にもなっている。小規模の会食なら、もってこいなのだ。
両家の婚約の挨拶を終えて後、正式に同居を許す旨をルーシーの祖母と母から得た。
当初、彼女の祖母は閉口していたようだが、妃殿下の要望を踏まえると仕方ないと、渋々納得してくれたそうだ。その説得には、義母が一役かってくれたらしい。
婚姻の届けを出す日は、期日までに二人で決めるように言われた。
ルーシーが俺の家に居を移す準備を始め、日にちも決まった。季節ごとに開かれる夜会の一週間後である。
その夜会でも、ルーシーはジュリエットの護衛役を任されている。働く彼女を見たいと殿下に言い訳し、参加させてもらった。にやにやするアルフレッドをあしらうのは面倒だったが、俺にも俺の事情がある。
ルーシーと婚約は決まったとはいえ、今はまだ平民。殿下の秘書官としても一部の者しか認知していない。貴族の肩書を得て、試験を通り上級文官になれば、否応なく俺の存在を知る者も出てくる。
顔が知られていないうちに、俺には確かめたいことがあった。
そのために、事前にいくつかの書類を盗み見た。
確認した書類とは、今回の夜会における警備名簿と配置図だ。交代時間も確認した。
マシュー・バロウズ。彼は夜会の周辺警備にあたることになっていた。
夜会当日、俺は計画通り、すべての視線、意識が煌びやかな夜会に向いている宴もたけなわの最中に、人知れず会場を抜け出した。
夜会参加者という恰好をしているため、警備の者に捕まっても、仕事が遅くなったふりをするより、不審者に思われにくい。道に迷ったと言い訳すれば、変な調べを受けずにやり過ごせるだろう。
俺はそのためだけに、アルフレッドに頼み夜会に参加したのだ。
会場に通じる庭を眺められる外回廊の警備につくマシューと接触するため、暗がりを進む。
静かな夜だ。
庭に降りそそぐ月明かりが、池と葉に照り返されて、空中に柔らかい光を躍らせている。
頭に叩き込んでいる警備網をすり抜け、庭を見守るように回廊に立つ男がいた。亜麻色の髪を整えた無表情な横顔。鍛えているため、体格も良い。身長も俺と同じくらいか。
最初に見たのは、ルーシーを振った時。
次は夜会。
そして、彼女と歩く道ですれ違った。
三度見かけているだけで、まるで以前から見知っているかのような親しみを覚えた。その親近感の根源には、彼と似たもう一人の男がいる。
二人の繋がりもまた、書類を自由に閲覧できる立場を利用し確認済みである。
俺は、わざとコツコツと足音を鳴らしながら、マシューに近づいた。
警備中のマシューは誰かが近づいてくるとすぐに気づく。影が俺の方を向いた。
「誰だ」
低い声で警戒する。
俺はゆうゆうと柱の影から月明かりが差し込む廊下へと進み出る。
柔らかな光に二人照らし出され、俺は足を止めた。
誰もいない渡り廊下で俺とマシューと向き合う。
彼は、なぜここに俺がいると警戒し、睨みつける。
俺は最上級の笑顔を浮かべた。
「初めまして、マシュー・バロウズ殿」




